90分×4本。時間にすると6時間程度の対面でのコミュニケーションをするわけですけど、何回やってもこれは疲れますね。
初対面のひと4人と対面して、限られた時間のなかで、その人のモノの利用状況なりを把握しようというのですから、そりゃ、緊張もしますし、どう投げかければ求める利用シーンに辿りつけるかとか、相手の答えた内容からシーンをイメージしつつ適切な問いかけを重ねて深掘りしていかなきゃいけないので頭は使いっぱなしだから、疲れるのはとうぜんかなという気もしますけど。
久しぶりの調査だったわけですけど、いつやっても感じるのは、ユーザー調査ってやれば1人1人から常にいくつか発見はあるなということです。
一人ひとりの利用状況にかならずいくつか発見がある
考えてみたら発見がないわけがないんですよね。デザインを考える側の閉じた世界からでた外の世界に触れるわけですから、それだけで発見はあるに決まってます。しかも、外の世界はつねに変化してるわけですから、前に調査をしたからってそのときといまがおなじであることはありません。定量的に数値化した状態ではおなじでも、定性的・質的な面で外の世界のユーザー一人ひとりの動きや思いに目を向ければ、すこしの時間で大きな違いが生じてます。
そういう状況なわけですからユーザー調査をすれば、リクルーティングさえ間違えずに、ちゃんと対象と考えるユーザーを呼べさえすれば、どの人からも必ず発見がある。しかも、その人ごとに発見できる内容が違うんですね。利用における状況と目的、求めるものがそれぞれすこしずつでも違うから、そこで生まれてくるデザインされたモノと人との関係性はやっぱりそれぞれ違っていて、そこに必ず発見があります。
もちろん、ユーザー調査から発見を得るためには「ただユーザーを観察すればよいってわけじゃない。」で書いたように調査におけるスキルとか意識とかいろいろ事前にできてなきゃいけないこともありますよ。でも、それが自分たちになければ、ほかにできる人を探してきてでもやったほうが発見が得られていいんじゃないかーと思うんです。
だって、事実としてのユーザーの利用状況、利用行動のなかにこそやっぱり次のデザインにつながるヒントはあると感じるから。これをやらないデザインプロジェクトは確実に損してるなってさえ思います。
課題は多くても、事実があるのとないのとでは違いが出る
もちろん、「HCDプロセスにおける上流工程と下流工程の溝」や「人間中心設計プロセスに欠けているのは具体的なモデリングの手法」で書いてるように、ユーザー調査からその分析、そして、ペルソナ/シナリオを使ったデザインコンセプトの明示からさらに具体的な仕様検討にいたる要件定義、さらに視覚化・具体化の検討のためのプロトタイピングという流れには、まだまだ連続性を保つのが困難というデザインプロセス上の現実的な課題はあると思います。- 事実をどう解釈(=整理・分析)するか
- 調査から得られたユーザー要求にどう優先順位をつけるか
- 要件を満たす具体的な解決策をどう構造化するか
- 構造・モデルを具体的なモノに落とし込む際にどのようなセンスを発揮して最終的なカタチを決めるのか
といったことを考えると、一連の流れは決して自動的には連続ではありません。それをプロジェクト上は人の叡智をもちいて連続的にすることが必要になる。それには論理的な面・感覚的な面の両方を含めた技術・技が必要になってきます。そこには一筋縄ではいかない課題があるのは否めません。
しかし、そうした課題を踏まえたうえでも、やはりユーザー調査による事実の把握そして発見には捨てがたい魅力があります。なによりそこには事実ベースでデザインに関する議論が可能になるという利点があります。マーケティング、デザイン、開発、生産など、異なる目的をもった異なる職能の人たちがおなじものを見て、ひとつのものづくりについて議論ができるようになるというのは、ユーザー中心のデザインを進めようとするうえでは大きな一歩になるのではないかと思うんです。
ユーザー調査で、実際のユーザーに出会うたびにいつもそういうことを考えさせられます。
明日は代休をもらって土日に続きがあって、また疲れるなーとは思いますけど、やっぱりそうやって発見の場に立ち会えるのは楽しいなと思うんです。
関連エントリー
- HCDプロセスにおける上流工程と下流工程の溝
- 人間中心設計プロセスに欠けているのは具体的なモデリングの手法
- ライフスタイルの提案力をなくしたデザイン
- 情報アーキテクチャとHuman-Information Interaction
- ユーザー調査とユーザビリティ評価の違い
- ユーザー調査とユーザビリティ評価を混同しない
- ただユーザーを観察すればよいってわけじゃない。
この記事へのコメント