2007年12月03日

Webサイト構築って専門的な仕事なの?

これは激しく同感です。聞く耳をもつ、好奇心をもつのが重要だって思います。

たとえ、スペシャリストであったとしても心がゼネラリストであれば、狭い視点になるのを避け、全体を見渡しながらコミュニケーションがとれるようになれるかもしれません。Webサイト構築の仕事は専門的な仕事ではありますが、特定の技術や知識だけもっていただけでは良いものが生まれません。たとえ仕事/作業そのものが特定の技術を使うだけとしても、全体を見渡して仕事をするだけでも自分そして周りの人の姿勢も変わってくると思います。

異なる専門領域をもった人同士でたがいに相手の話に耳を傾けられないようだと、プロジェクトはなかなかうまくいきません。
これは何もWeb構築にかぎった話だけじゃなくて、マーケティングの人やらデザインの人やら技術・エンジニアリングの人、生産の人などが関わる商品開発の場面などではもっとそうなのでしょう。
すくなくとも他人の話に耳を傾けることができ、言ってることを理解できるくらいには専門領域から飛び出したところがないといけないでしょう。

T字型人間

僕も以前に「未来を切り開くスキルとしての他家受粉」というエントリーでトム・ケリーの『イノベーションの達人−発想する会社をつくる10の人材』で紹介されている、T字型人間について紹介しました。

多くの分野に幅広い知識を持ちながら、同時に深く精通した専門分野も1つは持っているT字型人間は、ある閉じた専門分野での思考が袋小路に迷い込んだ際、そこから抜け出すための光明をもたらしてくれる可能性をもっています。

他家受粉を起こさせる花粉の運び手には、とくに関連もなさそうな複数のアイデアやコンセプトを並列させることによって、新たに優れたものを生み出す能力がある。ある状況やある業界に賢明なソリューションがあるのを発見して、別の状況や業界に置き換えてみると、それがしばしば画期的なイノベーションとなることもある。

また、ヤスヒサさんがいうように「狭い視点になるのを避け、全体を見渡しながらコミュニケーションがとれる」という利点もあるでしょう。

T字型人間であるということ、専門分野に固執しすぎず幅広い好奇心をもつことはとても重要なことだと思うので、「未来を考えるならいまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないこと(あるいは多和田葉子『ふたくちおとこ』)」や「天才論―ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣/茂木健一郎」などのエントリーでも、自分の専門領域で狭く閉じずに、一見しただけでは自分に関係ないと思えるようなことにも興味をもつことが必要だと書いています。

自分自身、雑多な興味を失わないよういろんな分野に目を向けているのも常にT字型人間であるべきと心がけているからです。特にいまの僕自身のように「人間中心のデザイン」なるものを専門分野にしていると、否応なく視野を広げていかなければどうにもならないといったところもあったりします。

Webサイト構築って専門的な仕事なの?

ところで、ヤスヒサさんは「Webサイト構築の仕事は専門的な仕事」と書いていますが、実は僕はそうは思いません。
別にヤスヒサさんの揚げ足をとるわけではないし、ヤスヒサさん自身はそういうつもりで書いてはいないと思いますので、これはヤスヒサさんに向けての反論ということではありません。

ただ、僕自身は普段から、Webサイト構築というのは確かに専門的なスキルを要する仕事ではあるけど、決してその専門性は「Webサイト」というカテゴリに集束するものではないと考えているので、そのあたりをすこし書いてみたいと思っただけです(ヤスヒサさん、ヘンなきっかけにしてごめんなさい)。

繰り返すと、Webサイト構築そのものは専門的なスキルを必要としますが、決してそれ自体は専門分野とはいえないと思っています。

にもかかわらず、それが専門的なものだと考え、そのまわりを分厚く高い壁で覆って自分たちの安全圏を確保してしまうのは、まさにT字型人間的な「広い知識に興味を示していると同時に特定の分野に長けている」ということができていないということになるのではないかと思います。

実際、Webサイト構築に必要なスキルはほかにもいろんなところで役に立つはずだと思います。

WebをPCというデバイスに囲い込まないように

すこし前に「云々(うんぬん)」の堀内さんがこんな風に書いていました。

我々(31歳前後)が50歳になったとき、「システム開発」という仕事は存在するが「Webデザイン」は存在しない可能性が強い。

消えるわけではない。では、「Webデザイン」は、どうなっていくのか。
テーブルレイアウトが、CSSに変わった、という簡単に乗り換え可能な変化ではない。

細かく分かれる。似て非なるものに変化する。それらをまとめる何かが生まれる。
Webは総称になり、各デバイス(PC、携帯、PDA、家電、ディスプレイ、今はまだない何か)の力が拮抗してくる。
情報はまずデータとして送られ、各デバイス上でデザインを割り当てられる。

「Webサイト構築」という場合、それは単にPC上のブラウザで表示されるものを指す場合が多いのではないか? さすがに携帯電話くらいは多少視野に入っているかもしれませんが、そこに堀内さんがいうような「情報はまずデータとして送られ、各デバイス上でデザインを割り当てられる」という感覚は存在しているのかは疑問です。

すくなくともPCというデバイスに守られた領域がWebという専門領域ではないはずです。ネットワークにつながっていて、送り/送られる情報がその場で身近なデバイスを介したUIによって、何らかの人とのインタラクションをもたらすようなものを専門領域というならまだしも、いまの「Web」ではあまりに狭すぎます。

このあたりは先日書いた「カスタマイゼーションとデザイン、そして、コンテンツ」というエントリーともつながってくる話だとは思うんですけど、それはまあ、そちらを読んでいただくとして、その狭すぎる領域による囲い込みが、Webデザインだけが何か特殊なもののように語られてしまう土壌をつくっているのだろうし、Webという世界がほかとは違う何かであるように考えられてしまっているんじゃないかと感じます。

そして、それは果たしていまの「Web業界」といわれる場所で働く人にとって損なのか得なのか?

ほかの人がどう考えるかはわかりませんが、僕自身はそれって損でしょ?って思っています。
PCというデバイスに閉じたWebであるなら、それはあんまり楽しいものじゃないなって強く感じてます。

T字型人間の話ではじめたのに方向がズレてしまいましたね。
WebをPCというデバイスに閉じ込めてしまうかどうかは、T字型うんぬん以前の問題ですし。

まぁ、いいや、まとまりませんが、これで終わり。

  

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posted by HIROKI tanahashi at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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