机のうえを整理できない人は頭のなかの整理もできないとはいうけれど

机のうえを整理できない人は、頭のなかの整理もできないとはいいますが・・・。

憧れの職業のあの人や、気になるあのアーティストは、いつもどのような環境で仕事をしているのだろう…?そんな些細な好奇心から、私達はこれまでPingMagに登場してくれた人々や友人・知人などランダムにこんなメールを送ってみた。「あなたの机を見せてもらえませんか?」。すると意外にも、かなりの反応が!本日は2008年における日本でのイギリス年「UK-JAPAN2008」に便乗しつつ、ダントツで返信の多かったイギリスと日本で活躍するクリエイティブ業界の皆さんの協力を得ながら、「PingMagの机プロジェクト」と題して、様々な人の机を覗き見してみたいと思う。

これを見ると「整理」というのは、必ずしもモノがきちんと揃ったことのみを指すのではなさそうだなと思えてきます。
それこそ、人それぞれの「整理」の仕方があるのだろうなって思います。

机のうえと仕事

たとえば、柏木博さんが『玩物草子―スプーンから薪ストーブまで、心地良いデザインに囲まれた暮らし』にこんなことを書いています。

整理整頓されている部屋、乱雑な部屋、調和のとれた部屋、質素な部屋、さまざまな部屋がそれぞれの暮らしによってつくられます。そうだとすれば、部屋に置かれた什器や飾られた花などは、そこに暮らす人や家族の姿をそれとなく映しだします。そのことに意識的であろうとなかろうと、部屋に置かれたものは、そこに暮らす人の分身のようなものだとすらいえるでしょう。

「整理整頓されている部屋、乱雑な部屋、調和のとれた部屋、質素な部屋」はそのまま、「整理整頓されている机、乱雑な机、調和のとれた机、質素な机」に置き換えてもいいでしょう。
そして、「机に置かれた書類や飾られたおもちゃや作品などは、そこで仕事をする人の姿をそれとなく映しだします。そのことに意識的であろうとなかろうと、机に置かれたものは、そこで仕事をする人の分身のようなものだとすらいえるでしょう」と。

でも、必ずしも「整理整頓されている机」のほうが「乱雑な机」よりも仕事に向いているとはいえないだろうなと思います。先に紹介したページのクリエイターの写真でも、お世辞にも一般的な意味では「整理整頓されていない机」はいくつか見受けられました。ただ、人によっては「乱雑な机」のほうがよく仕事ができるかもしれません。

この場合の「よく仕事ができる」は必ずしも「効率よく」とは限りません。「気持よく」でもいいし、「よくアイデアが出る」でもいいはずです。その机を使う人がどこに価値を置くかでしょうね。ただ、自分の価値観に合うようなものがそこからは出てこないんだとしたら、机(または部屋)を整理してみてもいいでしょうね。

机のうえをデザインする

ただ、この場合、「整理」という言葉を使うと、どうも意味が限定されてしまうような気がします。こういう場合にこそ、「デザイン」という言葉を使ったほうがいいかもしれません。

机のうえを整理するんじゃなくて、机のうえをデザインする。

デザインなので、とうぜん、その形にしたわけがあるはずです。
人によっては単純に見た目の心地良さから机のうえをデザインする人もいるでしょう。
また、別の人は仕事の効率、特にどこに何があるかがすぐわかることを重視して、机のうえをデザインするかもしれません。
とにかくいろんなものを置いておいて、そこから刺激を得ようとする人もいるでしょうか。

そこから何を得たいかによって、整理の仕方=デザインは変わってくるのではないでしょうか?
何を得たいかという理(ことわり)があって、それに応じて形を整えること。それが本来の整理の意味なのかな、と。


頭のなかをデザインする

で、最初に戻って、「机のうえを整理できない人は、頭のなかの整理もできない」という話。

「整理」という言葉を先のように考えると、頭のなかの整理という話も、もうすこし多様性があってよいのかな、と。つまり、整理というのは必ずしも論理的に考えるということを意味しないのではないかと思うわけ。

頭を整理する際に、頭のなかの情報をなんらかのルールに従って構造化するという論理的な整理の仕方はとうぜんありだと思います。僕もよくそうやって考えているし、そのためにより構造が見えやすくなるよう紙のうえに手書きで構造化された情報を描き出すこともよくします。
でも、自分自身のことを考えても、それが決して唯一の方法というわけじゃない。とにかくいまなにが問題なのかだけを考えて、とにかく情報を詰め込むだけ詰め込みつつ「うーん」と唸っているうちに「あっ、そうか」ととつぜん絵が浮かぶこともあります。

頭のなかの整理というのは基本的には「情報デザイン」だと僕は考えていますが、その情報デザインの方法もかならずしも論理的な構造化だけじゃないと思うわけです。すくなくともUI上は、Googleのように検索窓1つ空いてるだけでもいい。そこに何かを入力すれば膨大な出力がなされ、そこに探し物を見出すというUIもあっていい。先の「うーん」と唸って「あっ、そうか」となるのはGoogle検索に近い気もします。

いろんなデザインがあっていいと思うんです。いろんな整理の仕方があって。

でも、1つ大事なことはデザインする=整理する目的を見失わないことでしょうか?
よくあるパターンとしては、結果としてのデザインだけが求められて、デザインする目的がまったく議論されていないというケースですよね。「誰のためのデザイン?」も大事だけど、「何のためのデザイン?」もこれまた大切という話。目的、用途のないデザインほどつまならないものはないと思うのは僕だけ?

 

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この記事へのコメント

  • 次郎

    もともと頭の中はごちゃごちゃしているのがいくつもネットワークを形成し複雑に絡み合っているものである。
    机が片付いていること=頭が整理されている。極端に話である。

    個人的経験では机の上が片付く職種は事務職に多い。

    2008年03月24日 18:03
  • tanahashi

    人それぞれの思考の方法に依ると思いますが、目の前のものと思考を関連付けて、ものを整理することから頭の整理をするタイプの人もいると思います。
    僕もものの整理と思考の整理は連結しませんが、頭を整理する際に紙に図を書きながら整理する点では脳とものを連結させていますし。

    なので、必ずしも「机が片付いていること=頭が整理されている」ことが極端な話ではありませんし、「机の上が片付く職種は事務職に多い」というのはぜんぜん別の話だと思いますよ。
    2008年03月25日 00:39

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