年の功だとか、日本型の知の普遍化としての型だとか

昨日の「狭義のデザイン、広義のデザイン」では、「最初に絵が浮かばない人はデザインに向いていない」なんて書きましたが、それと関連する意味合いで、実はある程度歳をとらないとデザインってうまくならないのかななんて思いはじめています。

やっぱりある問題に対峙した際にパッと絵が浮かぶってのは、ある程度自分に蓄積された記憶の量と種類が必要だと思うんですね。「「わかる」ためには引き出しを増やさないと」っていうわけです。その意味では年齢を重ねながら得た経験は「引き出しを増やす」ことにもつながりやすいのでは、と。

もちろん、歳さえとればいいわけではないし、「創造の現場における「知っている」ということ「身体が覚えている」ということ」で取り上げたようなモーツァルトの例もあります。経験を重ねるといっても、ある事象に対峙した際に何を感じ何を考えられるかは、その事象への対峙のしかただったり、いろんな要素によって違ってきますので、単にいろんな経験を積んだり歳をとったりするだけでは、引き出しは増えないし、パッと絵が浮かぶようにならないとは思います。

でも、そのほかの条件がおなじであれば、若い人よりは歳をとったほうが経験を豊富にすることは可能なわけで、その意味で、歳をとった人を辞めさせていく企業組織のあり方って歪んでいるというか、思い違いをしてるんだろうなと思います。

管理とデザイン

まぁ、そんなことを思ったのは、「狭義のデザイン、広義のデザイン」や「1人のためのデザイン、少数の人々のためのデザイン」で紹介した『デザイン12の扉―内田繁+松岡正剛が開く』に登場する10名の人びとが、1918年生まれの生け花作家の中川幸夫さんを筆頭に、ほとんどが1930~40年代生まれで、唯一の例外が1958年生まれの日比野克彦さんくらい。そして、この人たちの話がなんとも含蓄に富んでいて圧倒されるばかりなんです。
こういうのを見せつけられると、自分がまだまだひよっこであることを思い知らされます。

まだ全部読み終えてないので、あとで全体的な書評はあらためて書くとして、利休の茶碗をつくったことで知られる楽焼=長次郎の15代目となる樂吉左衛門さんの話にも、うーむと唸らされる箇所がいくつかありました(ちなみに樂吉左衛門さんは1949年生まれ)。

自分の焼物ができるだけ<デザイン>でないことをもって、評価するようなところがあります。<これ、デザインになってないからいいなぁ>といった具合なんです。焼物においてっこが膨れ、あそこがへこんでいることに意味はないわけですが、その意味を造形的に貫徹し、整理していくとデザインになります。そういうふうにわたしは<デザイン>という言葉を使います。
樂吉左衛門「日本文化が生まれる場と条件」
内田繁/松岡正剛 編著『デザイン12の扉―内田繁+松岡正剛が開く』

樂吉左衛門さんは、焼物は火の入り方でできあがりが大きく異なるし、火を完全にコントロールすえることはコンピュータを使っても不可能だから、偶然性におうところが大きいものだといったうえで、上記の言葉を発しています。
また、桃山時代の瀬戸黒、志野、織部と、江戸初期から中期の仁清や乾山の茶碗を比べて、後者が前者にくらべてデザイン性が強いことを指摘しています。つまり、偶然性を肯定し、不完全さを肯定する態度から、形式化・客観化する表現に変わっていったことを指摘しているのです。管理された社会である江戸の社会の雰囲気が焼物にもあらわれていると樂吉左衛門さんはいいます。

部分と全体

デザインとはまったく逆の発想だなと思えるのが次の箇所。

部分が全体を構成する部分として存在している、あるいは全体は部分を構成させることによって全体としての意味をもっている。そうした関係が、茶碗の中ではバラバラなんです。確かに、いい茶碗は高台だけ見てもいい。高台だけ見て、<ああ、いい茶碗だなぁ>と思えるんですね。高台の中に茶碗全体のよさがあり、同じように口づくりのあり方に全体のよさが現れます。
樂吉左衛門「日本文化が生まれる場と条件」
内田繁/松岡正剛 編著『デザイン12の扉―内田繁+松岡正剛が開く』

これが「判断力は情報デザイン力、物語化の能力」や「何が起こっているのかわからない状態を脱するための9つの工程」で書いた、問題の構造を把握することで判断=情報デザインを行うという発想とはまったく逆であることがわかりますでしょうか。
樂吉左衛門さんは、日本の文化の特徴として<相対性、非構造、不確定性に加担する姿勢>を挙げていますが、まさに高台や口づくりの良さだけをみて<ああ、いい茶碗だなぁ>と思える感覚は、デザイン思考の構造的な性格とは、まったく逆の視点から成っています。

