語彙を自分のものにするためには、言葉を私的な物語につなげることが必要

プレゼンテーションはうまくありませんが・・・。

重要なのは単語の数ではないのです。組み合わせです。自分が感じたこと理解したパターン・概念を体系立てて考えていくと、それは言語体系につながって行って最後は語彙に落ちていくと思うんです。

うまくはありませんが、積極的にプレゼンテーションしているという身としては、これはとても納得。いや、納得してるのは、元記事が自分だからかw

じゃあ、<自分が感じたこと理解したパターン・概念を体系立てて考えていくと、それは言語体系につながって行って最後は語彙に落ちていく>というのは、具体的に何をどうすればそういうことになるのか?というあたりに関して、最近、すこし思っていることを書いてみようかと思います。

ブログで読んだ本の書評を書く

まず「「わかる」ためには引き出しを増やさないと」や「ボキャブラリが少なければ他にどんなすごい技術を身につけても仕事はできないのかもしれない」を書いた際の反応として多かったのは、ボキャブラリを増やすために「本を読む」ということでした。

でも、先に引用したエントリーを書いているgothedistanceさんも感じているように、「本を読む」だけじゃ、語彙は増えないと思います。理解語彙は増えても使用語彙は増えにくいだろうなと思うのです。
使用語彙を増やすには、やっぱり覚えた語彙をつかってみる必要があると思います。
それには、gothedistanceさんが言っているように、「ブログを書く」ことが1つの手でしょう。

で、それを先の「本を読む」とつなげると、「ブログで読んだ本の書評を書く」というのは、使用語彙を増やす意味では練習の1つの形かなって思います。
読んだだけでは使えるようにならなくても、自分で書評を書こうとすることで、本に書かれた言葉に「つかう」という角度から触れることになります。

「あれもできる、これもできる」ではなく「あれもできない、これもできない」、しかし・・・」で、<他人が言った言葉で自分と考えが違うなと思ってもそのまま批判することしかできなくて、相手はなぜそう言ったんだろ、その背景にあるのはなんだろうというところから問題を展開して考えることができません。>ということを書きましたが、読むだけでは自分のものにできない言葉も、それを自分の思考を介した言葉として編集作業を通じて捉えなおすことで、自分のものに近づくようになるのではないかと思います。
gothedistanceさんの言葉で言うと<言語体系につながって行って最後は語彙に落ちていく>ですね。

当たり前ですが、これは1回やっただけで言葉が自分のものになるかというとそんなことはなく、繰り返し使うことで自分のものになっていくのだと思います。

ほかの分野の人と会話すること、ヒアリングを重ねて理解することが大事

おなじ意味で、やっぱり他人との会話のなかの話し言葉として、語彙を使用していくということが、使用語彙を増やす近道なのかなと思います。
それもいつも話している人ばっかりではなく、あまり話をしない相手、自分と異なる専門分野をもっている相手との会話だとよりいいでしょう。

その意味ではプレゼンテーションも大事ですけど、そこに至る認識あわせのための会話や相手の問題点を知るためのヒアリングなどのコミュニケーションは大事です。そうしたコミュニケーションのなかでプレゼンテーションに用いる語彙が拾えますし。

語彙を自分のものにするためには、言葉を私的な物語につなげることが必要

先ほどとおなじく「「あれもできる、これもできる」ではなく「あれもできない、これもできない」、しかし・・・」では、<「なぜ?」「どうして?」が問えないので、他人の話を聞いてネガティブな批判はできますが、他人の話から自分にとって意味のある問題を発見してそこから新たに自分なりの考察をすることができません。>とも書いていますが、この相手の会話のなかの言葉に対して、「なぜ?」「どうして?」を見つける力も、語彙を増やすことにつながるでしょう。
結局、<言語体系につながって行って最後は語彙に落ちていく>ためには語彙が具体的に経験できる事象とつながらなくてはいけないからです。

それが僕がいつも使う意味での文脈=コンテキストであり、それを物語と言い換えてもいいかもしれません。しかし、その物語は決してありきたりで受け売りの物語ではなく、自分自身の私的な物語でないと、そのなかの言葉を自分のものにすることはできないのではないでしょうか。つまり、使用語彙にするということがむずかしいのではないか、と。

距離感や他人との関係性がわからないという問題も、言葉が私的な物語、経験、コンテキストにつながっていないことに起因するところもあると思っています。
意識や記憶に言葉がおよぼす影響を僕らはきっと過小評価しすぎているのでしょう。言葉をちゃんと考えないと、距離感も他人との関係性もわからないんだろうなって思います。
わからないというかふらついてしまうんでしょうね。経験とむすびつかない言葉が氾濫しすぎているから。言葉の危機なんだと思います。

やっぱり自分で経験することが何より大事なことなんだと思います。そのための面倒は積極的に引き受けないといけないのでしょう。面倒を受け入れられる体力・足腰の強さが必要です。

<現代は面倒を避けすぎています。面倒なことはまた、それをやると気持ちのいいことでもあります。>

  

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