好奇心とは独創的な問いを発見する情熱である

頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない」「語彙が少ないと仕事の能率もわるい?」に続いて、原研哉さん、阿部雅世さんの『なぜデザインなのか。』から。
この本、ほんとうに数多くの珠玉の言葉が詰まっています。絶対に読まないと損・そう断言していいでしょう。

好奇心というのはたぶん、独創的な問いを発見する情熱だと思います。これは誰も考えたことのないすごくいい問いだと思えるものを探している。
原研哉/阿部雅世『なぜデザインなのか。』

知らないことをわかろうとする好奇心はなにより大事なものだと僕は思います。その好奇心がアウトプットを生む。小さな好奇心のなぜ?の積み重ねが小さなアウトプットを蓄積して、それがいつしか大きな発見、創造性に結びついていくのだと思います。僕が「頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない」なでおアウトプットの速さを問題にしているのは、この小さなアウトプットをいかに数多く生み出して、自分で自分のコンセプトを壊しつつ、大きなアウトプットにつながるようにするためです。

決して一気に独創的で素晴らしいアウトプットを生み出せるなんて幻想を抱いてはいけないと思います。小さなアウトプットの蓄積が思わぬ創発を生みだす先に、独創的で素晴らしいアウトプットは生まれてくるのだと思います。好奇心の発する「なぜ?」の繰り返しがデザインに論理性をもたせ、その果てに独創的な解決策をひらめかせるのだと思います。

蓄積のないところには大したものなど生まれでてはこないのだということを肝に銘じておいたほうがいいと思います。

好奇心が失われ、心になまげぐせがつく

ただ、この好奇心もつねに活性化してあげないと、その体力は失われ、なまけぐせがつきます。常に「なぜ?」という問いを発し続け、疑問を見つける姿勢を保ち続けなければ、問題を発見する力、そして、それに答えて小さなアウトプットを生みだす力が失われます。創造力が弱まっていくのです。

山鳥重さんの『「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学』

言葉は頭を整理する道具ですが、音だけを気分で使っていると、頭の方がそれに馴れてきて、聞き馴れぬ言葉を聞いても、「それ何?」と問いかけなくなります。(中略)その記号の意味を問う、という自然な心の働きがなくなってしまいます。心から好奇心が失われ、心になまげぐせがつきます。

という言葉があります。

語彙が少ないと仕事の能率もわるい?」で書いたように、原さんがデザインにおいて言葉を非常に大切するのにもこのあたりにわけがあると思います。

問題を見つける力

デザインの方法:ブルーノ・ムナーリの12のプロセスの考察」と題したシリーズでも書いているとおり、デザインという創造力に関わる作業においては、何より問題をきちんと定義することが創造的な解決案を生み出せるかどうかの要です。

デザインの創造性は、「問い」にかかっています。いい問いが見つかれば、当然、答えはいい。
原研哉/阿部雅世『なぜデザインなのか。』

という原さんの言葉は、マイケル・ポランニーの『暗黙知の次元』にあるこんな記述と重なってきます。

すべての研究は問題から始められればならない。研究が成功するのは、問題が妥当な場合に限られるのだ。そして問題が独創的である場合に限って、研究もまた独創的でありうる。しかし妥当で独創的な問題は言わずもがな、いかなる問題であれ、そもそも問題とはいかなる具合に考察がなされうるものなのだろう? なぜこんなことを言うのかといえば、問題を考察するとは、隠れた何かを考察することだからだ。
マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』

「問題を考察するとは、隠れた何かを考察すること」。
それこそ、問題を発見する情熱としての好奇心のなせる業です。

相手を理解するコミュニケーション、ユーザーの行動の観察からデザイン問題を発見するオブザーベション。どれも創造性につながる問題発見を行う大切な技術だと僕は考えています。そして何度もいうように問題を見出す好奇心こそが価値あるアウトプットを生みだす何よりの原動力なのです。

何ごとも当然と思わずに隠れた問題を好奇心をもって発見し、そこに小さなアウトプットを見出していく。その積み重ねが真に「独創的な問題」の発見につながるセレンディピティを創発するのではないでしょうか?
小さなアウトプットの蓄積こそが完成形を生み出すのだと僕は考えます。

 

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