「ペルソナとISO13407:人間中心設計プロセスの関係に関するまとめ」というエントリーで、こんな図を使って人間中心設計プロセスを紹介しました。
最近感じているのはやっぱりはじめが肝心だなということ。「人間中心設計の必要性の特定」という最初の出だしのプロセスをきちんと踏んでいないと、あとあとデザインの輪郭がぼやけてしまう要因をつくってしまうことになります。
今回はこれまであんまり論じてなかった人間中心設計プロセスの最初の場面「人間中心設計の必要性の特定」のシーンについて考えてみようと思います。
人間中心設計の最初の一歩
すでに「僕たち、普段、デザインしてないんじゃない?(デザイン・プロセスのデザイン2)」というエントリーでも紹介しているのですが、IDEOの創始者であるデヴィッド・ケリーが、『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』のインタビューのなかで次のように答えているのが、僕はすごく印象に残っています。ある企業がやってきて、「新しいトースターをデザインしてもらいたい」と言ったとします。私は「パンがどうカリカリになっていくかを研究しましょう」と答えるでしょう。相手は「いや、トースターのデザインをお願いしているんです。さあ、始めて下さい」とくる。トースターが何であり得るかという彼らの想像の世界は、狭いのです。しかしわれわれは、「われわれの仕事は、パンの歴史を見ることから始まるんです」と返事をする。デヴィッド・ケリー「第8章 デザイナーのスタンス」
テリー・ウィノグラード『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』
「われわれの仕事は、パンの歴史を見ることから始まるんです」という、この作業こそが人間中心設計の最初の「人間中心設計の必要性の特定」で行われるべきことなんだと思います。
先のインタビューでデヴィッド・ケリーは「企業は、いい結果を手にしたいのなら、デザインのプロセスを理解し、改良するために努力をし続けなければならない」とも言っています。「ある問題を理解したとしても、同じ方法で次の問題も解決できるわけではありません。典型的なデザインの状況にはいつも、方法のわからないものがつきまといます」と言って、いつでもおなじデザイン・プロセスがつかえるわけではないということに注意を促していますが、そんなIDEOにも「IDEOにおけるデザイン・プロセスの5段階」で紹介したような、デザイン・プロセスの基本的な5段階というものはあります。
- Understand(理解)
- Observe(観察)
- Visualize(視覚化、具体化)
- Refine(改良)
- Implementation(実行)
この最初の「理解」にあたるのが先の「われわれの仕事は、パンの歴史を見ることから始まるんです」ということに当てはまるんだと考えます。
ある商品カテゴリーが紡いできた歴史、そして、ある企業におけるその商品カテゴリーの開発・デザインの歴史というものを理解することが大事だと思います。そうした視野において「人間中心設計の必要性の特定」で必要なデザイン哲学、ヴィジョンというものが見えてくるのでしょう。つまり、あるべき姿が見えてくる。
あるべき姿と現状のギャップを捉える
あるべき姿が明確になれば、現状とのギャップを測ることで問題点が明確になり、デザイン=改善策の方向性が見えてくる。これを先のISO13407のプロセスと重ね合わせて図示すると、こんな図になります。
こんな風に図式化するとより明確になるのが、あるべき姿を最初の「人間中心設計の必要性の特定」で明らかに出来ていなければ、デザインの方向性がまるで定まらなくなるのは当然だということです。
あるべき姿がわからなければ、いくらユーザー調査をして現状を把握したところでギャップが見えてきません。ギャップ=問題点が見えなければデザインのしようがない。「人間中心設計の必要性の特定」においてデザイン哲学やヴィジョンが定まっていないと、あとのデザイン・プロセスが路頭に迷ってしまうということもこの図を見るとよくわかります。
人間中心設計の必要性を特定する
「デザインの輪郭を決める3つの制約条件」というエントリーでは、こんな図でデザインを決める要件を挙げました。さらにここではこれらを囲む背景要素として「歴史」と「社会」というものを加えたいと思います。そして、「人間中心設計の必要性の特定」のシーンにおいては、この背景要素となる「歴史」と「社会」について理解したうえで、「企業」が哲学とヴィジョンを明確にしていかなくてはならないのだと思います。
