「忙」というのは、「時間がない」のではない。文字通り「心が亡い」、すなわち配るだけの心がない、ということなのだ。
でも、どこに「心を配る」のかということも、もう1つ問題としていいような気がします。
どこに「心を配る」のか
数日前に紹介した『「はかなさ」と日本人―「無常」の日本精神史』のなかで竹内整一さんがこんなことを書いています。「はかる」という営みは、人がある意図・計画をもって生活するときには、必ず求められる基本的な営みということができます。(中略)こうした発想が第一義になっている社会が、いわゆるbusiness(busy-ness=忙しさ)社会とのことですが、そこでは何より「はか」がいくこと、はかばかしくも結果を手に入れることが求められます。結果や成果から、今現在のあり方やふるまい方を決めるべく要請されてくるということです。
これを僕は「「はかなさ」と日本人―「無常」の日本精神史/竹内整一」というエントリーのなかで、デザインの問題でもあるなと考えました。
デザインとは、はかりごとにほかならないのですから。
では、そのとき、何をはかるのか?
生産性ではないことは「デザインへの理解を深める」で、「デザインとは、どうつくるかではなく、どう使われるかを考えることだと思います」と書いていますから、明らかでしょう。
だから、それは消費でもありません。
間違ってもらってはこまりますが、僕がここで言いたいのは、計画が必要ないなんてことじゃありません。「みんなで手を動かしながら考えるということを図にしてみました。」で計画が大事って書いてるくらいですから。
生産性を高めること自体はそんなにむずかしことではありません。こまめにアウトプットすればいいだけですから。
それよりむずかしいのはやっぱり、どこに「心を配る」のか、なのかなと思います。
生産ではつくれくない何か
白洲正子さんが『お能』生産/消費、あるいは、売る/買うという図式においては、生産者と消費者は対立しますが、使えるようにする/使うという図式においては、実はデザインする側と使う側の境界はもっとあいまいになるからです。
我々は皆デザイナーだ。そうである必然性があるからだ。我々は自分の人生を生きていて、喜びも悲しみも、成功も失敗もある。人生を通して、自らを支えるために自分の世界を構築する。それぞれの機会、出会った人、訪れた場所、手に入れたモノは、特別な意味、特別な情動的感覚を引き起こす。これらは自分自身、自分の過去や未来への絆なのだ。
ビジネスでは拾いきれないものがそこにあります。生産ではつくれくない何かがそこにあるのだと思います。
生産的ではあっても、創造的ではない
生産/消費の図式以外にも、暇が必要な場面はあるはずです。売る/買うだけに時間を使うのであれば、結局、忙しさ(busy-ness)に変わりはないのではないかと思うのです。
生産的ではあっても、創造的ではないのではないか、と。
そして、それはやっぱり「はかない」。
「はかない」という言葉は、基本的にはネガティブな意味内容をもっていますが、しかし同時に、そこにおいてこそ可能であるような、何かしらポジティブなものを見出すことができます。つまり、「はかない」状況というのは、その中でそれをあらためてきちんと受け取りなおすことにおいて、「はか」第一主義のbusiness社会の忙しさの中で、心亡ぼすことによって失ってきた-"忙"という漢字はもともとそういう意味ですが-何者かをとりもどすことができる状況でもあるということです。
売る/買うの世界同様、能の世界もせいぜい1~2時間のみ存在するはかないものです。
そして、それはある程度の期間、この世に存在している物理的なものであっても、おなじように無常です。
しかし、人はそういうものを生産し、利用し、ときにはそれを<特別な意味、特別な情動的感覚を引き起こす>ものとして愛します。
松岡正剛さんが『フラジャイル 弱さからの出発』のなかで、<ヒトは、こうした「ふるまい」を抜きにしては生活できないような社会進化をとげているのかもしれず、それを通して何かを伝播させ、授受してきたのだと考えるべきなのだ>と書いていますが、暇というものをこういうところに使えるよう、心を配るのもありなのか、と。
<われわれの体にひそむエネルギーは体表なんぞでは閉じきれない。いつもどこかにはみ出している>のであれば、はみ出すことに暇をつかってもいいのかな、と。
たとえば、忙しいなどといわずにブログを書いてみたり、と。
などと書いていますが、「原稿がさっぱり進まないのに、またブログを更新している。本当に救いがたいな。」というのは、おなじ立場。
やべっ、本当にちゃんと書かないと、ということを書きたかったのかも。
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