「考える」こと、「アウトプットする」こと、そして、その基盤として必要なボキャブラリとそれを獲得するための訓練・練習について、一連のエントリで書いてきました。
- 頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない
- 語彙が少ないと仕事の能率もわるい?
- 好奇心とは独創的な問いを発見する情熱である
- ボキャブラリが少なければ他にどんなすごい技術を身につけても仕事はできないのかもしれない
- Fw:本当に考えたの?(それは「考えた」と言わない。)
- 仕事のOS:語学力は反復とか記憶以前に感受性
- 「考える」方法を学ぶ
- 普通にできることのレベルをあげるための練習
自分でもこうやって書いていくと、まわりの人もそれについて参考になる話を書いてくれるので、より自分が考えることに役立ちます。
そんな参考になったエントリーをいくつかご紹介。
気になったものを順不同に。
- どこで考えるときにどうやれば良いのかを教わるのか - 発声練習
いろいろな人が考えるときには、考えたものを実際に目で見える形にしなければならないと同意しているのに、どうしてこの技術が小学校~大学までの間で、教えられないのか?
- ちょっとボヤいてみる 考えるは指先から
これは当初、ありえないと思いました。
なぜならアイデアは頭の中で考え、それを表現するために書くと思っていたからです。
しかし、実際は書くことによってアイデアは生まれると思うようになりました。
それは実際、書いた方が結果を残せているからです。
- 美術鑑賞の記憶。 | フランスコネコ
美術品についてうんちくを語るのは到底無理だけど、自分なりの視点を持って観ていればその場でも楽しめるし、記憶にも残って後からもっと知りたいと思ったり、また観に行きたいと思うようになるんだなと思います。
- クロノス・クラウン - 記事 - Fw:本当に考えたの?(それは「考えた」と言わない。
私にとって「考える」とは、「完成品を作ること」です。
なぜならば、私の人生のテーマの一つは「思考と結果の時間的距離を限りなく近くすること」だからです。
思考した瞬間に完成させる。そして、人生の密度を上げ、死ぬまでにやることを増やす。
- スキマカフェ: ダメなアウトプットでもいいから…。
棚橋さんが言われている、そういう人には「考える」って頭を使うことじゃなく手を使うことですよって言いたい。
という言葉通り、スケッチブックに向かって図を描いていると、段々頭の中が整理されてくる。ってことに気づきました。
そして、中途半端な図でも、ひとつ書き上げると今の自分はここまで。と納得できて頭がすっきりする。その後、新しいアイデアが浮かぶと、またその図に書き足していく。
- 単語を覚えるときじぶんの感覚をだいじにする - 殺シ屋鬼司令
私はずいぶん昔に「単語帳は合コンのようなものだ」と絶叫したことがあります。そりゃなんだという人もあるでしょうが、これは長文読解の中で出会う単語を習得するのがナンパみたいなものだというのに対応するものです。日常生活の中で会う人とも、電話をかけたり手紙を書いたりデートしたりしないと望む関係になれないのと同じように、単語も毎日見返して、使ってみなければとっさのときに使えるようになりません。「使用語彙」に入らないのです。
- 月夜の遊行上人 企業研修としての国語教育
僕もかねてから、多くの企業に欠けている人材開発は、国語能力のようなメタ能力であろうと考えています。デザイン力とか、編集力、情報を扱う能力と言っても良い。別にデザイナーのようにきれいな図や絵を描こうと言うことではなく、そのことにより、事象を構造化し、抽象化し、モデルとして語れ、シミュレーションが出来るようになることが決定的に重要であると思います。
アウトプットは自分のためだけじゃなくて、やっぱり他人の役にも立ちますね。そして、このくらいのスピード感でアウトプットがでてくると、他人の僕とも波長が重なる。スピード感って完成度より大事な場合があります。
アウトプットがあればコラボレーションにつながる可能性がでてくる。
日頃書いているようにコラボレーションは創造性の何よりの武器だと考えているので、やっぱり個々人がアウトプット力=考える力を高めていければ、集団としての創造力もあがってくるのでは?と思っています。
この記事へのコメント
toku
いつも拝見しております。
このたびは、ブログ記事をご紹介いただきましてありがとうございます。
>>アウトプットがあればコラボレーションにつながる可能性がでてくる。
また一つ、アウトプットをすることの大切さを知りました。
多くの方に、”悩むこと”ではなく、”考えること”の素晴らしさを知っていただきたく思います。