なんでもかんでも「仕事」に頼るのもどうか?と

どうして「自分の暮らしに興味がないんだから、人の暮らしの提案なんか、そりゃできないよなという話」にリンクが張られているのか、また、トラックバックされているのかわからないんですけど、それ以上にわからないのは、この部分。

最後の意味において「生活」と「仕事」の主格は逆転し、主役は「仕事」になっています。この点で、「なぜなら仕事のために人生があるのではなく、人生のために仕事があるのだから」の人とは真逆です。仕事が「糧を得る手段」だけでなく「自己表現の場」である人にとっては。

文中の「主格」は「主客」だと思いますがママ。

わからないのは、なんで「自己表現の場」が仕事になるという話がすんなりスルーされちゃうのかという点。それが昨日のエントリーの主旨でもあり、「仕事」に重きをおきすぎなんじゃないのっということ。
「自己表現の場」が仕事であるのは別にアプリオリじゃないはずです。すくなくとも「ビジネス」である必要はないと思います。別にそれはオープンソース・コミュニティのような場であってもいいはずですし、ボランティアみたいなものだっていい。「自己表現の場」を必ずしも仕事に結びつける必要はないんですよね。まぁ、そのほうが手っ取り早いって感覚は僕も理解はできますが、本来、必ずしもそうではないということははっきりさせておきたいところです。

というのも、なんでもかんでも「仕事」中心に考えすぎなのは、実は現代人の病気なんじゃないのというのが、昨日のエントリーの裏にある視点だからです。
その意味で、なんであのエントリーにトラックバックして、あの内容のエントリーを書いちゃったのかなー、と。単独でみれば納得できる内容なんですけどね。

「Webが好き」と「良いWebサイトを作る」力の相関関係

ただし、単独でも納得しかねるのはここ。

「Webが好き」でないと、良いWebサイトを作るのは難しいのではないか、と思っています。うちの会社に「プライベートではWebほとんど使いません」という人が来られても困るなあ。

これはちょっとどうなんだろ? と。

「どうなんだろ?」ってのは、「好きじゃない」より「好き」なほうが本当に「良いWebサイトを作る」確率は高いのかな?ってこと。確かに「好きこそものの」なんとかっていいます。でも、僕、正直いって別に「Webが好き」じゃない人で、いいWeb作る人知ってます。それって想像力と「良いWebサイトを作る」方法論をもっていれば「難しい」ことじゃありません。想像力のほうも想像を可能にするための調査方法を知っていれば、なんとでもなります。仕事なんだとしたら、それこそ技術と努力が必要なわけで「好き」だけでどうにかなるってものじゃないと思います。

まぁ、好きな方が仕事は続けやすいってことはあるかもしれませんけど、これも仕事が好きなら続くんじゃないかと。

「Webが好き」が「良いWebサイトを作る」のに役立つのは仕事より趣味では?

なので「Webが好き」じゃなくても「Webサイトをつくる仕事が好き」なほうが、むしろ「良いWebサイトを作る」仕事ができる確率は高まるんじゃないか、と。
そう思うのは、仕事として好きな方がそのための方法論をきちんとお金をかけて勉強する気がするからです。

もちろん、これが趣味で「良いWebサイトを作る」となると話は別。これは逆に「Webが好き」なほうがいいでしょう。
でも、そうなると、この「Webが好き」な人が「良いWebサイトを作る」動機は仕事ではなく、自分の趣味あるいは「自己表現」ってことになりませんか? これはむしろ先の話とは矛盾してきます。
別にそれでついでに金もうけもしていただいて結構なんですけど、それは会社で働く人の「ビジネス」という仕事とはちょっと違うような気がします。

なので、やっぱり「自己表現の場」と「仕事の場」っていうのをアプリオリに連続している考えるのはやめたほうがいいんではないか、と。もちろん、好きなことと仕事が一致しているのがいいとかいう話は昔からありますけど、それも必ずしも、みんなに共通した価値観じゃありませんし。むしろ、好きなものは趣味のままにしておきたいという人もいっぱい知ってますから。

という意味で、なんでもかんでも「仕事」に頼るのもどうか?と。
それを個人の価値観としてではなく、一般論的な方向にもっていくという意味では。

見ず知らずのためにする仕事、知ってる人のためにする仕事

それにやっぱり昨日の主旨でいう自分の生活に興味を抱くということは、それが仕事の糧になるという話とは別個に考えたいところ。
そもそも、なんでこんなに1日の時間の大半を仕事、それも見ず知らずの他人のためにする仕事に費やすようになったのか、という点で。
それならもっと家事あるいは限られた人によるコミュニティのための仕事に費やす時間、それに対する興味を増やすという選択肢もあるのでは、というところを考えたいんですよね。
このあたりは「1人のためのデザイン、少数の人々のためのデザイン」で書いた話ともつながることか、と。

  

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