この僕たちが抱くあまりにもロマンチックすぎる幻想を、著者のペトロスキはのっけから破壊してくれます。
「必要は発明の母」というが、発明の母になるのは必要ではなくて欲望である。新しい事物や、事物についての考えは、現存する事物に対するわれわれの不満から、また、われわれがかくなされてほしいと思うことを満足になしとげてくれる事物がないことから、発している。より正確に言えば、新しい人工物や新しい技術の発展は、既存の事物や技術が、約束通りに、または当初希望され想像されえた通りに働いてくれないことから生じるのである。ヘンリ・ペトロスキ『失敗学―デザイン工学のパラドクス』
新しいものは何の前触れもなく突然舞台に現れるのではないということです。
創造に対するあまりにロマンチックすぎる思い込み
新しく舞台に登場したものは、所詮かつて舞台にあがっていた役立たずをリニューアルしたものでしかありません。ただし、それが再び舞台に登場する際には、かつての僕たちが感じていた不満点が改善されて、以前浴びせられていた罵声を賞賛に変える形で再登場するということなのです。それは僕たちはまったく新しい必要性を感じるよりも、既存のものへの不満を改善する欲望のほうが強いからです。僕らは何かにつけ不満をいうのは得意ですが、まったく新しいアイデアを思い浮かべるのは苦手です。さらに既存のものの改善はわりとすんなり受け入れられますが、まったく見たことのない新しいものに対する理解力もそもそも欠けているのです。
自分たちが元来そういう生き物であるにもかかわらず、僕らは新しいものがゼロから生まれてくるという創造性のロマンチックな神話をあまりに無闇に信じすぎる傾向があります。先に紹介したマーク・S・ブランバーグの『本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源』でも述べられている「私たちは複雑なものを前にして、その複雑さの起源にさかのぼる道が見つからないと、デザイン論の圧倒的な魅力に取り込まれてしまう」という傾向そのものです。
そうした非科学的なことこの上ない、創造というものに対する僕たちのあまりにロマンチックすぎる思い込みを本書は見事に叩きのめしてくれます。
本書は、デザインにおける成功と失敗との相互作用を考究し、とくに、成功達成において失敗に対する反応と失敗の予測とが演ずる重要な役割について述べる。失敗学―デザイン工学のパラドクス『失敗学―デザイン工学のパラドクス』
失敗こそがデザインの鍵なのです。
縄のように絡み合う成功と失敗
著者のヘンリ・ペトロスキについては、マーク・S・ブランバーグの『本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源』で知りました。世間では一般的に、孤独な発明家がこの世になかった新しい装置を理性とひらめきだけで創造するというロマンチックなイメージがある。しかしペトロスキーによれば、発明とはえてして試行錯誤を経て生まれるものであり、製品は機能しない部分を1つずつ取り払っていくことによって連続的に開発されていく。
でも、実はこの本を買ったのは、渋谷のブック・ファーストでたまたま見かけて『失敗学―デザイン工学のパラドクス』というタイトルがいま関心をもっていることの1つであるプロトタイピングを連想させることに惹かれたからで、これが『本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源』で紹介されているのを読んですぐにAmazonで先に注文した『本棚の歴史』と同じ著書の本だとは、家に帰ってきてあとがきを読むまで気づきませんでした。
ユーザビリティの向上を目指した人間中心のデザインにおいて、プロトタイプを使ってユーザー参加型のユーザビリティテスティングを重視するのは、「ユーザビリティのルールは前提にすぎない」のであって、あたかも成功を保証するかのような顔をしたルールにこだわりすぎるとむしろ失敗しかねないからで、デザインの失敗の発見する作業を実際のターゲットユーザーの協力を得て、行うユーザビリティテスティングはまさに成功よりも失敗に学ぶことを目的としている点で、従来のベストプラクティス志向とは大きく異なります。
デザインにおける成功と失敗とは縄のように絡み合っている。欠陥に焦点を合わせれば成功に達しうるであろうが、成功した先例にあまりに多くを頼りすぎると失敗に導かれることになりうる。ヘンリ・ペトロスキ『失敗学―デザイン工学のパラドクス』
従来のベストプラクティスから成功パターンを見出す分析的な思考と、実践のなかで数多くの失敗から学び取ることで経験的に思考を重ねるデザイン・シンキングの違いがここにも表現されていると感じました。
デザインの失敗の歴史
本書では、いまのパワーポイントへとつながる、スライド・プロジェクターやそれよりはるか以前のマジック・ランタン(幻灯)を紹介した図解付き講演技術の進化の歴史からはじまり、国の憲法や国旗、バスケットボールのようなゲームのデザインの進化、そして、超高層ビルディングや長い橋のデザインの進化における、成功と失敗が絡み合ったデザインの歴史を紹介してくれます。(以下、すべて、ヘンリ・ペトロスキ『失敗学―デザイン工学のパラドクス』より引用)
- 1998年にIBM社は、同社製品「シンクパッド」にきわめて有用な機能を組み込んだ。キーボード照明ができる。これは明らかに、飛行機の薄暗い室内など、光の乏しい場所でタイプするには便利である。だが、キーボード照明機能に宛てるべきスイッチまたはボタンまたはキーの置き場所がなかったところから、この機能はFn+PgUpという、直覚には訴えない組み合わせのキーを押して作動された。
- 実用に供してみてとくに重要なのは、いかなるデザイナーの心もまたいかなるコンピュータのシミュレーションも予想しなかったような行動を示す、複雑な新しい物理的なシステムの試験である。そのため、1979年のスリーマイルアイランドの原子力発電所の事故では、バルブの位置を示す計器の読みが、予想外のしかたでまちがって解釈されえたことが明らかになった。
- 吊橋の達人ジョン・ローブリングは、自分を教育し導くのに、現存する技術の成功例ではなく歴史上の失敗に手本を求めた。これらの事例からかれは、いかなる力と動きが橋の敵であるのか学び、それらの力に抵抗しそれらの動きを抑制する自分自身の橋をデザインした。
- 大気圏突入への再突入の際のスペースシャトル・コロンビア号の分解にいたるまでの諸事象は、成功が失敗を覆い隠す、またひとつの古典的事例となった。シャトル計画全体を通じて、絶縁用の発泡材が、打ち上げのたびに外部燃料タンクからはがれ落ちていて、それによる損傷は飛行の費用として受け入れられるようになっていた。だが、コロンビア号の致命的な打ち上げのときにはがれた発泡材の破片は、それまでに宇宙船に当たった最大のものだった。
失敗の歴史から学んだもの、成功におぼれて失敗を導いたものの歴史が数多く紹介されています。
失敗は重要
デザインにおいてパラドキシカルなのは、成功からはほとんど学べず、失敗こそが多くのことを教えてくれるということです。大量のプロトタイプ制作を行うIDEOの事例がここでも紹介されています。
もし「プロジェクトが、明らかにものになりそうもないものを含めて、大量の原型を生み出していないなら、何かがひどく間違っている」のだ。だから、IDEOの信条は「早いうちに何度も間違えろ」である。ヘンリ・ペトロスキ『失敗学―デザイン工学のパラドクス』
「早いうちに何度も間違えろ」。間違いが表面化しなければ、人はそこに潜在的な間違いがあることに気づくことはありません。であれば、いかなる方法を用いてでも早いうちに数多くの隠れた間違いをあぶりだしておくほうが後の成功への近道です。
プロトタイピングにはそうした失敗から学ぶ創造力があります。
その反対にこれまで数多く用いられてきたベストプラクティス的思考は、ほとんど役に立ちません。
もしその物が試験を通過するならば、それを成功と宣言する-少なくとも次回の試験までは。成功した試験はあまり重要なものではない。もしその物が試験を通過しなければ、われわれはそのもの(と仮説)は失敗だったと言う。失敗は重要である。失敗はつねに、事物のデザインについて、成功よりも多くのことを教える。こうして失敗はしばしば再デザイン-新しい、改良された事物への-を導く。ヘンリ・ペトロスキ『失敗学―デザイン工学のパラドクス』
何か別の試験をとおった回答が、まったく別の試験の正答になるとは限りません。いや、むしろ正答になる確率のほうが低いと考えるのがふつうでしょう。
しかし、どういうわけか、多くの人が成功事例に群がりたむろします。そこにはもはや成功は落ちていないばかりか、下手すれば失敗への道が口をあけて待っているというのにです。
ものは単につくればいいというわけではありません。スケジュールどおりに関係者間で納得いく形ができればいいわけではありません。
その発想にはそれを利用するユーザー、社会のことが考えられていません。
ユーザビリティとかではないんです。いかなる人工物もなんらかの道具として使われるのですから、道具として成り立つよう、利用者のことを考慮するのは当然なのです。
そして、利用者を考える際には成功ではなく、失敗にフォーカスすることです。それが新しいものを生み出す唯一の解なのでしょう。
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