効率化の手法として,ハックやハックスといった言葉をよく耳にするようになったのはここ1年ちょっとのことだろうか。原尻淳一氏と小山龍介氏による「IDEA HACKS! 今日スグ役立つ仕事のコツと習慣」や小山氏単独の「TIME HACKS! 」といった書籍が話題になっている。
「効率化の手法」と書かれているようにいま話題になっている多くのHACKSは、何を行うかに関する知(knowing what)ではなく、どう行うかに関する知(knowing how)だといえるでしょう。
HACKSの利用においては何を行うかは問題とされずに、どう行うか、しかも、どう効率的に行うかが問題とされている傾向があります。
その背景には、昨日の「丁寧に時間と心がかけられた仕事をするためのワークスタイル」で書いたような現在のほとんどのビジネスモデルに共通した次のような価値観があります。
「つくる」ことより「売る」ことに重点を置いたマーケティング・マネジメントの思考が「創造性」より効率的な「生産性」ばかりをよしとしてしまい、すべてがその哲学に基づいて戦略化され、組織化されています。個々のワークスタイルもそれらの戦略化、組織化に基づき、創造性よりも効率性を高める形でデザインされています。
何を「つくる」かより、いかに効率的に「売る」か、あるいは「つくる」かに価値が置かれ、そのために仕事の仕方がデザインされています。
効率化のHACKSがもてはやされる背景には、個人が効率的に仕事をしたいというだけではなく、そうしたビジネスモデルから価値観が影響しています。
しかし、それが「あたりまえ」のものかといえば、必ずしもそうではないだろうというのが、最近の僕の「ワークスタイル」に関するひとつの思考テーマであったりします。
HACKSの2つの分類
HACKSには2つの分類ができるだろうと思っています。1つは、
実はハックとITは相性がよい。目を通すと分かるのだが,これらの本の内容のそれなりの部分がITの活用を前提としたものになっている。
と書かれているようなITのツールをうまく用いることによるHACKS。これは基本的に既存の仕事におけるタスクにITのツールをいかにして活用することで、その仕事の仕方を変化させ、効率化させるかというものだといえると思います。ある目的をもった仕事のやり方をITツールを用いたやり方に置き換えるのがHACKSのポイントで、ツールさえ使えれば誰でもすぐに利用できるのが利点。
もう1つは、ITツールのような身体の外側にある道具ではなく、身体の内側の道具(あるいは身体そのもの)をHACKするもの。
たとえば、僕がむかし「思考のフレームワーク」で書いたような物事を思考する際のフレームワークとなるようなものを自分の頭に覚えこませたりがそれに当たります。
2つのHACKSによって生み出されるものの違い
しかし、この2つのHACKSによって生み出されるものが同じかというとそうではないと僕は思っています。この2つにはそこから生まれてくるものに大きな違いがあります。例えば、西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』でこんな話が紹介されています。
年齢が比較的上のグラフィックデザイナーには、烏口などを使った手作業で1ミリの間に10本の線を引ける人がいるそうです。もちろん、コンピュータを使えば1ミリの間に10本の線を引くことはほとんど誰でもできることです。それゆえ、デザインの道具としてコンピュータが使われ始めた当初には、1ミリの間に10本の線を引くようなプロの技術が評価された時代もあったが、それがコンピュータを使えば誰でもできるようになれば、デザイナーに問われるのは技術ではなくセンスになるだろうといわれていたそうです。
しかし、実際に「コンピュータを使えば1ミリの間に10本の線を引くことが誰でもできる」ようになったいまにしてみれば、同じ1ミリの間に10本の線を引くのでも、コンピュータを使って行ったものと手作業で行ったものがまったく違うものであることは明らかです。それはシンセサイザーなどを使って擬似的に真似た楽器の音と本物の楽器の音がまるで違うものであるくらい明らかです。
そして、当然ながら「誰でも可能」なものより、「一部の人だけができる」もののほうがありがたがられます。やっぱりデザイナーに求められるのは単にセンスだけじゃないということになります。
実際にやってみればわかることだが、1ミリの間に10本の線を引くには、呼吸の刻み方、集中力、身体全体の骨と筋肉の微細な制御、中心の取り方など、高度な身体感覚が求められる。身構えをつくってからでないと、線を引くことはできない。昔はグラフィックデザイナーのアシスタントになってしばらくの間は、線ばかり何度も引かされたそうだ。
ITのツールを使ったHACKSと身体というツールを使ったHACKSにも同じような違いが生じてくるのではないかと思います。
特に「効率化」より「創造性」が求められる場面では。
