創造の現場における「知っている」ということ「身体が覚えている」ということ

ブルーノ・ムナーリは『モノからモノが生まれる』のなかで「企画するのは、そのやり方を知っていれば簡単なことである。問題の解決に至るための方法を知っていれば、どんなことも容易となる」と言っています。また、『ファンタジア』では、子どもに創造の喜びを教えるワークショップを行うポイントとして「保存されるべきものは、モノではない。むしろそのやり方であり、企画を立てる方法であり、出くわす問題に応じて再びやり直すことを可能にさせる柔軟な経験値である」とも言っています。

確かに、そのとおりでやり方・方法を知っていれば、新たな問題に出くわしても焦ることなく手持ちの方法を引き出しから選んで対応することができます。問題の解法を「「わかる」ためには引き出しを増やさないと」いけないのは前にも書いたとおりです。

でも、問題を解く方法を「知っている」こと以上にすごいのは、問題を解く方法を「身体が覚えている」なんだと思います
知っている方法を適用するのではなく、問題に対応してほとんど自動的に身体が動く状態。そんな状態がつくれたら、これは無敵なんじゃないでしょうか。

モーツァルト

「下書きをしない天才」と言われるモーツァルトには、作曲の際に草稿や修正をほとんどしないという伝説があります。
小林秀雄はモーツァルトが手紙に書き残した彼の作曲の方法、「構想は、宛も奔流の様に、実に鮮やかに心のなかに姿を現します。然し、それが何処から来るのか、どうして現れるのか私には判らないし、私とてもこれに一指も触れることは出来ません」を引用したうえで、
「構想が奔流の様に現れる」人でなければ、あんな短い生涯に、あれほどの仕事は出来なかっただろうし、ノオトもなければヴァリアントもなく、修整の跡もとどめぬ彼の原譜は、彼が家鴨や鶏の話をし乍ら書いた事を証明している。
小林秀雄「モオツァルト」『モオツァルト・無常という事』

と書き、手紙に書かれたことはそのとおりで「少しも誇張されてはいまい」と考えています。
いまでこそ、モーツァルトが残した草稿や修正も見つかっており、すべてを頭のなかだけで作曲していたわけではないことがわかっていますが、作曲するのが早かったのは事実で、非凡な記憶力を持っていたのは多くの記録からも確かめられています。

「構想が奔流の様に現れる」。
僕は、方法を身体が覚えているという状態の究極の形がここにあるのかなと感じています。

変形するモーツァルトの身体

しかし、それはモーツァルトが天才だったということを意味しません。
少なくとも生まれながらの天才だったと考えることには大きな間違いがあると思います。

『クリエイティブな習慣』の著者であるトワイラ・サープは、天才と呼ばれるヴォルフガングに生まれつきの幸運があったなら、それは「作曲家でバイオリンの名手で技巧を駆使して鍵盤楽器を弾くことができ、息子に何らかの才能を認める」父親・レオポルトを持ったことであろうとして、ヴォルフガングと呼ばれるこの少年が"どれだけ「生まれつき」だったのか、疑問に思う"と書いています。

モーツァルトほど仕事に打ち込んだ者はいなかった。二十八歳になる頃には、彼の手は長時間にわたって練習、演奏し、羽ペンを握って作曲したために変形していた。それは有名なモーツァルトの肖像から欠けている要素である。
トワイラ・サープ『クリエイティブな習慣―右脳を鍛える32のエクササイズ』

サープは明らかに、モーツァルトの"天才"の理由を「生まれつき」の才能にではなく、練習や演奏、繰り返しの作曲という「習慣」に求めています。そうした「習慣」の象徴をモーツァルトの変形にした手に見ています。

しかし、変形していたのはモーツァルトの手ばかりではなかったのでしょう。それ以上にモーツァルトの脳のなかの神経網では大きな変形がおこっていたはずです。

千という数字の単位に込められた、いにしえの知恵

松岡正剛さんとの対談集『脳と日本人』のなかで茂木健一郎さんが、松岡さんの『千夜千冊』に関連してこんなことを言っています。

最近、持続するということの意味に改めて目覚めていまして・・・。(中略)脳の更新というのは案外とゆっくりしていて、時間がかかるのですね。習慣化したものでなければ形づくれない何かが必ずあると思うのです。そういう意味で、千日回峰とか、千という数字の単位には古の知恵があるように思えるのですが。
松岡正剛/茂木健一郎『脳と日本人』

