それゆえ、デザインを行う過程では、自分たちがデザインしようとする道具がどのような人に、どのような目的で使われているのか、また、どんな場所でどんな時に用いられているのかを知っておかないと、使う人が使いやすいと感じたり、使いたいと思えるようなデザインをつくりだすことはむずかしいのではないかと思います。
デザインのプロセス、方法論を明示して、それを伝えることができる形にすることがいま非常に必要なことだと感じていますが、利用者の観察からユーザー要求を導き出し、必要なデザインの形を理解するというプロセスも何らかの形で明示しなくてはいけないと思っています。
使い人の体験を知ること
デザインする人はまず自分たちがデザインする道具を利用する人々の体験そのものを知らなくてはいけないのではないかと思います。自分も使うもののデザインであれば、ある程度、使い方の予測はできます。
しかし、自分が使わないものだったり、自分が使うものでも他人がそれとは違う使い方をすることが想定される場合には、実際に使っている人々を観察し、その体験を追体験するようなプロセスが必要です。
人々が道具をどのように使っているのか、何のために使うのかを、実際に人々がそれを使っている現場のコンテキストのなかで知ることが大事だと思います。
観察結果をデザインに落とし込むために必要なプロセス
しかし、ただ観察すればよいわけではありません。観察から具体的な形に落とし込むデザイン作業を行うのは決して単純な道のりではないはずです。まず観察したことをデザインする人間自身がきちんと自分のなかで捉える作業自体が単なる言葉への変換する作業とは異なります。
「エスノグラファーとブロガー」やフィールドノート:観察・経験の記録法」でも紹介している『方法としてのフィールドノート―現地取材から物語作成まで』でも「書き手は書く作業を通して自分の体験について学習していくもの」と書かれています。
フィールドノーツを書きあげる作業をおこなう中でエスノグラファーは他者の経験に同化するプロセスを通してその経験について理解しはじめるようになる。ロバート・エマーソン他『方法としてのフィールドノート―現地取材から物語作成まで』
観察したものを理解するにいたるプロセスにおいては、その場の状況においてのディテールを直感的に選り分けて特定のものに焦点を絞り、さらに各要素を順序だてて並べたり、そのディテールと他のディテールの関係性やそれとは対照的に思える特徴などについて理解する必要があるでしょう。
こうしたプロセスを経て、デザイナーは自分がデザインしようとする道具が、誰がいつ何のためにどのように用いるものかを理解していくのではないでしょうか。
書くこと、つくることで理解する
それは自分たちが知らない他者の生活を参与観察により理解しようとするフィールドワーカーの次のような変化と似ていると思います。書く作業を通じて、フィールドワーカーは、当初非常に奇異なものと感じ、また自分の理解の範囲を超えるように思えたことについて理解できるようになるロバート・エマーソン他『方法としてのフィールドノート―現地取材から物語作成まで』
デザイナーもまた観察によって得られた結果を、物語風のシナリオを書いたり、または具体的な形を考えるためのプロトタイプをつくったりする作業のなかで、「当初非常に奇異なものと感じ、また自分の理解の範囲を超えるように思えたことについて理解できるようになる」のではないでしょうか。
以前「デザインという対話」というエントリーで紹介したドナルド・ショーンも次のように言っています。
デザイナーはあらかじめ答を頭の中に蓄えていて、実際にはそれを翻訳するだけというようなことは滅多にありません。たいては、前進的な動きの中にあって、作業を進めながら判断を下しているのです。ドナルド・ショーン「第9章 素材との自省的対話
テリー・ウィノグラード編『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』
前進的な作業のなかでこそデザイナーは判断を下していく、つまり、自分たちが何をデザインしているのかをより理解するようになるのだと思うのです。
ようするにデザイナーはこのシナリオを書く、プロトタイプをつくるという作業のなかでのフィードバックを体験することで、実際に道具を使う人の体験を追体験しながら、その行為を理解するようになるのだと思います。
しかし、このシナリオを書く作業やプロトタイプをつくる作業が実際にそれを使う人の体験と完全に切り離されてしまっていては、それは単にデザイナーの独りよがりになってしまうでしょう。それを回避するためにも、フィールドワークのような参与観察により実際に使う人の体験をすぐそばで観察することが必要になるのだと思います。
観察することとそれをシナリオやプロトタイプとして記述することは不可分なんだと思います。
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