その原因が、何を作っているかわからないというのは、それぞれのウェブ屋が持っているプライド(お客に納品したものの品質)そのものを疑っているというわけじゃないのですか?
そんなことは疑ってはいません。これっぽっちもね。いや、疑うどころか、先のエントリー「Web屋さんって何をつくるお仕事なんですか? その職業の方は必要なスキルが多いんですか?」ではその点に関してはまったく問題にもしてません。見ず知らずの人のことまではわかりませんが、すくなくとも自分のまわりの人間の納品物に関しては何も疑うところはありません。疑うくらいなら、現場で文句いいますよ。
ここだけはいったいどう誤解をすればそんな話になっちゃうのと書いておきたいと思います。
上記のエントリーは、まったく僕の書いていることを読み違えているとしか言いようがありません。とはいえ、僕の伝え方が下手なのもあるでしょう。その点は誤解をさせてしまって気分を悪くしたなら素直に謝ります(P.S.先のエントリーのコメントに「言い回しが断言的すぎる」というご指摘をいただきましたが、おっしゃるとおりですね。断言的すぎては伝わることも伝わりません)。
それにしてもあの誤読の仕方はあんまりだと思いますので、すこし違う角度から説明を。
「何をつくっているか」という問いはエンドユーザーや未来のユーザーの視点から発しています
「何をつくっているか」を考える必要があると言っているのは、顧客の立場、あるいは、エンドユーザーの立場、さらにいえば、まだ生まれてもいない人たちの立場で「何をつくっているか」あるいは「何をつくっていこうと考えているか」を問題にしています。問題にしているというのは、未来にはもっとWebの可能性が広げられるはずだと考えるからです。その未来の可能性こそを「何をつくっているか」と「何をつくっていこうと考えているか」と問題として考え、実現していかなければならないのだろうなって。なので、もしかすると、わかっていないと感じたのは、その未来の可能性の大きさについてです。もっとその未来に賭けてもいいのではないか? そう感じました。それにはまた必要なスキルが増えるかもしれませんが、それって大変ではあるけど、同時に喜んでもいいことじゃないかっていうのが、まず僕の見解です。
それから、発注先企業の立場で「何をつくっているか」考えるというのは多くのWeb屋ができているところでしょう。ところが、エンドユーザーの視点や未来の人たちにとって「Webとは彼らの生活文化の何の役に立つのか」という問いかけがまだ足りないと思います。これは僕の認識不足でしょうか?
僕はこの部分をどうにかしなければと思うからこそ、クライアント企業にユーザー中心のデザインのアプローチを提案し、提案を受け入れてくれた企業にはユーザー調査やユーザービリティ評価の手法を用いて、利用者の立場からWebのデザイン問題を解決するサポートをしています。ユーザー調査やユーザービリティ評価の度に自分たちや別の人がつくったWebサイトをユーザーが使うのを見て、「そんな使い方をするのか?」と驚きを感じるのは僕だけがユーザーのことをよく知らずにいるのでしょうか。たぶん、そんなことはないはずです。たぶん、みなさんも目の前で実際のユーザーがサイトを使うところを見たら驚くはずです。もしかすると、がっかりするかもしれない。このがっかりを実際に何度か感じてしまっているからこそ、まだまだWebの分野はやることがあるなと感じるのかもしれません。
その意味では、必要なスキルのリストにはユーザー調査やユーザービリティ評価のスキルが含んでもいいのかも。
現状を問題視しているのではなく未来を問題視しています
