自分の仕事をつくる/西村佳哲

とても面白い本だったので、さらっと読み終えてしまいました。
モノづくりと仕事の仕方の関係を見つめなおす上では、非常に参考になる一冊だったと思います。

西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』は、著者がIDEOや象設計集団、柳宗理、パダゴニアなどのモノづくりの仕事の現場を訪ね歩き、聞いた話を元に、さまざまな働き方とそこから生まれる結果、そして、他人に与えられる仕事ではなく「自分の仕事」をつくるとはどういうことかを考察したエッセイです。

観察する力、身体を使った表現

おもしろいと感じ、参考になる部分が多すぎて、とても全部は紹介し切れませんが、その中でもいくつか気になったところをピックアップしておきます。

まず、サンフランシスコにデザインオフィスをかまえる八木保さんのインタビューより。

だから変にスケッチなんか描くよりも、どれだけいい形で既にあるモノたちに出会って、触って、観ていけるかが大切なんだ。触覚的に作業を進めていくと、本能的な部分がいい形に残っていくんですよ。
西村佳哲『自分の仕事をつくる』

こう語る八木さんのオフィスでは、スタッフが森や街に出かけては木の葉や石、ブリキなどを拾い集めてくるそうです。既成のカラーチップなどで色を検討するのではなく、そうした自然にあるものから色や質感をめぐるデザイン作業を行うそうです。

同じようなことが柳宗理さんのインタビューにもみてとれました。

スケッチなんかあんまりしない。とくにプレゼンテーションのための絵なんていうのは、絶対に描いちゃいけないっていう信念があるからね(笑)。そんなインチキはできない。
西村佳哲『自分の仕事をつくる』

と語る、柳さんは、鍋でも橋梁でもデザインする際には最後まで図面はひかず、模型作りによって形や構造などを決めていくそうです。
プロトタイピングですね。この本にはIDEOの例も出てきますが、結局、プロトタイプが重視される現場では頭で考えることと身体を使って考えることが切り離されていないんだと感じます。そして、それを切り離してしまうと悲惨な結果になることがよくわかっているのではないか、と。

こんな話もあります。映画監督・黒澤明氏の言葉です。
たとえばセザンヌでも誰でも長いことかかって絵を描いているでしょ? 下手な絵描きっていうのはすぐ絵ってできちゃうんだよ。あんなには描いていられないんですよ。ということはねえ、あの人たちが見ているものを僕たちは見ていないわけ、あの人たちが見ているものは違うんですよ。だからあんだけ一生懸命描いているんですね。
西村佳哲『自分の仕事をつくる』

観察における解像度の違いということでしょうか?
カラーパレットの色だけ満足する人とそこにはない中間的な色彩や質感を求めてフィールドワークで自然物や人工物を拾い集めてくる人たち、二次元のスケッチや図面で満足してしまえる人とそうした二次元の絵と実際の三次元のモノとの違いに我慢ならず模型をいくつもつくって検証していく人。
ディテールに敏感で、情報を頭や目だけではなく、身体全体を使って感じ取り、それをまた身体を使って表現していくこと。そこにはコンピュータの上だけで行うデジタルなデザインとはまったく異なるデザイン作業があります。

モノづくりの前段階を重視する

仕事というのはたいてい誰かと共同で行っていく作業です。実際にデザイン作業を行っていく上でも、いきなり具体的なデザインの作業をほかの人たちと共同してできるわけではありません。
複数の人たちと協働作業を行うにはまず前段階として、これから自分たちが何をデザインしようとするのかを含めた場の共有が行われていなければいけないと「リズムを刻む実践的な学習とワークスタイル」をはじめとするエントリーで僕も以前から書いてきたことです。

しかし、この本で紹介されている、象設計集団のアプローチはそんな発想をはるかに超えています。
例えば、INAX社が1995年から販売している「ソイルセラミックス」という商品。

この商品は同社のルーティン化した商品開発ラインではなく、象設計集団の樋口氏、淡路島在住の左官職人・久住章氏を交えた、数年間に渡る変則的な協働作業から生まれている。彼らは淡路島や多治見、イランやシルクロードの奥のカシュガルなど、土のある暮らしの現場を訪れ、その有り様や心地よさをともに体験した。
西村佳哲『自分の仕事をつくる』

こうした前段階を経て、「ソイルセラミックス」という商品は1988年の樋口氏を交えた会議からはじまり、その6年後の1994年にようやく実を結ぶという長い開発期間をかけてつくられたそうです。

既存のモノづくりシステムと「自分の仕事をつくる」ということ

6年を単に長いと考えるのは簡単です。しかし、先のセザンヌの例と同じくその6年には僕らには見えないディテールを検討する作業に費やされた時間が凝縮しているのでしょう。

時間に追われて中途半端なモノづくりをするのはむずかしくありません。
いまのモノづくりはたいていそのような形で、決められた時間内にいかにモノをつくりあげるか、そして売れるようにするかという発想でシステム化されています。そうしたシステムの中でそのとおりつくるのはむずかしいことではありません。だって、システムがそうした働き方を支えてくれているのですから。

むずかしいのは、もっとちゃんとしたモノづくりをしたいと思った際に、既存のモノづくりのシステムをいったん壊し、自分自身のモノづくりの形をいかにデザインしていくかということです。
これは既存のシステムに愚痴をいってるだけでははじまりません。自ら身体を動かし実践的に、既存のシステムとは異なる仕事の仕方を生み出していかなくてはいけないのですから。

そして、先にも書いたようにたいていの仕事は一人ではできません。ですから、自分の仕事をつくるというときにも他人を巻き込んでいく必要はどうしても出てきます。
それには自分が自分の仕事をつくるように、いっしょに働く相手にも自分の仕事をつくるように促し、それをサポートしてあげなくてはいけないでしょう。
これは簡単なことではありません。でも、きっと楽しいことではないかと思います。

答えはひとつではない

以前からこのブログで書いてきたのは、何かひとつの答えがあると思ってそれを探す姿勢は間違っているということです。組織には決まったルールとしての働き方があったとしても、それは決して唯一の解ではないはずです。
特に創造的な働き方などは答えなどなく、逆にひとつの答えに縛られていると形式ばったものしか生み出せなくなって自由度が失われるはずです。

日本の算数教育では、4+6=□という形で設問が用意されるが、海外のある学校では、□+□=10という設問で足し算を学ぶと聞いた。□の中に入れる組み合わせは自由であり、自分で考えるしかない。
西村佳哲『自分の仕事をつくる』

仕事をデザインする|デザイン過程をデザインする」というエントリーでは、デザイン作業においては「自分たちが何故デザインを行うのか? どの問題を解決するのか? どんな潜在的な問題を表面化させそれを解消した価値創造を行うのか? という目的を明示することが求められる」と書きました。
いまのモノづくりに求められるのは、答えを探す力以上に、問題そのものを発見し明示する力なのだと思います。

そして、この本を読んで感じたのは、「自分の仕事をつくる」こと、自分の働き方をデザインすることこそ、この問題発見の具体的な実践にほかならないのだということです。

この本の第1部は「働き方がちがうから結果もちがう」と題されています。
4+6=□という形の設問では結果は変わりません。しかし、□+□=10という設問では結果は異なっています。結果を変えるためには設問自体を変えなくていけないのだと思います。
そして、それは自分自身の働き方をデザインすることなのではないかと思うのです。



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