無駄を省き、かつ必要を際立たせる「最小限のデザイン」

千利休が、自邸の庭の朝顔の評判を聞きつけた豊臣秀吉を茶会に招いた際、その朝顔を一輪残さず切り捨てていたのは、『伝統の逆襲―日本の技が世界ブランドになる日』『へうげもの』『日本数奇』などにも紹介される有名な逸話です。
満開の朝顔を愉しみにしていた秀吉が不快感をあらわに、利休に招かれて茶室を訪れると、そこにはたった一輪の朝顔が生けてあったという話です。利休は最も美しい一輪のみを残し、庭に割くすべての朝顔を摘み取ってしまっていたのです。

思いつく限りの機能をただひたすら付加しただけのいまの醜悪な携帯電話のデザインとはまったく逆の発想です。

最小限で生きることはとてもリッチなこと

デザイナーの深沢直人さんは、『デザインの輪郭』のなかで、このように書いています。

最小限で生きることは、とてもリッチなことだと思います。
ものがない、ただ空いた空間にいるということは
けっこう贅沢なことです。

「ものが増えていくと気持ちも淀んでくる。心が詰まっていく感じがする」とも深沢さんは述べています。

認知科学の分野の研究でも、人は一度に10以下のことしか短期記憶に蓄積できないと言われています。だから、電話番号なども10を超えるとほとんど認識できなくなる。きっと、それと同じでたくさんありすぎる要素は、無意識のうちに人間を混乱させ、落ち着かなくさせるのではないでしょうか。そして、混乱や落ち着かなさを逃れるために、人はそれを無視しようとするのではないでしょうか。

やたらとメニューが多くてどれがおすすめなのかもわからない飲食店より、吟味されたメニューだけを簡潔に整理して提供できる飲食店のほうが味もおいしいことが多い。
メニューがやたらと多く、かつその中で何がおすすめかを示すことができないのは、「空腹を満たすだけのものよりどうせならおいしいものを食べたい」と思っている客の気持ちを考慮できず、かつ、自分がどれを自信をもってすすめるのかということを考えられていない証拠だと思います。つくり手がどれがいいものかを絞り込んで、受け手に提案できないということは、そのつくり手が本当に何がよいかを考えられていないことの何よりの証明なのではないかと。

ただ、最小限であるということは何もないこととイコールではありません。
利休が最も美しい一輪の朝顔を残して他すべての摘み取ったように、無駄を省ききって、かつ本当に必要なものだけを際立たせたものが「最小限であるということ」なのだと思います。

引き算のデザイン

デザインにおいても、この無駄を省き、かつ必要を際立たせるアプローチが必要なのではないでしょうか。
いまの携帯電話のように、機能=価値だと勘違いしたまま、いたずらに機能を増やしていく発想はもういい加減、ものづくりの世界では見直すべきなのではないかと感じます。

機能を足していくのではなく、むしろすこし足りないくらいに引き算をしていく。

普段、僕は実際のユーザーにあって、その使い方やニーズを探るユーザー調査をしています。ユーザー調査をして、いろんなユーザーのニーズが出てくるのだけど、それをすべて拾いあげるのではデザインになりません。個々のユーザーのニーズをすべて拾い上げて積み上げてしまったら、できたものは何がなんだかわからないものになる。それでは本当にユーザーが一番欲しいと思っていることが醜悪なデザインに埋もれてしまいます。

すべてのニーズを拾うのではなく、むしろ、削って削って、本当に大事なものだけを残し、残った形がわかりやすく魅力的に映るようデザインする。単にユーザーのニーズを拾うのではなく、最も大事なものを拾い上げてあげることが大事なのです。
その他の捨てた部分はユーザー自身に補ってもらうのです。むしろ、ユーザー自身もそうやって自分の力で行う部分が残されていたほうが、モノに対する喜びや愛着が生まれてくるのだと思います。

ものをたくさんもっていることはかっこわるい

与えすぎてはいけないのです。与えすぎると魅力が分散してしまうから。少なすぎるくらいがリッチなのです。

しかし、多くの人が思いついたアイデアなり、積み重ねられた要件定義書の機能リストからいらないものを捨てていくという作業が苦手です。そして、もうとっくにキャパは超えているのに、無理やり多くのものを狭いスペースに詰め込み、わけのわからない状態を生み出してしまう。

テントにタンスを入れたらかっこわるい。
ものをたくさんもっていることはかっこわるい。

そう。ものがたくさんありすぎると、もうどんなにがんばってもかっこわるくしかならないんだと思います。
でも、もともと貧乏性の人が多いのでしょうか? 手に入れたものはすべて積み上げていかなくてはならないと勘違いしてデザインした結果が、リッチさのかけらもないゴミを生み出してしまっています。

何が大事かを考えない人々

貧乏性というより本当に大事なものが何かがわからないまま、ものづくりをしているのかもしれません。それを使う人、買いたいと感じる人が何を大事に思っているかも決められずにものづくりをしてしまっているのだと思います。

さらにいえば、つくり手自身が自分にとって何が大事かもわからず、要件定義リストの膨らみすぎた機能一覧を削り取る作業もできないまま、つまり、何も考えないままにものづくりをしてしまっているのだと思います。

「もの」においては、機能であれ装飾であれ、足していくのは簡単だ。しかし何を切り捨て、何を省いていくのかを決めることは一般に難しい。これは仕事全般にもいえることだし、人生でも同じかもしれないが、デザインワークの中で、付け加えるのではなく、何を省いていくかという課題は、普遍性を帯びてデザイナーに突きつけられる。

そう。「足していくのは簡単」で、一方むずかしいのは「何を切り捨て、何を省いていくのかを決めること」ですが、これはデザインだけの問題じゃなく、「仕事全般にもいえることだし、人生でも同じ」です。
多くの人が簡単に答えの出る付け足しのアプローチのみで、引き算のアプローチでの思考をかんたんに放棄してしまう傾向があります。自分が何を大事だと思うのか、何が好みなのかという問題を突き詰めて考えることを放棄してしまっているように思います。

誰にとっても賭けられるリソースは限られている

しかし、考えるまでもなく、時間も空間もその他のリソースも限られたなかで、仕事も人生も進んでいきます。話す相手の、売りたいと思っている相手のアテンションのリソースも限られれば、使う人の予算や興味のリソースも限られます。

その限られたリソースのなかで、何にその手持ちのリソースを配分してもらうか、賭けてもらうかは大事な問題です。もちろん、自分が何にリソースを配分し、貴重なリソースを賭けるのかも。
この大事な問題に頭を働かせず、問題を棚上げしてしまう人が多いのです。

足し算の発想は簡単です。
引き算の発想を行うスキルこそを磨いていかなくてはいけないのではないでしょうか。

デザインにおいても、仕事一般においても、そして、人生においても。

  

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