装飾には、教養が必要ですが、現代のデザインには、文化人類学的な発想が非常に少なくなってしまいました。ファンクションが勝ちすぎています。内田繁『茶室とインテリア』
西林克彦さんが『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』で書いていたように、文脈がわからなければ「わからない」のです。「わかる」ためにはある程度、記憶としての教養の蓄積が前提となります。目の前で見たものが自分の中に蓄積された記憶の文脈とつながってはじめて「わかった」となる。「そこにどのような意味があるのかという視点が加わると、突然、別のものが見えてきます」と内田繁さんも言っているのはそういう意味でしょう。そして、教養がないから現代人には装飾の意味がわからない。そして、現代のデザインからは装飾が消えてしまうのでしょう。シンプルがいいなどといいつつ、単に装飾、飾りのもつ意味を読み解く力が退化しているだけかもしれません。
見立て
日本の伝統的な表現方法に「見立て」というものがあります。文字通り、あるものを何か別のものに見立てて表現する方法です。りんごを切るのにうさぎを模ったり、にんじんで桜を模ったりするのも見立ての一種です。「「間」のデザイン」で書いた漢字から万葉仮名、そして、ひらがな、カタカナが生まれたのも見立ての手法だと見ることができます。中国の代表的な名勝、瀟湘八景にちなんで近江八景や金沢八景なども見立てられたといいます。そして、見立ての手法がもっとも花開いたのは江戸時代の浮世絵や歌舞伎の表現であったそうです。山田奨治さんの『日本文化の模倣と創造』を参照すると、浮世絵では、和歌や謡曲の一節に見立てた様子が数多く描かれていたことがわかります。「見立て絵」というと鈴木春信の作品がよく例にあげられるそうですが、春信の『見立佐野の渡』という町娘が振袖を上げて雪をしのぎながら橋を渡る様子を描いた作品は、藤原定家の
駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮藤原定家
という歌を見立てたものです。この絵を見る際には定家の歌を知ったうえで、馬の背に乗った定家が町娘に置き換わっている妙味を楽しむ必要があるわけです。
春信の浮世絵は江戸庶民が楽しんだものである。現代人にとっては高尚な古典でも、江戸時代には広く庶民に古典の素養があったことを、「見立て」絵は証明している。江戸時代の寺子屋では、百人一首や論語を暗唱し、中国の古典は長唄などの庶民の芸能にも取り入れられて、芸を楽しみながら親しまれた。山田奨治『日本文化の模倣と創造』
見立て絵を楽しむためには古典の教養が必要でした。それはパロディを笑うために元の作品の知識が必要なのとおなじです。
しかし、
現代人は、見立ての能力を喪失しつつあります。内田繁『茶室とインテリア』
見立てを「わかる」ために必要な教養が足りなさすぎるからです。
飾って変化を招く
内田繁さんは「飾ることは、見立ての楽しみでもあります」とも言っています。また、日本の家はもともと家具などのものを固定せず、基本的には部屋には何もない「ウツ」の空間が基本で、季節や行事にあわせて、襖と障子を入れ替えたり、暖簾や御簾、屏風などの可動式の間仕切りで空間を区切ったり、掛け軸や花などの飾り物や雛人形を使って部屋を演出したりと、おなじ部屋をハレの空間にしたりケの空間にしたり変化をさせたものだったとも書いています。
飾り物だけでなく襖や障子などでさえも、その都度必要なときに部屋に持ち込まれ、使わないときは納屋にしまわれていたのが普通だったそうです。壁が固定され、その壁を絵や写真でびっしりと埋めたまま、固定させておく西洋の住空間の装飾の仕方とは大きな違いがあります。
茶の湯で主人が招く客の好みに応じて茶席を軸や花、用いる茶器などを選ぶ工夫をするのは、特別なことであるというよりも日本の生活文化においてはごく普通のことだったのかもしれません。
好みと教養
もちろん、そんな茶の湯においても、見立てという手法は主客が一座建立をするための基本的な手段だったようです。茶の湯も主客が心をつなげて「取り合わせ」をたのしみます。その日の季節や時間にあわせて趣向を用意する。床に掛物を掛け、その日の趣向を暗示する花を活けておく。一輪かもしれないし、花のない草かもしれません。釜も選びます。茶入や茶杓にも賦物の意向が忍ばせてある。やがて亭主があらわれて茶を点て、用意の茶碗を客に差し出すと、そこに一番の「好み」があらわれ、その茶席の数寄の感覚がどのような賦物で見立ててあったのかが、忽然と見えてくるのです。松岡正剛『日本という方法』
茶の湯においてはこのような形で主客のコミュニケーションが行われ、茶の湯という遊びが成立していたのだと思います。
