2008年04月07日

言葉にするのを恐れちゃいけない。それは自分の財産をつくるために必要だから。



昨日紹介した、養老孟司さんと佐治晴夫さんによる対談集・『「わかる」ことは「かわる」こと』に、いまの学生は自分の考えを言葉にするのを恐れる傾向があるといった旨のことが書かれていました。すでに本を人に貸してしまったので、正確な引用ができませんが、まわりに気を使いすぎるあまり、自分の考えを言葉にすることができないといった内容だったと思います。

もちろん、これは学生に限った話ではないと思います。若い人に限った話ではないと思います。他人と話ができない人は学生や若い人以外にもたくさんいます。ただ、こういうことを言われる対象が学生や若い人なのは、若ければ、まだいくらでも取り返しがつくからなのかもしれません。

言葉にせずにどうやって考えるの?

言葉にするのを恐れて言葉にしないということ。これは同時に自分で考えようとしないということにつながる話です。

言葉にするのを恐れたら、考えることはできません。言葉にするのを避けることで、自分の考えを整理したり、明確にしたりといった作業も同時に避けてしまうのです。前に「Fw:本当に考えたの?(それは「考えた」と言わない。)」というエントリーを書きましたが、アウトプットがなければ考えたとは言わないのです。言葉にすることは1つのアウトプットにほかなりません。

考えてないのだから、ろくな行動もできません。自分が考えたように動くことができません。考えてないのだから動けないのはとうぜんです。「考えを行動で示す」ということにはごくごく当たり前の前提が含まれています。そう。考えがなければそれを行動で示すことなどできないということです。そして、考えるためにはたとえそれを口には出さなくても自分の頭のなかでは言葉にしておくことが必要だと思います。

言葉にしない、考えない、そして、行動ができなくなる。行動できなければ、よけいに自信が失われる。自信がないから他人との交わりを避けようとする。他人との交流を避けてしまえば言葉にする機会はどんどん失われていきます。まさに負のスパイラルです。

他人に話すことでわかることもある

言葉にすることは、自分の感じていること、考えていることを明確にする1つの手段です。
言葉にしてみることで、自分の「わかったつもり」に気づくことができます。漠然とわかったつもりになっていたことのなかで、本当は自分がどれだけわかっていなかったかということにも気づくことになります。

文脈の交換によって、新しい意味が引き出せるということは、その文脈を使わなければ、私たちにはその意味が見えなかっただろうということです。すなわち、私たちには、私たちが気に留め、それを使って積極的に問うたことしか見えないのです。それ以外のことは、「見えていない」とも思わないのです。

「私たちには、私たちが気に留め、それを使って積極的に問うたことしか見えない」。
「積極的に問う」1つの手段が言葉にすることです。他人にわかるように説明することで、あらためて自分がわかることがあります。

自分の財産としての話相手

『「わかる」ことは「かわる」こと』で書かれていたのは、自分が考えていることを他人に話すときにぼかして伝えたり、他人の話を聞く際にもその言葉を信じようとしない傾向があるということでした。

とんでもない話です。
自分の考えも明確に思ったとおりに話そうとせず、それゆえに他人の言葉も信じようとしない。ネットに書かれた情報、テレビの報道などに対する態度ならいざ知らず、自分が知っている相手の話やその人に話をする際に、そんな隠蔽や疑いがどうして必要なんでしょう? 気を使っているつもりかもしれませんが、それは気遣いの域をはるかに超えています。
というよりも、他人を気遣うためには、まずその人のことをよく知るために、ある程度は真摯に相手と遣り合って、ときにはケンカしてしまうくらいのことも必要です(もちろん、ケンカのあとは仲直りも必要ですけど)。ケンカするほど仲がいい状態までは行かなくても、自分の意見を隠さず述べても大丈夫な関係を、どれだけ多くの人とつくれるかは、仕事をするうえでも生活するうえでも自分の財産になるのではないかと思います。それにはとにかく自分の考えを積極的に言葉にして、他人にぶつけてみる姿勢が必要です。

間違えを恐れて自分の殻に閉じこもっていませんか?

間違ったこと言ったらどうしようとか、相手の言ってることと自分の考えは違うけど、どっちが正しいんだろなんて余計なことは考える必要ないんです。だって正しい答えが1つだけあるわけじゃないんですから。

それに「自分は信じない。人を信じる。」で書いたように、自分の考えなんてどこか間違ってるかもくらいでアウトプットしてみて、他人の意見を聞いてみるくらいでちょうどいいのです。
自分の話をぼかしたり、他人の話を本気で聞かなかったり、それは「自分は信じない。人を信じる」という態度とはまったくの正反対です。自分の殻に閉じこもったきりで、自分を変えよう、自分をもっと伸ばしていこうという姿勢がみられません。それじゃあ、最初に書いたとおり、負のスパイラルにはまる一方です。

自分は○○タイプだから? そんなのいくらでも変わるよ

いきなり面と向かって自分の考えを他人に述べるのがむずかしい学生さんなんかは、まずは自分の考えをゆっくりまとめられるブログなんかで、その練習をはじめてみるとよいと思います。僕自身、学生の頃は他人と話すのが得意ではありませんでした。でも、自分でいろいろと文章を書いてネットで公開するようになってから、はっきりと自分の意見が言えるようになったということもあります。

いま自分が他人と話をするのが苦手だからといって、「自分は他人と話すのが苦手なタイプ」とか思い込んではいけません。そんなの練習次第でどうとでもなります。そういう具体的な行動をしない人が「自分は○○タイプ」とか言って安心したがる傾向があります。でも、それは行動しないから「○○タイプ」なのであって、人なんて行動、そして、そのための意志次第で何タイプだってなれるのです。その点は誤解してちゃいけないと思います。

 

関連エントリー
タグ:考える 言葉
posted by HIROKI tanahashi at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ライフハックス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/92539748
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック