本棚の歴史/ヘンリー・ペトロスキー

『失敗学―デザイン工学のパラドクス』に続いて、ヘンリー・ペトロスキーの『本棚の歴史』を読みました。

本という主役の背後に隠れて見落とされがちな、縁の下(本の下?)の力持ちである本棚の歴史的な進化を追った一冊です。本棚と本の共進化、そして、それらを収める図書館などの建物の進化を「パピルスから作られた巻物」の時代から現代まで綴った本です。

本棚の話は本の話なくして語ることはできない。本が巻物からコデックス本[冊子]、印刷本へと進化していった過程とからめて眺める必要がある。本や本棚は二十一世紀には無用の長物となる秘伝ではない。これらは文明の基本資料の一部であり、現在における科学技術の発展をよりよく理解し、未来図を描く手段となる。未来は、私たちが期待しがちな姿よりもっと現在や過去に近いかもしれないのだ。
ヘンリー・ペトロスキー『本棚の歴史』

過去の本、「ローマ時代の文書は主にパピルスから作られた巻物、すなわち巻子本の形に丸められ」ていました。それは手書きで1つ1つ生産され、いまより当然、貴重なものでした。ラテン語やギリシア語の巻物はいまと同じように左から右へ読むようにできていて、読むときはすでに読み終えた部分を左手のなかへ巻き取られていたそうです。巻く向きは読み終えた部分を表側にする場合もあれば裏側にする場合もあったそうですが、「向きはどうあれ、コンピューター画面をスクロールするという用語は、かつての巻物 scroll に由来している」のだそうです。

本の歴史と言葉の起源

このスクロールという言葉だけでなく、他にも現在の言葉の起源を過去にさかのぼることができます。

ローマ時代の文書は主にパピルスから作られた巻物、すなわち巻子本の形に丸められ、ラテン語でウォルミナ volumina と呼ばれていた。その単数形ウォルミヌム voluminum から、英語の「ヴォリューム volume(巻)」という言葉が生じたのである。
西暦紀元の初めの数世紀には、綴じた手写本、すなわちコデックス本の数が増加したので、本棚には、巻子本だけでなくコデックス本の収納も求められるようになっていった。(中略)コデックスという名称は、木材の表紙で覆われているところから付けられ、「法典」 code という法律用語のもとになった。
ギリシア人たちは、パピルス輸出の中心地だったフェニキアの都市ビブルス Byblus にちなんで、パピルスをビブロス byblos と呼んでいた。ここから、本をあらわすギリシア語ビブリオン biblion が生じ、さらに「バイブル bible」、「聖書 The Book」という英語が生まれた。
以上、すべてヘンリー・ペトロスキー『本棚の歴史』

巻子本やコデックス本の時代の本には「表紙に書名や著者が明示されることはめったになかった。実を言うと、今日の本と違ってコデックス本には書名が付いていなかった」だそうです。「本を指し示すには、第1ページの最初の言葉を用いたと思われる」。
また、「当時の本にはページ番号もなく、文章のある場所を探すには、文献中のキーワードを手がかりにしていた」ようですが、これはAmazonの「なか見!検索」を想像させますよね。

鍵付きの本箱におさめられた本

この本を読んでいて考えさせられたのは、本という情報を扱うもののデザインの歴史が、とても物理的な面で進んだということです。

グーテンベルクの印刷術以前、本は手書きで生産され、非常に高価なものでした。教会などで学習を目的にして本が読まれることになっても、本は鍵のかけられた本箱(棚ではありません)のなかで保管され、厳重に守られていたそうです。

しかし、セキュリティを重視したそうした保管法は、本を利用するための利便性を著しく損ねるものでしたし、蔵書が増えると保管場所および管理の問題が生じました。
必要以上に本の保管場所の問題を生じさせたのは、当時の本の装丁の仕方に理由があったようです。

実は、19世紀半ばになるまで、ある種の本は並べて置いてはいけないといわれ、「留め具や突起、浮き彫りのある本が、棚のなかで近くの本を傷つける」ことへの警告を出す必要が明らかにあった。
ヘンリー・ペトロスキー『本棚の歴史』

