なんでもかんでもユーザーに聞けばよいってわけじゃない。

昨夜の「主張する組織」というエントリーを書いた意図をすこし補足しておこうと思います。

組織はもっと頭を使って社会に対して自らを主張しなくてはいけないと僕は思っています。それにはまず組織のなかが主張のある空間にならなければ、外部に対して主張できるようにはならないだろうというのが昨日のエントリーの主旨。

とにかくいまの企業は社会に対して主張をしなさすぎだと感じます。もっと明確な主張を言葉である以上に、態度として、企業が生み出す価値という形で主張する必要があるのだろうと感じます。

なんでもかんでもユーザーに聞けばよいってわけじゃない。

とにかく、なんでもかんでもユーザーに聞けばよいってわけじゃない。市場調査なんて手法に頼りすぎです。
いや、市場調査をすることが悪いのではなく、意志もなく主張もなく仮説もないのに市場調査だけやったってダメだろうと思うのです。

日本は二週間単位、半年単位で市場に即応していくビジネスは得意である。売上の推移や、顧客のアンケートなどを集めて数字を元に判断し、短期間で開発して「もの」をつくる。

奥山さんは、逆に日本は自分たちで率先して未来の種をまいて、それを育てていくビジネスが下手だと書いています。まさにそのとおりだと思います。

ユーザー中心のデザインもよくそこを誤解されています。
ユーザー中心のデザインを誤解している人は、ユーザーの声ならもう十分聞いているよなどといったりします。僕としては、むしろ、こういいたい。だから、ダメなんだって、と。ユーザーの声を聞こうなんて思ってる時点で、デザインする主体としての意識が足りないのだと。

デザインとはあくまで意思ありき、仮説ありきの活動です。
自分たちがまずどんな社会を実現しようか、そのためにどんなものをつくりだそうかという哲学・ヴィジョンがなければ、ユーザーの生活を観察したって何も見えてはきません。
人は見ようとするものしか見えないのです。見ようとしているものが何かがわからない人は、たとえそれが目の前にあらわれたとしても見落としてしまう確率が非常に高いのです。

観察のポイントはその場にない未来の形を見ることができるかどうか

ユーザー中心のデザインだろうとなんだろうと、最初に自分たちがつくりあげたいと思っているのはどんな世界なのか、そのヴィジョンがなければはじまらないのです。あくまで仮説ありきです。

そのヴィジョン・仮説を、現実の世界にフィットするようディテールまで落とし込んでいく作業。ユーザーを観察する場は、ディテールをもった形態としての変革を導くための思考を研ぎ澄ませる場にすぎません。そこで僕らは直接未来の形態を直接みる。まさに「最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と」です。いまのユーザーをそのまま見てもだめです。見えないものこそをそこに見る必要がある。

以前から、いろんな人の観察をみていると、デザインに関わったことがある人の観察と自分ではデザインに関わったことのない人の観察では見えるものの範囲が違うと感じます。やはり、デザインをしたことがある人のほうが、ものの形とユーザーの行動や心理との関係といった見えにくいものをきちんと観察で捉えることができます。観察とはまさにその場にない未来の形をいまその場で見て取ることができるかという点がポイントになるのだと僕は思っています。

その意味でも、ユーザーの好みはユーザーに聞くものではなく、観察とヴィジョンの相互作用のうちに生み出していくものです。

「狩猟型ものづくり」から「農耕型ものづくり」へ

まさにいま必要なのは「狩猟型ものづくり」から「農耕型ものづくり」への変革です。

今、なすべきことはプロフェッショナルとして現状を的確に判断し、「ここから先はこう行くだろう、自分たちはこう行きたい」と決めて、それに沿って種を植えていくことだ。「狩猟型ものづくり」から「農耕型ものづくり」へ転換していく。「ものづくり」の閉塞感から抜け出す道はそこにしかない。

いますでにあるユーザーの嗜好やニーズを狩るばかりでは仕方ないのです。そんなものづくりばかりしてきてしまったばっかりに何が本当にいいものかを見る目を失ってきてしまった感があります。他人の目ばかり気にして、自分の見る目を失ってしまった。そして、なんの主張もできなくなっている。

そういうものづくりばかりじゃつまらないなって思います。

それにはまず個々人が自分の見る目を養い、それに基づく主張を適切な形でできる必要があるだろうなと思うのです。

 

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