デザインとは、どうつくるかではなく、どう使われるかを考えることだと思います。
どうつくるか(ものからの視点)以上に、どう使われるか(ユーザーからの視点)を考えることを重視するからこそ「みんなで手を動かしながら考える」ことが必要で、そのプロセス自体をデザインしなくちゃいけないのだと思います。
どうつくるかは、デザインにとっては二義的です。
どう使われるかを考えぬいたうえで、使える状態を実現するために必要になる問題です。
もちろん、どうつくるかを考えることは大切なことだけど、デザインの第一義的な問題ではありません。
デザインするということは、制作することとは違うというのが前提です。
制作会社は必ずしもデザイン会社ではありません。制作者は必ずしもデザインする人だとはいえません。
デザインは制作と違うからこそ、つくるということも視野にいれて考えられるのです。制作作業そのものは制作するということについて考えられません。
人びとが使用するシーンをデザインする
また、どう使われるかも、どんな価値をもたらすために使うものか、ということがあって、はじめて意味をなします。人がどんな目的をもっていて、その目的を叶えるためにどんな支援が必要なのかです。
もし支援が必要ないならデザインも必要ない。人が自分の身体とごく身近でいつでも手にはいる材料だけで、目的の達成に事足りるのであればデザインは必要ありません。
そうではなく人が生活するなかで自分の目的を達成するのに不足を感じているときに、あるいは自身は不足を意識していなくてもそこに不足がありそうであれば、そこにこそデザインの出る幕があるのです。
だから、人びとの生活のなかでの目的を探り、そこに不足がないかを発見するのもデザインのうちなのでしょう。
デザインは人の目的達成のための不足を支援するものを用意し、その支援を人びとが利用できるようにするための一連の作業のことをいいます。
一連の作業における前半のコンセプトづくりまでの流れはこうでしょう。
いずれにしてもデザインありきじゃない。人びとの生活や仕事があって、デザインです。
そして、ものをデザインするんじゃなくて、ことをデザインするのだと思います。
人びとが使用するシーンをデザインするのです。
すくなくとも売るため、消費させるためのデザインははかない。
使っていないときのデザイン
付け加えれば、ここでいう「使う」という言葉は、実は「使っていない」ときのことも含めて使っています。多くのものは使うときよりも使っていないときのほうが多いからです。
洗濯機にしても自転車にしても食器にしても携帯電話にしてもWebサイトにしても、必要なときにだけ使い、あとは使われないまま存在します。
冷蔵庫や本棚や家などは常に何かを収容、保存しているという意味では常時使われているといえますが、人がそれらに対して何か行動をともなって使うことに限れば、先にあげたリストの道具群とあまり変わりません。
なぜ「使われない」ときのことをデザインのスコープにいれる必要があると思っているかというと、「使われない」ときでもそれらは存在し目にはいるからです。
それらは使う人に所有されている限りにおいて、存在を多かれ少なかれ主張するでしょう。
そのことはきっと「使う」こととは異なる要求をデザインに突きつけています。
どう所有するか。
一家に一台?ひとり一台?それとも集合住宅の建物単位でのシェア?
