誰のための方法?

PR下手で損してる人(たち)に贈る日々のPRを続ける5つのコツ」のはてブコメントに「自分の仕事を公開するということ。広義のAPI化かな(笑)」ってあった。
言いえてますよね。
自分の用途(アプリケーション)を公開して外から利用可能にするインターフェイスの役目になるのだから、まさにAPI。

1つの方法が万人に通じるわけじゃない

あと他のはてブコメントにそんなのできない人だっているみたいなのがありましたけど、できない人に無理にやれとかそんなことまでいってないんですよね。たかだか1つの方法でしかないのですから万人に適用可能なわけがそもそもない。
そのへんがどうも人間って思考がユニバーサルすぎるんだなってあらためて感じました。できるけど思いつかなかった人がやれば十分なんです。

APIの公開だって、すべてのWebサービスがする必要があるわけないでしょ? それとおんなじだと思う。

ユニバーサルを求めすぎる思考のあやうさ

あのエントリーはタイトルにもあるとおり、「for PR下手で損してる人(たち)」なんだから、そうじゃない人にあてはまらないのはとうぜんで、そこを指摘されてもなーって思います。PRをしないことで「損してない人」むしろ「得してる人」だっているわけでしょ。その人にとって理想的な状態ってのはそれぞれ異なるわけで、そのための方法だってとうぜん異なります。

PR下手でもっとやりたいことがあるのにやれずに損してる人向けの方法がそうじゃない人には合わなかったり、むずかしかったりするのはとうぜんでしょう。それにPR下手で損してる人全員にあの方法があてはまるわけもない。方法なんてそんなもんでしょう。そんな想定ターゲット外の人にあてはまらないことで方法を疑問視するということがあまりにユニバーサルな方法を求めすぎてる感じがしてあやうさを感じます。

誰のための方法?

すべての方法がユニバーサルに通じるとか思っちゃうこと自体、危険ですよ。それこそ、その方法が通じない人たちが生きにくい世界をつくっちゃうということは近代デザインが証明してくれたことですし。

人的なAPIの公開にしても「誰のための方法?」かですよ。
一神教じゃいけない。多神教的じゃないとね。オルタナティブをいかに想像できるかですよ。

 

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