そして、主人が自身の好みを客にあらわし、かつ客の好みも考えて趣向をこらすという場合のその「好み」のうちにはまぎれもなく教養が含まれているのがわかります。教養がなければ客は主人の趣向を読み取ることができず、茶席での遊びは成り立たないからです。見立てが成立しなくては茶の湯の場自体が成立しないのです。
見立てという方法とともにある日本
日本において見立てという手法が基本的な表現方法の1つとなった背景には、あらゆるものが外来のものをスタートとして最初は見立てを行い、徐々に見立てを超えた日本独自のものを生み出していく必要があったからなのでしょう。ひらがな、利休の楽茶碗、たらこスパゲティ。
真名があり仮名があるように、真の茶があり草の茶があるように、日本を強く意識すればするほど源流にある外来のものが浮かび上がってきます。それは単に相対的に日本を意識するということではなくて、見立てたもとのものからのズレとしてしか日本というものが存在せず、その見立てという方法そのものが日本であることを認識することなのではないかと思います。
見立てとコピー/オリジナリティ
「装飾には、教養が必要ですが、現代のデザインには、文化人類学的な発想が非常に少なくなってしまいました。ファンクションが勝ちすぎています」という内田繁さんの言葉は、単にデザインの問題という以上のあやうさを感じるものです。そのあやうさの1つは日本を意識するために必要な見立てを行えるだけの教養を失ってしまっていること。
また、もう1つは見立てとコピー/オリジナリティの区別がわからなくなってしまっているということ。
伊勢神宮が20年周期で遷宮を行うのは単にコピーを再生産しているわけではなくて、古いものを新しいものへと遷すことによって、生物が子を産むように新しいものを生み出しているのに近いのだと思います。
結局、見立てがわからないというのは、違いが「わかる」目がない、教養がないということなのだと思います。だから、見立てとコピー/オリジナリティの区別がわからない。著作権がどうたらこうたらとか、ものから経験へだとかおかしな話になるんではないかと感じます。
「身体なき体験の終焉(いや、はじまってもないけど)」で消費と所有の話を書きましたが、現代は新しくするとか変化を招くということと消費するということのあいだにあまりにも強い関連づけをしすぎているのではないかと思います。
そうではなく、ウツの空間をその日、その場に応じて飾りなおす、趣向をこらしなおすという感覚をもう一度取り戻してもいいのではないでしょうか。そんなことを最近考えるようになりました。
ブルーノ・ムナーリ展を見ながら
消費や経験という外から与えられる物語とは異なる、暮らしの物語を人びとが自分たちの生活のなかで再び語り始めるにはどうしたらいいか?今日、板橋区立美術館で行われている「生誕100年記念 ブルーノ・ムナーリ あの手 この手」を見ながらそんなことを思いました。僕らはきっと図画工作的な手作業がもたらす知識をここで書いたような教養とともに身につけなくてはならないのではないか。クリエイティビティが必要とか言われてますが、いま必要とされる創造性というのは「広告のクリエイティブ」とかいう場合に使う「クリエイティブ」とは無縁の生活に馴染んだ図画工作や家庭科で本来教えてもいいはずの生活文化につながる創造性なのだろうなと思うのです。
なんだか考えが完全にまとまらないまま書いていますが、この問題は今後も続けて考えていこうと思いました。
関連エントリー
- 「間」のデザイン
- 身体なき体験の終焉(いや、はじまってもないけど)
- 普通のデザイン―日常に宿る美のかたち/内田繁
- わかったつもり 読解力がつかない本当の原因/西林克彦
- 新訳・茶の本―ビギナーズ日本の思想/岡倉天心著、大久保喬樹訳
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この記事へのコメント
近藤卓浪
私は「見立て」をテーマに作品制作しております。
自然と、人間の意識にあるものを結びつける、あるいは見たてることで新しい表現が生まれるのではないかと
思っております。
風の色
日本人が『見立て』のおもしろさを味わう事が少なくなったとのは、確かに元のものを知らないという“教養のなさ”もあるでしょうけど、『イメージする能力が萎む生活』というのもあるのではないでしょうか。
その生活の土台となるのが幼少時の生活にあると思います。幼い子どもはよく『見立て遊び』をします。その豊かなイメージ力と発想力には大人はついていけません。しかし、何故かその見立て遊びを卒業してしまう時がくるのです。速さと効率を求められ、“現実”重視の生活をする現代人の生き方が、子供たちの“イメージ力”を失わせてしまい、またその子供が大人になり…となってませんかね。かつての日本は大人も子供も見立てを遊ぶ“ゆとり”があったのだと思います。現代人は縛りを解く必要があると思います。さて何の縛りでしょうか。