そういうことも含めてこれからはデザインを考える必要があるのでしょう。
デザインを考えるための言葉
せっかくなので、僕が読んだデザイン関連の本から、僕が気になった言葉をいくつかピックアップしておきます。- すなわち設計や、コンセプトの立案、あるいは「ものづくり」全体の枠づくりのことであり、身近な言葉では「ディレクション」ないしは「プロデュース」と同義と言っていい。
(伝統の逆襲―日本の技が世界ブランドになる日/奥山清行) - デザイナーとしてわれわれは、あるいはデザイン過程のデザイナーとしてわれわれは、デザイン創造の過程に何が含まれ、また創造活動が行われている間にどんなことが起こっているかということについて、かつてないほど明瞭に理解しなければならなくなった
(システムの科学/ハーバート・A・サイモン) - 今日なお多くのデザイナーが、見た目ばかりを気にして設計し、美しいものだけを作ろうと腐心している。彼らは、完成品の感触が悪かったり、重すぎたり、軽すぎたりしても気にしない。触った感触が冷たくないか、解剖学的に優れたフォルムだろうか、ということには関心がないのである。
(モノからモノが生まれる/ブルーノ・ムナーリ) - 日常生活を送るために繰り返されるさまざまな基本的動作を観察し、研究することで、人と向き合ったデザインを生み出すことができるでしょう。
(普通のデザイン―日常に宿る美のかたち/内田繁) - デザインは、製品にかたちを与えることだと思われている。しかしそれだけではない。それがかたちを成すための要因をしっかり見せることも、デザインの仕事である。
(デザインの輪郭/深澤直人) - 織部はこれまで述べたように「織部十作」を設けて、みずからはグランドデザイナーとして総合的な立場から情報提供、助言指導をした。また産業振興策としては生産効率の高い「連房式登り窯」の導入、異業種交流ともいえる染め(辻が花染の流行を敏感にとらえて)とやきものとの意匠デザインの交流、キリスト教の布教をつうじて入ってくる外国文化を大胆に取り入れる結果、おりからの経済繁栄と平和を謳歌する社会風潮を追い風に、異国情緒あるいはバサラ風の意匠が好まれて、桃山時代のやきものと呼ばれるほどに抽象かつオブジェ化してゆく、その先頭にたってリーダーシップを発揮したのが古田織部である
(千利休より古田織部へ/久野治) - 面白いのは行為そのものではなくて、その行為にいたる経過だ。本当に重要なのは完成そのものではなく、完成することだ。かくして、人間は一気に自然と直面することになった。人生に新たな意味が生まれて指針となった。茶は、単なる詩的な遊び事にとどまらず、自己実現の手立てとなった。
(新訳・茶の本―ビギナーズ日本の思想/岡倉天心著、大久保喬樹訳) - もちろん企業からの依頼ならば、その企業の利益になるようには、当然デザインします。でもそれによって最終的に自分たちの生活文化のアップデートにならなければ、本当のデザインにはならないのではないか。だから自分の好きなものをつくるのは趣味として休日に地下室でやれ、と言いたい(笑)。
(なぜデザインなのか。/原研哉、阿部雅世) - デザインにおける成功と失敗とは縄のように絡み合っている。欠陥に焦点を合わせれば成功に達しうるであろうが、成功した先例にあまりに多くを頼りすぎると失敗に導かれることになりうる。
(失敗学―デザイン工学のパラドクス/ヘンリ・ペトロスキ) - つまり、本当のイノベーションは買い物という行為自体をデザインしなおすことなのだ。
(発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法/トム・ケリー)
デザインが、制作・製造やマーケティングのおまけみたいになっている状況がすこしずつ変わってくれば、と思います。
デザイン関連書籍に関するエントリー
- なぜデザインなのか。/原研哉、阿部雅世
- 普通のデザイン―日常に宿る美のかたち/内田繁
- デザインの輪郭/深澤直人
- デザインの生態学―新しいデザインの教科書/後藤武、 佐々木正人、深澤直人
- 伝統の逆襲―日本の技が世界ブランドになる日/奥山清行
- 自分の仕事をつくる/西村佳哲
- デザイン言語2.0 ―インタラクションの思考法/脇田玲、奥出直人編
- 千利休より古田織部へ/久野治
- デザインと感性/井上勝雄 編著
- 誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論/ドナルド・A・ノーマン
- ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ/テリー・ウィノグラード編著
- システムの科学/ハーバート・A・サイモン
- 失敗学―デザイン工学のパラドクス/ヘンリ・ペトロスキ
- モノからモノが生まれる/ブルーノ・ムナーリ
- 発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法/トム・ケリー
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