さっきも何より売ることを重視したマーケティング志向のデザインが、デザインのスコープを狭めてしまっているのではないかと書きましたが、今回はそれをもうすこし深掘りする意味で、内田さんが問題にしている<デザインがいきなり大衆を想定するといった近代の方法論>ということについて考えてみたいと思います。
1人のためのデザイン
以前に「ペルソナは用途を狭くし、そして爆発的に広げる」というエントリーで、ペルソナの効用としての特定の人物を想定したパターン化について、<パターン化、モデル化は、まさにこの潜在的な能力や可能性を可視化して、理解し、成果を生み出す知性として機能させるものだと思われます。それゆえにパターン化やモデル化は、世界や用途を狭めているというよりは、存在しなかった世界や用途を生み出すもの、潜在的なものを顕在化させるものだと思います。>と書きました。ペルソナ/シナリオ法に関する僕の考え方は、ある意味では、内田さんが以下で紹介している内容とも重なってきます。
内田 ソットサスは、「デザインはたった一人のためにあればいいんだよ」とよく言います。その一人の背後に百人いて、その百人の後ろにそれぞれ千人がいるかもしれないので、市場での成功を捨てるわけではありません。内田繁/松岡正剛 編著『デザイン12の扉―内田繁+松岡正剛が開く』
引用中の<ソットサス>とは、昨年末に亡くなった、イタリアの建築家、インダストリアルデザイナーであるエットーレ・ソットサスです。オリベッティのタイプライターのデザインで有名で、ユーモアのセンスや人間の内的な力の権威を欠いた70年代デザインへの反発として「メンフィス」というプロジェクトを1980年代の前半に展開したことでも知られています。
メンフィスの標的は、<マスプロダクション}であり、<だれのためのデザインかという問いかけ>として始まっているそうです。
そして、<1人のためのデザイン>に行き着いた。それはペルソナという特定の架空のユーザー像を前提としたユーザー中心のデザインと重なるところがあります。
しかし、メンフィスというプロジェクトはよりラディカルなものだったはずです。
ペルソナは1人のユーザーのためのデザインとはいっても、ペルソナをつくる時点で複数のユーザーの利用状況を調査した結果のデータを統合しています。それは純粋にだれか1人のためというよりも、あるユーザーグループを代表した架空ユーザーを対象にしたデザインとなります。
少数の人々を対象にした倶楽部デザイン
一方で、松岡さんは1人に対するデザインでもなく、<いきなり大衆を想定する>デザインでもない、中間的な発想をしています。松岡 ぼくはマスプロダクションと一人のためのデザインの間に、倶楽部デザインがあってもいいかなと最近思うんです。ごく少数の人々を対象にしたモノの系譜もたくさんあります。利休や織田有楽斉は多数を相手にしない倶楽部デザインによって、逆にブレークしました。内田繁/松岡正剛 編著『デザイン12の扉―内田繁+松岡正剛が開く』
これは確かにありだなと思いました。
1人を相手にするのは、実は先の内田さんの引用にもあったとおり、<市場での成功を捨てるわけではありません>。
しかし、松岡さんの提示している<倶楽部デザイン>は成功を捨てるわけではないにせよ、成功の形を変容させるものなんだと思います。
つまり薄利多売ではなく、最初からごく限られたサイズの需要(倶楽部の需要)を満たすことしか考えてないんですね。だれもが使うとかということは考えていない。ある特定の場だけで求められ、利用されることが想定されている。これは欲望のエデュケーションのしかたが通常のマーケティングとはまるで違うわけですよ。もちろん、ビジネスモデルも異なってくるはずです。
このあたりに何かマスプロダクション、グローバリズムを抜け出すヒントってないのかなーって考えてます。
ライトサイズのデザイン
「脳と日本人/松岡正剛、茂木健一郎」で、松岡さんの<ライトサイズで限定された組織の中で、かつ始源の「もどき」が生きるような「うつし」を許容する、そういう有機的な単位がもう少しあったほうがいいと思うし、それにもうちょっと目を向けたほうがいいと思うんですね。>という発言を紹介しましたが、まさに倶楽部というのはそのライトサイズなんだと思います。それはライトサイズの組織であり、ライトサイズの市場であり、ライトサイズの遊びの場、コミュニケーションの場なんだと思います。もちろん、倶楽部はそこで閉じているわけではなくて、参加者を介して、別の倶楽部とつながっている。その倶楽部にあわせたデザインを考えるというのが松岡さんの提案なわけです。
デザイン対象の分類(仮)
僕は、最近、デザインの対象をこんな風に分類できるんではないかと思っています。人びとの生活のためのデザインを考えた場合の分類です。- 道具のデザイン
- 生活の空間のデザイン
- 生活のルールのデザイン
- 行事のデザイン
- 言葉のデザイン
- 役割のデザイン
- 市場のデザイン
まだ、リストの精査が不十分だと思っていますが、本当はこれだけデザインの対象はあるのではないかと思っています。
それがどういうわけか、道具のデザイン、よくて、生活の空間のデザインくらいで、デザインの範囲が終わってしまっている。言葉のデザインとか行事のデザイン、市場のデザインなんかが自分の仕事の対象だと思っているデザイナーはほんとどいないんじゃないかと思います。
この分類に関してはあらためて詳しく説明したいと思っていますが、とにかくこれらのデザインを一気にやらないと倶楽部デザインっていうのは成り立たないんだと思います。
それを安土・桃山の時代にやったのが、利休であり織部であり有楽斉だったわけですよ。
それに比べるといまのデザインってずいぶん貧困になってしまったんじゃないかと感じてしまいます。
これはなんとかしていきたいですよね。
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