未来の生活文化においてWebは「何をもたらしていくのか」を真剣に考える余裕や成熟がそろそろWeb業界にもできてきたはずだと思っているのです(もちろん、業界内にも偏りはあると思いますが)。それくらい、Web業界というのも結果を残してきたはずだと認識しています。それはとうぜんWebの業界で働く人たち(自分も含めます)のがんばりが実を結んだ結果だと考えています。だからこそ、次のステップも考えなきゃ、といったところです。現在においても完璧とまではいわないまでも、そこそこのことができていると感じるからこそ、もう一歩ステップアップしようって思うんです。
ですから、目の前のことを言っているのではなく(それに関しては繰り返しますがよくここまで来れたという気持ちのほうが強いわけです)、未来について問題にしているつもりですが、やっぱり書き方があれでしたね。ここは素直にごめんなさいです。
未来が問題だということはあのエントリーでも書いたつもりでそいたが、そこは断言的な書き方のせいで伝わらなかったのでしょう。ここは反省すべき点ですね。
ただ、やっぱりここだけは誤解のないようにしておきたい。僕自身は、業界の内側からみてどうかということなどを問題にしているわけではない、というところは。
むしろ、業界の内側からばかりみたのではもう1段階のステップアップができないと思うからこそ、「何をつくっているか」を考える必要があると思うのです。それには視野を広げないといけない、というのが僕の方法論。でも、これだけが解決策ではありません。もっと多くの解決策があっていいはずです。
自分自身がWeb業界にいるわけだし、まわりのがんばりを見ていれば到底「プライド(お客に納品したものの品質)そのもの」を疑う理由などありません。先のエントリーでも「他人事ではない」と書きましたが、「何をつくっているか」を考える必要があるのは僕自身の問題でもあります。そして、それを考えることに決して十分だと満足できる答えなど見つかるわけはないし、それを探していくのも含めてWeb屋の仕事だと僕は思っています。
未来に向かってスキルは増える一方。でも、そこにやりがいがあるのでは?
だから、「求められるスキル」のリストなんて増える一方だと思うのです。でも、必要なスキルが増えるってこと字体は悪いことではないですよね。僕自身は、必要なスキルも身につけるスキルもどんどん増やせばいいと本気で思います。そのほうがきっと楽しいはずです。まぁ、スキルを身につけるのは大変ではありますが。スキルを伸ばすためなら車業界や建築業界でもなんでも自分たちに役立つスキルはどんどん盗んでいけばいいと思うからこそ、車や家の例を出したつもりです。それが「一見縁遠きものたちの間に脈絡を付ける」という思考の方法です。車や家の例は、一見遠くて何の脈絡もないからこそ出したんです。そこにどう脈絡を見つけて何を得るかはそれぞれの思考の結果次第です。ただ、手をつけない限り何も得ることはできないとは思います。欲しいものがあれば貪欲にいろんな手段を使ってそれを手に入れるために足掻いてみてもいいのではというのが僕の考え方です。
また、あのエントリーでも書いていますが、いまではきちんと分業が成り立っているように思える業界だって、最初からきちんと分業できていたわけではなく、最初はスキルの混乱だってあったはずです。でも、それをきちんと整理していったのはほかでもないそれぞれの業界の中の人たちの努力だったはずです。Web業界だってこれから自分たちで分業化を行うという仕事をやっていく必要があるのではないでしょうか。その仕事もこれからやっていくべき仕事のリストに追加していいでしょう。
そういう意味でスキルも仕事も「多すぎる」なんてことはないのでは?って思います。現状で多いなんて言ってる場合じゃないのかもしれないというのが僕が受けている印象です。これは過酷なハードル設定かもしれませんが、でも、ハードルは高いほうがやりがいはありませんか?
