古代以前の上代の日本を支えたコンセプトは「まこと」であったといわれています。
「まこと」とは真事であり真言です。「真」という言葉は、究極的な真なるものをさすものだったようです。いまでも真剣、真理、真相という言葉に使われますし、真面目や真に受けるという風にも使われます。
いずれにせよ、上代の日本、古代初期の日本では「真」という言葉が最高の概念、中心的な概念として用いられていたそうです。
まぁ、なんとなく納得する話ですよね。
「真」は「二」を意味していた
ところが、この「真」という概念、もうすこし踏み込むと非常に興味深いものなのです。この「真」というコンセプトは、ここが注目すべき点なのですが、なんと「二」を意味していたのです。おまけにその二は、ここもまた重要なところなのですが、一の次の序数としての二ではなく、一と一が両側から寄ってきてつくりあげる合一としての「二」を象徴していたのです。
「二」を意味する「真」という概念。「真」を成立させるもともとの「一」は「片」と呼ばれていたそうです。片方や片側の片です。この片が別の片と組み合わさって「真」になろうとする。「二」である「真」はその内側に2つの「片」を含んでいるのです。
「一」という要素ではなく、「一」である「片」が組み合わさった状態に「真(まこと)」をみる思想は、還元主義の罠に気づいた科学が複雑系や創発などの関係性そのものに思いを馳せる様をすでに先取りしていたかのようでさえあります。
さっき「デザインとこれからの時代の経営課題についての一考察」で長々と書いた「分析的思考からデザイン思考へ」や「要素還元主義的な組織論から異質なものとの協働作業を重視した組織論へ」という流れも、この「真」というコンセプトを参照すると得られるものがあるかもしれません。そして、インタラクション・デザインや環境と生物の行動の相互作用を重視する生態学的認識論などを考察する場合でも古代の日本にあったこのコンセプトは非常に参考になりそうだなと思います。
「間」は「あいだ」をさす言葉ではなかった
ところで、真になろうとする2つの片を暫定的に置いたらどうなるか?そこには一と一が暫定的につくる「間」ができるのです。
実は、上代および古代初期においては、「間」は最初のうちは「あいだ」をさす言葉ではなかったのです。もともと「ま」という言葉には「真」という文字があてられていた。
「間」というものも日本人が大事するものの1つです。「間が悪い」「間違い」「間抜け」など、よくない「間」を批判する言葉もありますし、「間に合う」「間をもたせる」など、「間」を重視する姿勢を示す言葉もあります。
それも「間」がもともとは「あいだ」ではなく「真」であった名残なのでしょうか。
茶の湯の「数寄」
「間」はいまでいうところのバランス感覚のようなものです。片と片のバランスをとって「間」=「真」を生み出すのです。そして、あえてバランスを崩せば「奇」となる。「奇」は奇数の奇です。そして、奇は「奇をてらう」「奇抜」「奇想天外」などにつながっていきます。
昨日書いた「おもてなしの姿勢:「主」と「客」」では、「主」と「客」は決して馴れ合うことなく、最後まで非対称の関係を保ち、それがおもてなし、招きの心の根幹にあるものではないかと仮説をたてました。茶の湯の精神の1つに「数寄」があります。これもやはり「奇」なのです。「主」と「客」の非対称性は、「真」の左右対称性とは異なるものなのだと思います。
秀吉は人づてに、その日は朝顔が咲きちりばめていると信じていたのです。その朝顔の庭を通り抜け、利休の茶に出会えるのがたのしみだった。ところが、着いてみると庭の朝顔はすっかりなくなっている。怪訝におもった秀吉が茶室に入ってみると、床の間に一輪だけの朝顔がある。利休が庭の朝顔をすべて切り落としていたという話です。
数寄とは極端な方向に向かったたのしみです。風流や風靡を極端な方向に向かわせるのが数寄の精神です。利休のもてなしは、この数寄の精神を具現化させたものだといえるのでしょう。
こうしたたのしみも、真から間へ、そして、真と奇の関係がわかってはじめてその深みを味わえるものかもしれません。いまなら「利休、お前何してんねん」と相手を怒らせるだけで終わってしまうかもしれませんから。
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