気づいたのは、ユーザー調査に基づいて複数の実在のユーザーからペルソナをつくる場合、気をつけないと「そんな人いねえだろ」っていうペルソナができてしまうということです。
もちろん、実際にいないような人のペルソナをつくって、それをデザインに活かそうとするのは無駄です。
だって、実在しない人がデザインされたものを使うということは永遠に訪れないわけですから。
普通の要素だけを切り張りしただけのペルソナ
実在のユーザーを対象にしたコンテキスチュアル・インクワイアリーによる調査を行った結果のユーザー・データを用いながらも、複数のユーザー・データを組み合わせる上で、実在には存在しえないユーザー像をつくりあげてしまう。それはひとえにユーザー分析が甘いということになるのですが、実際は気をつけないとそうしたペルソナをつくってしまうこともありえます。それはドラマの主人公のように「その仕事でそんないいマンションで一人暮らしできるわけないだろ!」的にすぐにおかしさに気づく形ではなく、むしろ、ちゃんと考えないとそのおかしさに気づかないような、一見普通で、地味めな、ドラマで言えば脇役的な登場人物にみえるペルソナをつくった場合に起こりえます。
要素1つ1つをみると、ごくごくどこにでもいそうなプロフィールをもちつつも、どこにも特徴がなく、その人を動かすモチベーション=動機がどこにも感じられないユーザー像。紋切り型の要素が組み合わさり、どこにでもいそうな「普通のユーザー」をにおわせるペルソナにはなっているものの、単に要素を切り張りしただけで、その人を統一するクセがどこにも感じられない。ようは、そのペルソナからは隣にいたら「○○らしいよね」と言えるような特徴がいっさい感じられないのです。ただ単に普通っぽい要素の組み合わせでしかない。
実在のユーザーに関する調査データを複数人分組み合わせて1人のユーザー像としてペルソナをつくる際に、個々の要素の関連性、構造化分析ができていないと、そういうことが起こりがちです。
「普通のユーザー」をつくろうとしてはいけない
結局、「普通のユーザー」像をつくろうと思ったときが一番危険なんですね。「普通のユーザー」像をつくろうと思うばっかりに、頭のなかに勝手に「普通はこうだろう」という要素ばっかりをピックアップして、それを組み合わせてしまう。しかし、実際にはすべてが完璧に普通っぽい予想を組み合わせただけの「普通のユーザー」なんて実在しません。
いや、むしろ、こういう言い方のほうが正しいかもしれません。
普通にみえるように立ち振る舞うにもそれなりに理由(わけ)がある、と。
その理由(わけ)がはっきりとは見えないものの、なんとなく漂い出てくるから実在する人物には「○○らしいよね」と言えるようなクセが個人個人に出てくるのだと思います。
どんなに地味で目立たない人でも、地味で目立たなくさせる何らかの理由(わけ)があるわけだし、普通っぽい人にだって必ず特徴はあって、当然、個々人で見分けがつくわけです(もちろん、顔かたち以外のところでです)。ある程度、その人のことを知っている相手であれば、この人はこれはやりそうだけど、こういうことはしそうにないなというのは想像がつく。それがどんなに普通っぽい人でもそうです。しかも、普通の人が、やりそう/やりそうにない普通のことというのがちゃんとわかる。
しかし、「普通のユーザー」のペルソナをつくろうとした途端、そういう見分けがつかないユーザー像を描いてしまう場合があるのです。
そして、先にも書いたとおり、このペルソナは役に立ちません。
だって、その人が何をやりそうで何をやりそうにないかの区別がつかない人なんて実在しないし、ペルソナの役割を考えたとしても、そのユーザーが何をやりそうで何をやりそうにないかがわからないのだとしたら、デザインをする上であまり役には立たないわけですから。
「普通の人」なんていない
ようするに、普通っぽい人はいくらでもいても、「普通の人」は実際にはいないわけです(「変人であることは必要ない。普通でいい。」でも書きましたが、結局、「普通」って客観的指標なのではなく、各自が主観的に持っている判断でしかないわけです。そんなものを要素の組み合わせとして表現しても仕方がないわけです、この場合は)。普通っぽく思える人にだって、やっぱりクセがある、らしさがあるわけです。
そのクセ、らしさがあまり色濃くないから、普段はあまり気づかないだけ。人それぞれもつクセやらしさがその人を動かし、その人の行動を他の人の行動と区別しているはずです。
このあたりを考慮しないと、役に立たないペルソナをつくって、それに気づかず実在しないユーザー像に向けたデザインをひたすら考えるという不幸な事態に陥ってしまいます。
僕たちはドラマや小説の主人公をつくっているわけではなく、実在の人物を代表するようなペルソナを使ってデザインしようとしているのですから、いもしないもっともらしい人物像を描くのではなく、よく知るもっともらしさとはすこし外れていても、その人を動かす原動力であるクセやらしさをきちんと捉えた形で、ユーザー像を描かなくてはならないのです。
そのためには普段から人を見る目を養っておくことはとても大事なことだと思っています。
やっぱり、観察=オブザベーション、目利きですよ!
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