ゴールがお好き? それともプロセスのほう?

ありがとうという姿勢はいいと思う。ただし、その前提には違和感がないわけではありません。

好きを貫くのもいい。好きを貫いている者を褒め讃えるのもいい。しかし好きを貫いている者であれば、自らの好きを貫くまえに、好きを貫いている誰かを褒める前に、好き嫌いを抜きにして仕事を片付けた方々をねぎらいたいものだ。
ありがとう。
今日もあなたのおかげで好きを貫いていられます。

違和感を感じるのは、何も好き嫌いは仕事に対して感じ追い求めるものではないと思うからです。きっとあまり好きでない仕事をしてる人も、ほかに好きなことがちゃんとあるんじゃないかと思うんです。
まぁ、もちろん、それもない人だって中にはいると思いますが、その人だってもしかしたら生きていくことが好きなのかもしれないじゃないですか(そんなことないか)。

有り難いと思う理由が違うんじゃないでしょうか?

仕事以外に好きなことをもってる人に対して、仕事で「好きを貫いている」と自覚している人が必要以上に感謝する必要はないと思うんです。
「必要以上に」というのは、相手がその仕事を好きでやってるかイヤイヤやってるかなんてことに関わらず、単に自分ではできないことをやってくれた人に素直に感謝すればいいという意味で。

ありがとうは、有り難いです
自分にはその能力ややる気が有り難くてできないことをやってもらえて、有り難いことが現実になったからそれをもたらしてくれた人にありがとうです。

だから、別にその人が好きでやってるかイヤイヤやってるかはあんまり関係ないと思います。だって、その人だって仕事としてやってるんだし、きっと、その仕事をするのにも理由があるはず。イヤイヤでも仕事をすることで、その人自身が自分自身の好きを行うことができるのかもしれませんしね。

もう1点。他人の仕事にありがとうって思うのは別に、自分がその仕事をやりたくなくてそれを他人がやってくれたときだけじゃないと思うんです。
それこそ自分が好きで好きでほしくてたまらなかったものを相手がつくってくれたりしたら、ありがとうって感じるんじゃないでしょうか。もしかすると、それをつくってくれた相手も自分とおなじようにそれが好きだったからそれをつくったのかもしれない。
その場合でもやっぱりありがとうでしょう。

繰り返しになりますが、他人の提供してくれた仕事に、ありがとうって感じるかどうかって、相手がその仕事を好きでやってるかイヤイヤやってるかどうかは関係ないと思います。

好きになる対象は2つある?

好きにも2つの対象があると思います。
  • 最終的なゴール、完成品が好きな場合と、
  • 何かをなしとげる過程、プロセスが好きな場合と。

先のあまり好きでやりたがらない仕事をやってる人も、他に好きなことがあってそれをするために仕事をしてるんだったら、仕事はあくまでプロセスで、ゴールとしての好きなものを手にするために必要な過程として受け入れているということなんじゃないでしょうか。

仕事の過程も含めて好きということもあるんでしょうけど、必ずしもプロセスまで好きになる必要はないと思います。すくなくとも仕事のプロセス全部が好きになることなんてきわめて稀なんじゃないでしょうか。

これだと思うものをつくりたいからがんばるんだけど、その作業過程はかならずしも好きじゃないってことは往々にしてあります。
僕だって、ユーザー調査やユーザーテストの実査はまだ好きですけど、それをシナリオやプロトコルに書き起こす作業はあんまり好きじゃない。でも、最終的なデザインをいいものにしようというゴールがあるから面倒だなと思いつつやってるわけです。

無理をするのが勤勉じゃない

僕も「好き」を大事にしてますが、それは「別に楽しい仕事をしていかなければならない」からではありません。モチベーションが直接問題なんじゃない。
モチベーションがまったく関係ないわけじゃありませんが、僕が「好き」を大事にしたいと思うのは「好きこそ物の上手なれ」だからです。
上手であるためにどれだけ物に対して目が利くか。全体から細部にわたって目が行き届くほどに好きなのか。別にモチベーションがあろうとなかろうと、結果、上手なものができさえすればいい。
むしろ下手にモチベーションばっか高くて無理して身体をこわしても仕方がない。無理はきらいですw 

仕事が好き、楽しいから、仕事に没頭し、長期に渡り、長時間の人生を仕事に投じることができる。勤勉に働く事ができるのです。

無理をするのが勤勉じゃない。本当に勤勉になろうと思うのならむしろどうすれば効率化できるだろうか無駄な仕事をなくせるかと考えたり、いかにスタートを早められるかを考えたりすることのほうが大事なはずです。
考えることは必死でやるべきですが、作業そのものは身体や精神に負担にならぬよう適度に力を抜く工夫をしたほうがよいはずです。

作業は気楽にただし思考は必死に。それが結果的に仕事の効率をよくして無理なく仕事ができるようになることにつながるんじゃないかな? だからこそ「デザインとリサーチ:料理の腕と仕入れの力」で書いたように「学ぶ、経験する、試してみるという努力を怠ってはいけないと思う」し、「知らないことを知りたいと思ったり、わからないことを疑問に思ったり、できないことをできるようになりたいと思ったり、そういう気持ちをもちつづけることが大事なんだ」と思うのです。

繰り返しますが無理をすることが勤勉ではありません。
無理やり仕事のプロセス全部を好きになることより、嫌なものはできるかぎりやらずに済むよう工夫をすることのほうがはるかに長時間の人生において勤勉に働くことを可能にすると思います。
何も不満を感じずに無我夢中ではたらくことが勤勉ではないということこそを言うべきではないかと思います。

ゴールがお好き? それともプロセス?

僕の場合、あくまで好きなのはゴールのほうです。プロセスも好きになれるに越したことはありませんが、プロセスばっかり楽しくたって、ゴールしたときに生まれたものがダメだったらやっぱり心からは楽しめません。その場合は反省の気持ちのほうが大きいです。

結局、見てるところが違うんじゃないでしょうかね?
自分だけが楽しむか。それとも、相手もまきこんで楽しむかです。

仕事なんだから結果出してナンボだと思うんですよ。
だって、仕事って基本的に他の誰かのためにするもんですよね。その結果が自分でも好きになれず、ほかの人も好きになってくれそうにないものだったら、いくらプロセスを楽しもうがダメだと思うんです。
これからは「いらないけれど、欲しくて仕方がないもの」をつくらないとね、って思います。
空腹を満たすだけのものよりどうせならおいしいものを食べたいよねって思います、

それこそ最初の例のようにイヤイヤやってようが感謝されるべき仕事はある。逆に社内ではモチベーションを高く保ってやっていたって、どうでもいいような結果しか出てこない仕事だってある。どうせなら感謝されるほうの仕事をしたいなって僕は思います。感謝よりも喜んでもらえる仕事かな。

そのための武器が、自分の好きを知り、おまけに他人の好きも理解できる目をもつことだと思っています。
それは同時に自分が何が嫌いで、他人が何を嫌うかを知ることでもあります。

好きを貫くことを考えるなら、それこそ嫌なものは嫌と感じられる感性を保つことが大事だと思うんですよね。

 

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