宣伝は間際になって、花火のように打ち上げる、といった考えは完全に古いという話を、昨年のコカコーラ・キャンペーンのときに、電通の人たちに話した。ゲーム業界はこれをよく知っているみたいで、半年以上もまえから宣伝を流し始める。
新聞やTVで宣伝すると、「発売されたという噂を知っている」という人が増えるが、「それを買い求めよう」という人はほとんど増えない(そういう人が新聞やTVを見ている)、ということもわかった。とにかく、これからの宣伝は、不効率な手段しかなく、それらをハイブリッドで組み合せるような複雑さを強いられる。
こういう「半年」という時間を自分自身の身体感覚的に捉えられる人は意外と少ない。
みんなが同じ時間を生きた時代は確実に終わりつつあって、いかに別々の時間をたんねんに時間をかけて積み上げて、1つのうねりを生み出せるかがマーケティング・コミュニケーションの課題になると思います。
アウトプットとインプットの「半年」の時間のズレ
ブログをひたすら書き続けている人のなかには、こうした変化を身体感覚的に自分のものにしている人もいます。一方で、情報収集ばかりに時間を費やし、自分からのアウトプットがインプット量に見合っていない人には、そうした感覚が乏しいのではないかと思います。自分でブログを書き続け、アウトプットとインプットのズレに気づくことから、いまの社会における情報伝達のスピード感が身体的に理解できるようになる。それは誰かに教えてもらって頭で理解することではなく、自分で手を動かしつつ身体的に学んでいくことでしかないと思います。
情報リテラシーの格差というのは、ここにもあります。
どんなにネット上に情報が増えようとこういうことは身体で体験しながらしか学べません。身体的であるがゆえに時間や空間などのリソースに大いに影響を受けます。そして、そのリソースの限界と膨大な情報量が組み合わさると先のような「半年」というズレが生じるのです。
それはもはや「半年」前の古い情報かもしれないというのに
頭でしか考えられなければこの「半年」というズレは克服できません。言葉で理解するためにどこかで言葉が生まれるのを「半年」待つよりも、身体で反射的に変化を感知できるようにならない限り、常に「半年」遅れでの対応しかできないでしょう。いうまでもなくこの時代のビジネスのスピードにおいて「半年」という時間はとてつもなく長いわけです。
ここでの情報リテラシーの格差は、身体的で経験的なものであるということに、気づいて、いますぐにでも自身でブログを書き始めたりしなければ、この時代のマーケティング・コミュニケーションの課題を真に理解することなんてできないでしょう。
誰かに教えてもらう情報だけで何ができるというのか。それはもはや「半年」前の古い情報かもしれないというのに。
P.S.
ここで書いたこととどこまで関係するのか、なんともいえませんが、もう1年前以上に書いた「間違えを恐れるあまり思考のアウトプット速度を遅くしていませんか?」というエントリーに、昨日だけで7人の方がはてブしてくれました。
そう。伝わるのにはそれだけ時間がかかることもあるし、だからこそ臆病にならずにアウトプット速度を速めることが大事だと思うのです。
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nori