やっぱり疲れがたまってたようです。昨日までの頭痛はバファリン飲んで誤魔化してたけど、休みになって気が抜けたのか、ちょっとダウンです。
さて、「人は、4分の1インチの穴を欲するではなく、4分の1インチ・ドリルを欲する」というエントリーで書いた物と情報・サービスの関係。
あのエントリーの趣旨を一言でいえば、物と情報やサービスを二元論的に、物VS情報・サービスだとか、物VS経験といった風に対立的な構図におさめて何かをわかった気になるような、流行のマーケティング・ワードに騙されっぱなしの思考はやめましょってことでした。
物VS経験
経験価値だとか、ユーザーエクスペリエンスだとかの物言いは確かに流行ってますけど、それって単にそれ自体が魅力的で、しかも、ある程度の多様性のある状態でのものづくりができない言い訳でしょって僕は考えます。奥出直人さんの『デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方』には、ジャック・ウェルチの時代にシックスシグマを中心に顧客満足度の向上を目指しものづくりよりもサービスに力を入れたGEがその後、ジェフ・イメルトがCEOになりデザイン思考でものづくりを大事にする経営にシフトしてさらに業績を伸ばしたことが紹介されています。
これもサービスや経験からものづくりへの回帰と見るのではなく、その両方を重視する本来的な思考への回帰と捉えたほうがよいのではないかと思います。
物自体にほかとくらべて大きな違い、圧倒的な魅力、ターゲットの好みにあった物づくりができないから、情報だのサービスだの違いを出す方向に進んでるだけなんじゃないの?って考えます。そして、さらには情報やサービス自体が物以上にあまっちゃってて目も当てられない情報過多の時代に突き進んじゃってるんじゃないでしょうか?
おまけに物を買う側、使う側も、情報だのサービスだのオプション的な要素にすっかり騙されちゃってるせいで、物に対する目利きの能力がすっかり落ちちゃってる。自分で自分が好きなもの、欲しいものを選ぶことができなくなってきてしまってるんじゃないか、と。
目の利く人ほど、経験が物から切り離せないことを知っている
でも、その一方で物自体の魅力をちゃんと目利きできる人もいて、その人はつまらぬおまけ付きのばったものには目もくれず、自分が欲しいものだけを高くてもちゃんと買っているという状況がたぶんある。そういう目の利く人は「これからは経験の時代だ」なんて間抜けなことは言いません。だって、いい物がいい経験を与えてくれることをその人たちは知っているし、経験は外から与えられるものではなく主客の相互作用、つまり自分自身の行動そのものが深く関与する非マーケティング的なものだと知っているから。
あるブランドものが本物か偽物かとい次元の目利きではなくて、自分自身の価値観で本物/偽物を見分けられる目。そういう目利きができる人とそうでないのあいだで、つまらぬ偽物に情報やサービスというおまけをつけて売られる商品の市場と物自体が魅力的な経験・情報・サービスを内包している本物の市場とに分かれてしまっているんじゃないでしょうか?
本物の経験は物自体から切り離されていない
ようするに本物のお茶から本物のお茶の香りを出してる「おーいお茶」とその技術がないため、あとから偽物の香りをつけざるをえない他のペットボトルのお茶との違いのようなもの。まあ、その味の違いがわからない人にとってはどっちでもいいのかもしれませんが。話を戻すと、僕は、本物の経験は物自体から切り離されていないのだと思っています。ゆえに物VS経験っていう図式自体がおかしい。物のデザイナーは同時により経験デザイナーであるはずです。よい経験デザイナーは自分の好みを知っているし、他人の好みを知る力があり、物を通じて結果としてよい経験を生み出す能力があるのだと思います。
僕がユーザー中心のデザインに基づく経験のデザインという場合、そこから物を切り離した形では経験というものを想定しません。人間中心設計、ユーザー中心のデザインといっても、それは従来の物の側からのものづくりではなく、オーダメイドの発想で買い手、使い手の好みや目的にあわせてものづくりをしましょうといっているのであって、物のことは忘れて経験のデザインをしましょうなんて意味ではありません。
マーケティング的にみても、物からサービスへだとか、経験経済だのいってみても、それは物がどうでもよくなってこれからは経験を売らないといけないなんていう意味ではない。そんなわけがない。ものづくりにおいて経験を無視した発想がダメだというだけで、経験だけを重視してものづくりから目が離れてしまっては元も子もない。だって、経験は物から生まれるのですから。物が関わらない経験はない。たぶん、それは人間そのものが物理的な存在だから。
いずれにせよ、物VS経験みたいな安着な図式が成り立っちゃうのは、いかに今のものづくりが多くの人にとって魅力のないものになってしまっているかということの証拠なのかもしれませんね。
やっぱり「これからは「いらないけれど、欲しくて仕方がないもの」をつくらないとね」って思います。
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