効率化と創造性
僕は、HACKSについて考えていて、何もHACKSは効率化に焦点をあてたものばかりじゃなく、創造性に焦点をあてたものがあってもいいのではないかと思ったりしました。しかし、そうはいかないんです。
昨日も「丁寧に時間と心がかけられた仕事をするためのワークスタイル」で書いたとおり、効率化は不確実性をいかに減らすかという方向で動きます。その場合はHACKSも使いやすい。
でも、創造性は基本的に不確実性といかにうまく付き合い、そこでどうセレンディピティを創発させるかが課題になります。それゆえに、こうすれば「○○の効果がほぼ確実に得られる」といった方法論は生まれにくい。
当然ですよね。不確実性のなかにセレンディピティを見つけるのに確実な方法があるというのは矛盾してますから。可能なのはせめてその確率を高めるくらいのものです。
でも、確率を高めるってことには価値があります。ただ、その確率を高める方法ってどうすればいいのかはもちろん、僕にもわかりません。
マイケル・ポランニーの暗黙知
しかし、ちょっとしたヒントになりそうなことを見つけました。すでに購入済みで読もうと思っているマイケル・ポランニーの『暗黙知の次元』についての松岡正剛さんによる書評のなかで。
あらかじめ未知の対象がそこに設定されていなかったからといって、その設定のために使われた方法によって、設定されていなかった新たな知を生み出すということがありうるということなのである。
もうすこしわかりやすくいえば、ある種の設定されたプログラムからは、そのプログラムのために使われた方法によって新たな知が生じてくることがありうるということなのだ。
暗黙知の創発とはこのことをいう。そのトリガーを引くのは、対象知ではなくて方法知である。
自分でも以前に「セレンディピティと創造性:正しいやり方など存在しない」というエントリーを書いていますが、セレンディピティはやはり「やり方」とつながるのでしょうね。
上の引用では、暗黙知の創発のトリガーとなるのが「対象知ではなくて方法知である」ってところがポイント。しかも、方法知がトリガーになるのは、いわゆる失敗においてです。自らが想定した対象を実施した方法によって捉えるのに失敗した際に、別の対象を捉えてしまう場合があります。
この失敗により偶然意図しない対象を捉えることがセレンディピティになる。まだ未読ですが、松岡さんによるとマイケル・ポランニーの『暗黙知の次元』では、コロンブスによるアメリカ大陸の発見、アインシュタインによる一般相対性理論の発見を例として、暗黙知の創発が考察されているようです。
セレンディピティにつながる失敗とそうでない失敗
もちろん、この場合の失敗はあくまで「未知の対象」を捉えようとした場合の失敗に限ると思います。例えば、コロンブスが未知のインド航路を発見しようとしてアメリカ大陸を発見してしまったように。普段は確実に得られていたものを得られなかったというような失敗はその限りではないでしょう(その場合でも、失敗の際の環境の違いに目を向けることで新たな発見に出くわすかもしれませんが)。
その意味では確実性が前提となる効率化の追求においてはセレンディピティは生まれにくいということはいえるのではないかと思います。やはり創造性を追及する仕事の仕方と効率性を求める仕事の仕方では違うと考えたほうがいいのかもしれません。
念のため、言っておきますが、僕は何も効率化がいらないといいたいのではなくて、効率化の一方で創造性について考えることも必要だろうなと思っているだけです。両方ともそれぞれ必要になる場面があるはずですから。
身体性のHACKS
ところで、話が中途半端になってしまっていた、外部ツールによるHACKSと身体ツールによるHACKSの話。確実性より不確実性が多くを占めている場面においては、対象からのフィードバックと自身の表現に双方向の対話がデザイン作業の道筋を左右することになります。
そうしたシーンにおいては、外部ツールを通じてしか得られないフィードバックやそれによってしか表現できない状況より、自身の身体とモノとの対話で場面をコントロールするほうがはるかに自身の意図どおりに事が運びやすくなるのではないかと思うのです。
もちろん、これは外部ツールを「誰でも可能」な使い方をしている限りの話で、外部ツールそのものを身体ツールの延長として使いこなせているのであれば、ツールが外部のものか身体かは関係になくなります。
というわけで、創造性にフォーカスしたワークスタイルについて、いろいろ考えているわけで、1つのカギは身体性にあるのはなんとなくわかっているのですが、なかなか「これだ!」というところには行き着けませんね。
それこそ、身体性にポイントを置いた働き方の実践をもうすこし重ねていかないとそこにはたどり着けないのだろうなという気がしています。
引き続き、実践的な考察を続けてみようかと。
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