ところで、なぜ、おもてなしが必要なのか? それはね・・・。
職人は、それがどんな職種であれ、客の奴隷である。そして客には「潜在顧客」も含まれる。すなわち素人である。
そう。職人・専門家はすべて客の奴隷です。これこそ、まさしく「主」と「客」の非対称性です。
客をもてなす気はあるの?
職人として客を自らの領域に招いた以上、客をもてなすのが主人の役目です。「口が悪い職人」とかいうイメージがありますが、それは「まことのこころ、数寄のこころ」でも書いた数寄の精神を極端に広げた上で、それが粋なものだという「奇」の精神の系譜の上で成り立っていることを忘れては成り立ちません。口の悪さが粋の演出として成立してはじめてそれが商売として成立するのであって、単に口が悪かったり口下手だったりするのは、それとはまったく別物です。
なので、自分の仕事を客に説明できないなんて論外です。「デザインとこれからの時代の経営課題についての一考察」でも分業には疑問を呈しましたが、しゃべる人としゃべらない人を分業化するのはますますナンセンスになってきています。
いや、必ずしもしゃべれなくてもいいんです。
客が満足できるようもてなせるのであれば、何もその方法は「しゃべり」である必要はないとは思います。
ようは客をもてなす気はあるの?っていうところが問題なわけで、しゃべれるかしゃべれないかは技術の問題であって、そこは技術を習得する練習で克服できる部分もあるでしょう。その前に問われるべきは、やはり、客をここちよくもてなそういという気持ちはあるの?ってところです。
「主」と「客」の非対称性
商売においては「主」と「客」の非対称性は絶対です。「主」は「客」を招き、もてなさなければいけません。職人が奴隷だとすれば、客は神です。音連れる神としてマレビト(客人)です。その神は「おもてなしの姿勢:「主」と「客」」でも書いたとおり、どこからともなくやってくる異形の者です。
ただ、そいつがどんなに異形のものだろうと、そいつが客であるかぎり「そんなの関係ねえ」。僕らは神=客がくれば「どうぞどうぞ」と上座をゆずらなくてはいけません。社長であれなんであれ、客の前では一番よい席をゆずらなくてはならない。それが客を招くということなのですから。どんなにこころがうちとけてもこの非対称性は絶対なのです。
そして、これは何も日本の文化に限ったことではありません。
英語でも主体はsubjectであり、従属するものなのですから。
もちろん、この非対称性は、専門分野という場があって成り立っているものです。
客人も自分の専門分野では立派な主人です。「主」と「客」の非対称性は絶対でありながら、「主」「客」の立場そのものは場が変われば簡単に入れ替わりうるものです。
ただし、これは逆に言えば誰もが「主」になりうるということです。何らかの仕事をしている以上、誰もがつねにどんな場においても素人であることはできません。そうである限り、誰もが「客」をもてなすことができなくてはならないのだと思います。
だからこそ、これからの時代、ますます客をもてなす人ともてなさない人という分業はナンセンスなものになってくるのだと思うのです。
潜在顧客かどうかを見極めることなどできない
そして、もう1つ大事な点。それは「おもてなしの姿勢:「主」と「客」」で書いたとおり、日本の神=顧客は一見さんかリピーターか、見分けがつかないという点です。
マレビト=客人であるのは間違いないが、一見客かリピート客かは区別がつかないのです。たとえ、リピート客であっても、以前、外部から来たものであるという識別子は厳然と存在したままで、自分たちの側のもの=仲間としては受け入れないのです。
一見さんだと思って邪険に追い返したら、大事なお得様のおぼっちゃまだったなんてことはなくもありません。ましてや、この匿名社会。誰が潜在的顧客で誰がそうでないかなんて区別のつけようがありません。区別したとたん、大事なお得様を失うリスクを負いかねないわけですよ。
おもてなしができるかどうかが今後の商売を成り立たせるポイント
「デザインとこれからの時代の経営課題についての一考察」で書いているとおり、もはやそこそこの機能をもち、ある程度のレベルの品質を備えたものを生み出すことは世界中どこででもできるようになってきています。また、昔のように客は声のない消費者ではなくなりました。ネット上ではブログなどで毎日大量の商品レビューが書かれていますし、ちょっとでも気に入らないところがあれば店や企業に電話やメールで文句をいう人はたくさんいます。
それゆえに、たんによいものをつくれるかではなく、客をきちんともてなすことができるかどうかが今後の商売を成り立たせるポイントにもなるのだと思います。モノより経験の時代だとか、ユーザーエクスペリエンスだとか、マーケティングの分野でいうエンゲージメントだとか、いろいろありますが、ようするに、モノのよさだけでは勝負にならなくなてきたということです。
いやいや、まだまだ個々の仕事の質には差があるから大丈夫なんてのんきにかまえているとあとで大変なことになるかもしれません。いったん風向きが変わってしまった以上、身のまわりの状況が変わるのなんて、あっという間ですから。
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