あー、まともにデザインとか考えてる人のなかにはこう考えちゃうようになる人もいるのか、と思ったのが下記の部分。
「今後デザイナーはいなくなるだろう。将来のデザイナーは、パーソナルコーチや、ジムのトレーナー、ダイエットコンサルタントになるんだよ」
僕はスタイリストが必要って書いたけど、この感覚もわからなくはないんですよ。モノのスタイリングを通じて教えるのじゃ足りなくて、もっと手取り足取り教えるコーチ・トレーナー・コンサルタントのような人たちじゃないと、もう生活スタイル、ワークスタイルを提案することはできないかもという感覚。もはや、世の中、こういう雰囲気が漂ってるんですかね? 自分でデザインをやってきた人であり、それを「全ては不必要だった」と感じてしまう人だからこそ、ここまでの感覚に陥ってしまうのかもしれません。ちゃんと世の中とコミュニケーションしながら、物事を感じ、考えることのできる人ほど、こういう考えになってしまうのかもしれないな、と。
ライフスタイルの提案ではなく答えを教えるの?
そのくらい世の中情報が氾濫していて、かつ、それでいて昨日の「感じることと考えること」で書いたように自分で何かを感じ、それを考えることにつなげることができる人がどんどん少なくなっていることもあり、モノを通じたデザインによる生活スタイルの提案では、受け取る側が理解する力をなくしてしまっているということはあるのかもしれません。自分で自分の生活プランを組み立てられず、コーチ・トレーナー・コンサルタントなどに答えを教えてもらわないとダメになっているのかも。
でも、答えを教えてもらってもダメなような気もするんですよね。答えをそのとおり再現するだけなら一時的な対応にしかならない。応用力がつかないから、状況が変わればまたおなじように答えを教えてもらわないとならない。
だから、せめてコーチ・トレーナー・コンサルタントに教わるにしても、答えじゃなくて考え方を習わないといけないし、彼らもそれを教えないといけないのでしょうね。
というか、本当にスタルクのいう意味でのデザイナーがいなくなるとは思いませんけど。
むしろ、生活提案力、ワークスタイル提案力のないデザイナーが淘汰されるならそれはそれで結構かとも。
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