それ自体、高価なものであった本には、装丁に宝石を用いた豪華な本もあったそうです。そのため、本をいまのように重ねておくことがむずかしかったのです。

鎖でつながれた本

重ねることができず1つ1つ表紙を上にして平置きにされ、また、希少価値の高さゆえに非常に厳重に管理されていた本が収納の問題から、鍵付きの本箱を飛び出したのは、本を読むための書見台に本を鎖でつないでおくデザイン上のアイデアが実現されるようになってからです。
本を読みたい人は、鎖でつながれた本をそれが置かれた書見台の上で読むことになったのです。このスタイルは中世からはじまったようですが、15世紀にグーテンベルクの印刷術が発明されたあとも、

本が鎖でつながれていたという事実が、イギリスの歴史的な図書館の構造と発展を17世紀末まで左右し続けたのだ。
ヘンリー・ペトロスキー『本棚の歴史』

そうです。

なぜ鎖でつながれた本が図書館の構造を左右するのでしょう?
それは本を読むためには適切な光が必要だからです。

もちろん、電気はありませんでした。かといって、燃えやすい本が大量に存在する図書館などで火を用いた照明を用いることはできませんでした。そうなると、本を読むために適切な光を得るためには、太陽の光に頼るしかありません。本は鎖につながれているのですから、本を陽の光が射す場所に移動することもできません。

このような事情により、本を鎖でつないだ書見台は、陽の光が適切に射す場所に置かれる必要があり、その条件が図書館の構造を大きく左右したのです。
陽の光が適切に射すこと、そして、増え続ける蔵書のための場所を確保すること。こうした条件に歴史上、多くの図書館をはじめとする本を収納する施設が悩まされ続けたそうです。

背表紙はうしろに

増え続ける蔵書は多くの図書館を悩ませ続けました。本が書見台に鎖でつながれるようになっても、本は表紙を上にして書見台の上に1冊ずつ置かれていたのです。

しかし、増え続ける蔵書がこのスタイルに変化をうながしたのです。書見台の上にいまの本棚に近い棚をつけるデザインが生まれて、本の収納スタイルに変化が起こったのです。

まず最初は、何段かに区切られた棚の上に何冊かの本がそれまでと同様に表紙を上に1冊ずつ置かれるようになりました。それでも書見台の上に直接置かれる場合よりもはるかに収納可能な本の数は増えました。

しかし、蔵書は増え続け、この収納方法でも蔵書を収めきれないという問題が生じてきます。光の問題、そして、本を手にとる利便性の問題からも、本棚をあまりに高くすることはできませんでした。ここでようやくいまと同じように本を立てて重ねて収納するスタイルが生まれたのです。本を重ねておけることにより収納数は段違いに増えたのです。

やがて、両端に垂直の仕切りを持つ水平棚には、本を立てて収納するようになる。このようなストール・システムが導入される以前には、本の縦置き収納は一般的ではなかったが、これ以降は縦置きが普通になった。
ヘンリー・ペトロスキー『本棚の歴史』

ただ、この縦置きのスタイルもいまとは異なる点がありました。それはいまのように背表紙を前にして収納するのではなく、背表紙を奥にして収納するスタイルだった点です。

これには2つの理由があったようです。

1つは、かつての本の背表紙には本を識別するためのタイトルも著者名も書かれていなかったこと。そして、2つ目が本をつなぐ鎖が読みやすさから表紙の手前の端につける必要があったからです(背表紙につけてしまうと鎖が邪魔で本が読みにくかったし、本に傷をつける可能性が高かった)。
鎖が背表紙と反対の手前についていれば収納の際には、鎖が前にくるよう背表紙を奥にして収納するのはとうぜんのことだったと思います。

情報デザインと物理的なモノのデザイン

このように情報を保存するための本の歴史には、さまざまな物理的なデザインの変更が歴史があったというのをあらためて知ると非常に新鮮に感じました。

増加し続ける情報をどのように整理し、収納するかという問題は、いまも情報デザインに関わる人が頭を悩ませている問題です。単に存在する情報を収納すればよいだけではなく、情報へのアクセス、検索性、情報利用の利便性、情報セキュリティ、そして、情報の維持を考慮したデザインを行うのは、この本で描かれた本と本棚の長い歴史と変わっていません。

情報はいまも増え続けています。いや、むしろ、いまはどんな過去よりも情報の増加に悩まされている時代です。そんな時代だからこそ、この本で描かれた本と本棚の歴史を参照することは意義深いことであるように感じました。



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