「脳の更新」。まさに身体の変形です。身体に方法を覚えさせるということはそういうことなんでしょう。そして、それには反復的な行動、習慣化が必要なのでしょう。

問題の解法は「知っている」だけでなく、それを繰り返し使うことで「身体に覚えさせる」ということができれば、「企画するのは、そのやり方を知っていれば簡単」という場合の「簡単」さも段違いなものになってくるのだと思います。
スタートを早めるためには、意図的に過去の経験の蓄積を増やさなくてはいけない」し、「普通にできることのレベルをあげるための練習」が必要です。

僕が好きなディレクター

さて、こんなことを考えたのは実はモーツァルトの曲を聴いて感動したからでも何でもありません。
僕がいちばん好きなディレクターの仕事をひさしぶりに目の前にして、その凄さにあらためて感動したからです。

あるプロジェクトに問題が発生して、彼女にサポートに入ってもらったんです。
僕が(いや、僕だけでなく、その場にいた誰もが感じたんじゃないでしょうか)凄いと思ったのは、彼女がちょっと説明をしただけで問題の本質を的確にとらえ、さらにその解決法を的確に見出してみせたからです。

サポートを頼んだ若手のディレクターは「なんであんなにすぐにわかっちゃうんですか」とびっくりした声をあげていました。
その驚きはわかりますが、彼女なら「わかる」のも不思議ではないんです。彼女の積み上げてきた経験(自ら積極的に心がけて得た経験も、心ならずも巻き込まれた経験も、全部含めて)や、彼女自身の日々の作業や努力を考えれば、僕には凄いとは思えても、不思議とは感じないのです。
まさに彼女の場合、方法を「身体が覚えている」んだと思います。

自分で5回、サイトマップを書いてみればいい

そんなことを感じたのは、彼女が何気なく言ったひとこと。
「自分で5回、サイトマップを書いてみればいいんだよ」
5回というのは、今回のプロジェクトでは、ペルソナを5人作っているから。
若手ディレクターがそのペルソナを自分でちゃんと理解できていないと嘆いたことに対して、言ったひとことでした。
「5回、サイトマップを書いてみればいい」ということを、さらっと言えるのは、もちろん、彼女自身が普段そうしているからだと思います。彼女の言い方がそう思わせる言い方でした。彼女は普段そういう作業を通じて問題を自分で理解するということを行っているんだと思います。

みんなで手を動かしながら考えるということを図にしてみました。」で、「手を動かしながら考える」ということの意味を整理してみましたが、それを実践できている人がそばにいて嬉しくなりました。

彼女には、この場を借りて「ありがとう」って言いたいです。
単に助けてもらったということだけでなくて、いっしょに仕事ができて「ありがとう」です。
そのくらい、彼女と仕事をするのは楽しいし、得るものが多いから。

「知っている」状態から「身体が覚えている」状態へ

もちろん、彼女のような「凄さ」は一日にしては成りません。
そこまでたどり着くには、それこそ千回近い経験が必要なんだと思います。
成功経験も失敗経験も、そして修羅場の経験も含めて、自分でいろんな方法を試し、その場その場で自分で考えながら、経験を増やしていくことで、さまざまな問題を前にしても対処できる力を身につけることができるようになるんだと思います。

そのためにはまずいろんな方法を試してみないといけません。試してみるにはまず方法を知ることが必要です。方法を知る努力をし、頭で理解し、試してみる。繰り返し繰り返し試してみる。そして、試してみる際には常に自分で考えてみる、悩んでみる。

正解なんかないんです。方法は道具で成功への切符ではありません。
しかし、道具があれば問題に意味のある形で手を差し伸べることができるようになります。最初は道具を使うのにマニュアルを見なければいけない、おそるおそる使ったりしなくてはいけないのかもしれません。使い方には慣れてきても、使いこなしてそこから何かクリエイティブなものを生み出すまでにはまだ長い道のりがあるでしょう。
でも、そういう自分で考えながら具体的な作業努力をするということが結局、高い創造性を身につけるための近道なんじゃないかなと思います。
このあたりの道具と身体が覚えるということの関係は、やはり『脳と日本人』を引用した「iPhone/iPod touchと自転車のデザインの違い」で書いたことにも通じます。

そんな僕は、最近、KKD(勘・経験・度胸)をあらためて見直す時期なんじゃないかなと感じています。
これについてはまた別の機会に。

   

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この記事へのコメント

  • のち

    私は認知科学を専攻していました。

    身体が覚えている以上にすごいことが、身体が覚えていることを言葉で説明できることなんだという研究をしている教授のもとで学んでおりました。

    暗黙知を語れる知にすることが、さらなる熟達につながるという研究です。
    この記事につながる部分があったので書き込みさせていただきました。
    興味がありましたら諏訪正樹教授の研究を一度ご覧くださいまし。
    2008年05月08日 15:54

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