納品物の品質に、ユーザーの利用品質をプラス
もう1つ納品物の品質ということに関して。私はあなが真剣にウェブ屋が何を納品しているのかを見ようとしているとはとても思えない。
納品物は大切です。仕事ですし、客商売ですから。その品質を疎かにすることなんてできません。確かに、僕は分業された体制のなかでWebサイトという制作物としての納品物はあまりみていないかもしれません。正直、自分自身の上流工程での納品物をつくるのに手一杯になっているところだってあります。それは単なる言い訳でしかないかもしれませんが。
でも、納品物の品質に関しては僕はおなじ会社で働く制作者のつくるものの品質を疑っていませんよ。そんなの疑ってたら、デザインの上流工程での自分の仕事も全力でできませんから、具体的なデザインに落とし込む設計者やそれを実装する人たちのことなんて疑ってられません。むしろ、具体的な設計や実装の品質が高いと感じられるからこそ、僕は自信をもってコンサルティングや企画提案を行えているのだと感じています。クライアントに自信をもって提案できるくらい、自分のまわりの品質は高いと信じています。ほかの会社の人のことまでは知りませんが、自分のまわりの人間のことを信じずに仕事ができると思いますか。まぁ、できる人もいるかもしれませんが、僕には無理です。そんなに器用じゃないですから。
でもね、納品物の品質とは別にもう1つ考えていかなきゃいけない品質があると思います。それはやっぱりエンドユーザーの利用品質です。ここはむしろ上流工程の仕事をしている僕らがいかに最初の段階でユーザーの利用状況とその背後のニーズを把握し、それを正確にデザイン・制作に関わるメンバーに明示できるかが鍵になると思っています。正直、この過程の品質は制作物の品質に比べるとまだまだで発展段階にあると感じています。制作のスキルが十数年かけて積み上げてきたものに比べれば、観察主体の調査でユーザーの利用状況を把握しその背後のニーズとともに明示するという技術に関するスキルはまだまだ研かれている途中だと認識しています。
自分たちの仕事を定義するということ
Web屋の仕事は、つくって終わりではないはずです。本来なら納品して終わりはないはずです。僕らはエンドユーザーが利用してくれることを想定してWebをつくっているはずです。それなら、納品して終わりでいいわけはないでしょう。なんとか利用品質まで含めて、自分たちの仕事だといえるようにしていかないといけないと思います。ここが課題。いまでこそ、多くのWeb屋がビジネスモデルの関係上、つくって終わりにせざるを得ないのですが、そこも含めて自分たちの仕事(「何をつくっているか」)を定義していかないといけないのではないでしょうか。それはビジネスモデル自体の再定義にも関わる話です。これもいまの話をしているのではなく、これからの話をしています。そして、これも他人がつくってくれるのを待つべきものではなく、自分たちがつくるもののリストに含めないといけないのかなって思います。
最後に、自分たちの仕事を定義することの重要性を説いたのは、故ドラッカーです(確か『プロフェッショナルの条件』
もちろん、いまがなければ未来はない。その意味ではいまを大事にしなきゃいけないのだろうし、ホームページを作る人のネタ帳の熱い思いも理解できます(顔見知りだったらもっと理解できるでしょうけど)。でも、同時に未来についても考えないと、やっぱりいまのがんばりの成果が途絶えてしまうという危機感を僕はもたざるをえません。性格的なものでしょうか。だからこそ、ドラッカーの言葉が忘れずにいられないのかもしれません。
以上が、誤解を解くために僕の考えを再度まとめさせていただいたものになりますが、「何をつくっているか」という問いが「web屋として今までやってきた事を『そもそもweb屋は、なにをつくってんのかわかってない』等と」言っているのではないことは理解いただけたら幸いです。
繰り返しますが、過去や現在のWeb屋の仕事には僕だって満足しています。
その上で僕が問題にしているのは、これからの、そして、未来のWeb屋の仕事なのです。
もちろん、それに満足できる人なんてただの1人もいないはずです。また、やってもいないことなのですから。
お休みのところ、みなさん、お騒がせしました。
それではよいクリスマスを。
Joyeux Noël
僕のほうはやらなきゃいけない仕事を片付けるとします。
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この記事へのコメント
とおりすがり
話を掏り替えすぎてて結局何が言いたいのかわかりません
あなたの負けです
かなり通りすがり
誰が勝ちとか負けとかはどーでも良いですが。。
hidetox
「現状しか見ていない人」
「業界内部の視点しか持たない人」
が多いので、有益な議論だと思います。
kh
このエントリーを読んで、自分がどんな姿勢でこの仕事にあたってゆけばよいか見えてきました。
わたしには目の前のことだけではなく大きな視点を知ることが必要でした。
こちらのブログを最初に見つけて読んだときは私の怠けた脳では読解力が追いつかない部分もありました、が、興味深い内容が書かれてあることは何かとても伝わってくるのでいろいろと読んでいるうちに、すらすらと入ってくるようになってきました、解らないところは何度か読んだり言葉を調べているうちにその趣旨が見えてきました。
これからも読ませていただきたいと思います、楽しみにしています。