ただ、これはどちらがいいとかわるいとかいう話じゃないと思います。僕はどちらにも惹かれますしね。デザイン的な思考もあり、こういう日本的な表現もあっていいと思います。

日本型の知の普遍化としての型

もう1つ、なるほどと思ったのは「型」についての話。「お能・老木の花/白洲正子」で紹介したように、能で重視されるというあの「型」です。

身体に根差した具体性が抽象の度合を深めると、最後は型に至るのではないか。そんなふうに私は思います。それは、日本型の普遍化とも言えますが、その意味構造は逆に無化され、型だけが残るといったプロセスを経るのが、西欧の知の普遍化とは大いに異なるように思います。
樂吉左衛門「日本文化が生まれる場と条件」
内田繁/松岡正剛 編著『デザイン12の扉―内田繁+松岡正剛が開く』

身体に根差した知が抽象化されて「型」となるのが日本型の普遍化であり、そこでは意味構造が無化されて型だけが残るというのは、なるほどと思います。
白洲正子さんも、能楽師は芝居のように心の表現をすることなく、無心で型どおりに舞うのだと書いていましたが、まさに能の型は普遍化された身体知なのでしょう。
このあたりが昨日の「1人のためのデザイン、少数の人々のためのデザイン」で書いた、デザイン分類のなかに「生活のルールのデザイン」「行事のデザイン」を含めておいた所以だったりします。知を型として普遍化して、身体で覚えられるようにするというデザインの方向性があるのだと思います。この作業は、生活習慣化や作法の再構築といっていいかもしれません。

年の功

この型の代表的な例として挙げられているのが、<南無阿弥陀仏>という念仏です。

法然は念仏を唱えるだけで救われると説いた、と先に言いました。救われる理由を明かすこともなければ、唱える条件も示してはいません。<南無阿弥陀仏>がその念仏ですが、この<六字名号>こそ、ここで問題としている型の原点だという気がしてならないんです。
樂吉左衛門「日本文化が生まれる場と条件」
内田繁/松岡正剛 編著『デザイン12の扉―内田繁+松岡正剛が開く』

<救われる理由>も<唱える条件>も明かされずに、ただ<唱えるだけで救われる>と説くこと。これは何にでも理由を求めがちな現代社会の思考とは大きく異なりますね。

でも、実は理由をやたらと問うようになったのは、そんなに昔のことではなかったのではないかとも思います。

ここで最初の「年の功」的な話に戻るのですが、年長者の知や威厳が素直に認められる社会であれば、実は理由を問うことなく、年長者がすすめる型の模倣を実直に受け入れることはそうむずかしいことではないのではないかと感じるからです。

たぶん、やたらと論理的な思考ばかりが蔓延しすぎて、それに慣れすぎてしまっている僕らは、高台や口づくりだけを見て<ああ、いい茶碗だなぁ>と思える力を失ってしまったんじゃないかと思うんです。
あまりに理屈でばかりものを考えるようになってしまったばっかりに、身体で感じたいいものを素直にいいと思ったり、身体的な知を備えた年長者の威厳に畏怖する力を失ってしまったのではないか、と。

大声によるプロパガンダを拒否し小さな声に耳を傾ける

それが結局、食品の成分表示の間違いをやたらと批判したり、芸能人がラジオでいった失言を単に不快に思って個人的にムカつくだけならいいのですが大掛かりな言論統制かと思えるような騒ぎに発展させてしまったり、そういうどんな失敗も許さないような社会のあり方は明示された情報にばかり頼りすぎた結果なのではないかと感じます。
そのことは「「はかなさ」と日本人―「無常」の日本精神史/竹内整一」でも書いたとおりです。

知が必ずしも西洋的な明示化された知ばかりではなく、意味構造が向かされた「型」としての知があるように、情報も必ずしも言葉として明示可能で、他人と容易に交換可能なものばかりが情報であるとは限りません。
「秘すれば花」と世阿弥はいいましたが、そこにないということが情報にもなりえますし、依り代に神が影向する際の「フラジャイル」な情報を感じとるということもあるはずです。

遠い風鈴はいまなお鳴っているはずなのである。ただし、その声や音は時を追うごとにまことにフラジャイルになっている。よほどにその「弱音」に耳を傾ける必要がある。いや、もはや大声によるプロパガンダを拒否し、あえて小さな声に耳を傾ける時期が来ているようにおもわれる。
松岡正剛『フラジャイル 弱さからの出発』

そのような声にもならない情報にこそ耳を傾け、感覚を研ぎ澄ます必要があるのかなと思います。

   

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