「自分っていったい何なんだろう?」っていう問いの立て方自体が間違ってる?

あー、なるほどなー、と思いました。

江戸が鎖国から始ったことも、これと深く関係している。鎖国は人の出入りを禁じたが、その理由は人が「情報のかたまり」だからである。情報は幕府が独占するものだったが、それは情報こそが社会制度だったからである。
養老孟司『人間科学』

ここでいう「これと深く関係している」の「これ」は、江戸期の封建制度が、農民は農民、武士は武士という風に人を社会的に固定したことを指しています。農民は農民としてのイメージを、武士は武士としてのイメージを社会における固定点として確立することで、それさえ守っていればあとの行動はどうでもいいという風にしたということです。

農民らしさ、武士らしささえ守れば社会的な役目は果たせるので、そうした社会においては自分らしさを問う必要はなくなる。自分探しもとうぜん必要ないわけです。
だって農民だもん。武士だもん。で社会的に十分通用するわけです。

個々人のなかで中身が日々変わろうとも、ある一定の農民らしさ、武士らしささえ、守っていれば、あとはどうでもいいわけですから、これはある意味、当人にとっても、他人にとっても楽な社会です。

西欧社会に作りつけの自己規定の突然の乱入!

一方、そこに突然西欧型の近代的自我の概念が入ってきたから困りました。
農民や武士という階級を社会における固定点にするのではなく、個人を固定点にしろというのですから。

変転きわまりないものとしての個、それを停止させるための身分制度、そうした伝統のある社会に、逆に個を固定点として導入しようとすれば、あらゆる問題が生じて当然だろう。
養老孟司『人間科学』

まさに当然です。
それまで自分なんてものは変わるのが当然で、それを規定(固定)することなど考えもしなかったし、その方法も持ちえなかった社会に、突然、自分らしさの説明責任が問われたのですから、問題が出るのは当然です。

日本にはそうした自己が欠けているという認識は、以前はごく当たり前だった。それは当然あるべきものが欠けているという意味でいわれたが、それはおそらく誤解であろう。西欧風の自己とは、西欧風の社会に作りつけの自己規定だからである。社会制度とその意味での自己規定は平行して存在するもので、どちらが先という親子関係があるわけではない。日本に西欧風の自己が欠けているというのは、日本社会と西欧社会が違うという叙述と、本質的に違うわけではない。
養老孟司『人間科学』

これもなるほどです。

自己の固定化は社会に対する固定化

PR下手で損してる人(たち)に贈る日々のPRを続ける5つのコツ」では、他人に自分の存在を知ってもらうためには日々自分を外部・社会に向かってアピールしていく必要性を書きましたが、そんなしち面倒くさいこと(僕にとってはもはや面倒なことじゃないけど)をし続けなきゃいけないのは、そうする以外に社会に対して自己を固定化する方法がないからです。

養老孟司さんはこの本のなかで、名刺のレイアウトは名前を目立つ形で中央におくより、肩書きを大きく中央におくほうがよいと書いていますが、それも肩書きが社会的に通用する肩書きとなっていればこそです。
いまの僕の名刺の肩書きは「チーフコンサルタント」となっていますが、この肩書きじゃ社会的には僕が何する人なのかを示すアイデンティティにはなりえませんよね。
その意味で農民は農民、武士は武士っていう社会的に通用する固定点を制度化した江戸期の封建制度ってすごいわけです。

で、間違って自分探しがはじまっちゃう

で、結局、名刺の肩書きもまったく社会的に通用しないから、個々人がそれぞれ社会に対して自分をアピールしていく必要が出てきてしまうのです。でも、まぁ、それはいい。それはまぁ、PRし続ければいいし、いまの時代、WebというパーソナルなPRツールがあるのだから、PRの方法に困ることはありません。

しかし、問題は何をPRしようか迷った人が「自分っていったい何なんだろう?」と自分探しをはじめちゃうことです。それって実は問題が完全にすり変わっちゃってます。

本来は人間という生物であるかぎり、自分なんてものは常に変化する存在です。すくなくとも「諸行無常」だとか、「盛者必衰の響きあり」とか、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」とか言ってた日本社会においてはそうだと思います。
そういう風に人間を捉えてきた社会において「自分っていったい何なんだろう?」などという問いは、そもそも個が固定点として成り立たないと感じている時点で、問いの立て方自体が間違ってるわけ。

だから、そうした常に変化する自己を認めつつ、それでもどうにか社会において自分を認識してもらうおうと思ったら、自分にとっても他人にとっても多少、手間暇が必要ながら、「PR下手で損してる人(たち)に贈る日々のPRを続ける5つのコツ」で書いたような日々の自己アピールを続けて、変化する自分をそのまま見てもらうしかないのかななんて思います。
移ろいゆく四季・自然を愛でたように、変化する自分自身を社会に愛でてもらえるようするしかないのかな、と。

ここで書いてることってWebでのブランディングと関係した話です。僕自身はそれについて語るのはもう面倒なので語りませんが、Webブランディングについてなんらかの提案をする必要あるいはその見通しがある人は、ここから考えを膨らましてもいいかもなーとは思います。
ブランディングって結局、どうやって社会・外部の認知と自分・内側の活動とをつなげればよいかって話ですから。これも特に日本社会ではね。

それにしても、この養老孟司さんの『人間科学』という本。「手入れの思想」というエントリーでも紹介しましたが、いろいろ考えさせられますし、おもしろいですよー。おすすめ。

  

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この記事へのコメント

  • Ken

    この記事にかなり救われました。
    ありがとうございます!
    2014年04月07日 20:50

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