自分の基盤を考えながらつくること

昨日の「最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と」に関連した話ですけど、勉強をするのにも、情報収集するのにも、自分の基盤となるものがないとダメだと思っています。

普段からどれだけ自分なりの問題意識をもって物事を考えているか、何かをインプットする場合に自分の基盤になるものと照らし合わせてそれがどのような関係にあるか、ということです。

基本ができていれば、同じようなことを考えているほかの人のアウトプットをみた場合でも、どのような考えでそういうアウトプットをしたのかがパッと見でもなんとなくわかります。絵が浮かぶはずです。

即座に絵が浮かぶから、それをベースに応用することもできる。つまり、アウトプットが早いんです。
もちろん、その時点では借り物ですので、それを再度自分のものにするためには何度も使うなりして自分の身に染み込ませる時間がかかります。でも、それはまた別の話。最初の反応としてのアウトプットは拙速でよいと思います。いや、拙速でないといけません。
そういう繰り返しが自分の基盤づくりに役立ちます。

自分がどういうものになろうとしているか

で、自分の基盤ということですが、これは結局、自分がどういうものになろうとしているかと関わってきます。

仕事としてどういうプロフェッショナルになろうかと考える場合であれば、自分がどうなりたいかと同時に、それは社会にとってどんな役に立つのかも考えないといけないですよね。社会の役に立たないものであれば、売れませんからw 売れないと結局続けられないですよね。

基盤をつくる際には、自分にとってどういう価値があるかということと社会にとってどういう価値があるのかを両方考えながら、自分がどういうものになろうとしているかを考えないといけません。

部分的すぎてはいけない

社会に役立つかを考える場合でも、やたらと部分に特化してもしょうがない。部分だけでは社会に役立つアウトプットがつくれないからで、たとえ、自分がその一部しかできないのだとしても、自分ができない部分を他人がおぎなえるような形がとれるかを考えてみたほうがいい。その形がとれるならうまく協力して社会に役立つものを生み出すことに貢献できますが、そうでないなら自分の範囲を広げることも検討しなくてはいけないでしょう。

たとえば、最近だとペルソナなんかに注目が集まっていますけど、ユーザー中心設計(UCD)で最終的なアウトプットを出そうとすればペルソナだけでは話になりません。ペルソナをもとにモデリングし、プロトタイプをつくるという作業が欠けてしまい、全体としてのデザインの工程が成り立たないからです。
にもかかわらず、最近はどうもペルソナばかりが注目され、それを学べばよいのかと勘違いしている人が多いようです。自分の基盤としてUCDがあって、そのなかで自分はユーザビリティ・エンジニアになるとか、ユーザーインターフェイス・デザイナーになるとか決まっていれば、そのなかでどうペルソナを取り入れるのかという応用はできるでしょう。しかし、基盤がなくて部分的なことを学んでもそれを最終的なアウトプットにつなげることはできません。

自分の基盤づくりも自分で考えてやるしかない

そういう基盤があってはじめて自分で考えることがふつうにできるようになります。基盤がしっかりしていれば、外からくるものを入力する際にすでに理解できる(=絵が浮かぶ)ので、その時点でどう応用すればいいかがわかる(=編集できる)のです。

前に「良質のインプットは時間をかけることなく即座に昇華にいたる」や「1つ1つのインプットにこだわる眼力があってこその経験値」といったエントリーで、インプットとアウトプットはおなじだと書きましたが、それはそういう意味です。インプットする際にすでに自分の基盤との差異として絵(=アウトプット)が浮かぶので、インプットそのものが編集作業になります。

もちろん、最初から「自分の基盤」があるわけではないでしょう。しかし、その自分の基盤づくりもとうぜん自分でやらなきゃいけないことです。それはつねにその時点でもっている自分の小さな現状の基盤をベースに、外部からのインプットを自分で考えてとらえながら、その積み重ねで自分の基盤を固めていくという作業になるのだと思います。

もちろん、そのインプットは本やWebからのインプットだけではだめで、自分が作業を行うなかでのフィードバック、他人と仕事を進めていくなかでの失敗も含めた経験の蓄積がなくてはいけません。だからこそ、拙速なアウトプットをおそれてはいけないのです。

自分で考える枠組みをつくる

西村佳哲さんは『自分の仕事をつくる』のなかでこんな風にいっています。

日本の算数教育では、4+6=□という形で設問が用意されるが、海外のある学校では、□+□=10という設問で足し算を学ぶと聞いた。□の中に入れる組み合わせは自由であり、自分で考えるしかない。

「4+6=□」なんて枠組みのなかで考えていてはいけないのです。「□+□=10」という設問自体を自分でみつけることができるようにならないと「自分の仕事をつくる」なんてことはとうていできません。

そのためにも、いまはまだ小さな基盤でもそこからの経験・記憶の蓄積で、自分の基盤をつくっていく努力が必要だと思います。それには日々、実践的な努力のなかでどれだけものを考えられるのかを大事にすることが必要だと思います。

 

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