僕らのように外からコンサルティングとして人間中心設計を支援する場合でも、最初に明らかにするのは、「歴史」と「社会」についての理解を学び、そして、クライアントに対しても理解を促しつつ、企業が自分たちの「あるべき姿」を哲学とヴィジョンとして明確にしていく作業をサポートすることなんだと思います。
この作業は決して一朝一夕でできるものではないでしょう。
僕らは辛抱強くクライアントに対するヒアリングやディスカッションを重ねなくてはいけないでしょうし、そのなかでクライアントの側も自分たちの「あるべき姿」をつくりあげていかないといけない。この作業がしんどいからといって疎かにしてしまうと、あとのデザイン・プロセスがつらくなる。
もちろん、最初から自分たちの哲学やヴィジョンは明確だというクライアントであれば問題はありません。あとでブレない強い意志をもった哲学やヴィジョンがあれば、それがどんなものであろうと、デザインの輪郭は力強いものになるはずだから。
デザインのやり方が変わる
こんなことを考えながら、これまでのデザインのやり方というのはこれからどんどん変わっていくのだろうなと感じています。同時にデザイナーという職能のあり方も変わらざるを得ないのだろうと思っています。昨日に続いてヤスヒサさんが「あなたもデザイナーですよ」という最高に素晴らしいエントリーを書いていますが、まさにこれまでの意味での狭義の意味でのデザイナーだけがデザインするのではないんだと思います。
僕もとうぜんデザイナーですし、あなたもデザインをすることに積極的に参加していかないといけないんだと思います。
デザインという言葉は、本来のdesignという言葉がもつ、計画や目的、意図という意味合いが強くなり、そうしたものを生み出せる人がデザイナーと呼ばれるようにならざるをえないのだろうなと感じています。そうでなければ、おそらくこれからのものづくりは成り立たないでしょうから。
計画や目的、意図を描き上げ、それを実現化するよう動ける人がデザイナーとしてものづくりに関わっていかなくてはいけなくなるのでしょう。
その際には、「人間中心設計の必要性の特定」で行うような「歴史」や「社会」の理解、それに基づくデザイン哲学やヴィジョンの明確化という作業そのものがデザイナーの重要な役割になってくるのだろうと思いました。
P.S.
話は逸れますが、デザインというものをもっとちゃんと考えてみようという意味で、今日、ふと思ったのは、ブルーノ・ムナーリについて調べてみるのもいいかなってこと。下にあるような本を読んだり、ちょうど板橋区立美術館で「生誕100年記念 ブルーノ・ムナーリ あの手 この手」が開催されているので見に行ってみようかな、と。
生誕100年記念 ブルーノ・ムナーリ あの手 この手:http://www.city.itabashi.tokyo.jp/art/schedule/e2007-05.html
関連エントリー
- ペルソナとISO13407:人間中心設計プロセスの関係に関するまとめ
- ISO13407:人間中心設計
- 人間中心設計(Human Centered Design=HCD)で使う主な手法
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- 人間中心のイノベーションのヒント
- 人間中心のデザイン(Human Centered Design):人間の性質にあわせるデザインのアプローチ
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この記事へのコメント
ヤスヒサ
続きを書こうかなと感じたのも、棚橋さんの前のエントリーを読んだのがきっかけでした。実は僕も最近ブルーノ・ムナーリの本を読み始めました。彼のデザインに対する姿勢はすごく共感出来ますし、今また彼の考え方が重要になってきているのではと感じています。
tanahashi
これはデザインというものを考える上ですごく勉強になる本ですね。上で紹介したムナーリ展にもぜひ足を運んでみなくてはと思いました。
ヤスヒサさんの「あなたもデザイナーですよ」という言葉をみて、「そうだ、僕もデザイナーだ」って自覚を新たにしました。ありがとうございます。