つまらない日常のなかに何かを見つけるスキル

コンテキスチュアル・インクワイアリーを使ったユーザー調査でもユーザビリティテストでも、実際を記録した映像は、あとから見ると結構つまらないものだったりします。特に自分がその場を共有しなかった映像に関しては、はっきり言って見るのも退屈で、それを見てなきゃダメと言われたらちょっと苦痛。

それとは逆に、自分がインタビューアや記録係として実査に参加している場合は、むしろ、一回の実査があっという間に終わってしまうという感覚です。一日何回か実査をやると異常に疲れるので、そもそも集中力が違うということもありますが、それでも時間が流れるのがすごく早く感じるのは確か。単なる記録映像を見ているのとは大違いです。

そのギャップこそがコンテキストを共有できてるかどうかの差なんですよね。

ユーザー調査はおもしろいものがたくさん見つかる場

でもね、そもそも大抵の調査で観察する行動そのものは、はっきり言って映像にあらわれた退屈な日常の行動でしかありません。ただ見てるだけでは本当につまらない日常的な行動です。

ユーザー行動それ自体にはおもしろいものは特にない場合が多いと思います。だって、普段、やってることを見せてもらうだけですから当たり前といえば当たり前ですよね。

コンテキスチュアル・インクワイアリーを使ったユーザー調査を、何か特別なユーザー行動に触れられる場だと思ったら大間違いです。日常の行動にそんなおもしろいものなんかあるわけがないんです。

でもね、それでもユーザー調査はおもしろいものがたくさん見つかる場なんです。

日常やってる行動をただ見せてもらうだけのユーザー調査の場にもともとおもしろいものなんかあるわけがない。だからこそ観察者は自分で何かを発見しようという意識をもって観察を行わない限り、おもしろいものなんて何ひとつ見つけられないんですね。

でも、あるとき、ユーザーの行動の背後に流れるコンテキストが見えてきて、それまで意味をなさなかったユーザーの行動の意味が見えてくると途端におもしろくなる。逆にそれまで当たり前の行動として納得していた思い込みのパターンが背後に後退して、いままで背景に溶けこんで見えなかった部分が前景化してきます。

そうした日常の背景に溶けこんで見えなくなっているものを外部からコンテキストまるごと舞台の上に引き上げてあげること。それがユーザー調査の目的であり、おもしろいところだと思います。

日常のなかの非日常

ところで僕自身がこういう調査方法にすんなり入っていけるのも、学生時代に所属していたゼミが「日常のなかの非日常を見つける」ことをひとつのテーマにしていて、そこでいろんな実践的な試みや議論に参加させてもらっていた経験がベースにあるのかもしれないなと思います。

その頃、いっしょにゼミに参加していた友人の口癖は「なにかおもしろことないかな」といったあと、必ず「そういう風に言っているあいだは何も見つからないんだよね」だったんですけど、さっきユーザーテストの映像をどう撮るかを考えていて、そのことを思い出したんです。

あっ、あの頃、やってたことがいまの自分の仕事の糧になってるんだなって。

その意味で昨日見に行って「かうためのデザイン展 2007 に行ってきました。」というエントリーで紹介した武蔵工業大学の研究室の学生さんなんかもいい経験させてもらってるんだと思いますよ。
いまはそれに気づかなくても、世の中の本当の主流じゃないところをあえてやってる研究室はあとで役にたつことをちゃんと教えてくれるんだと思います。

ちょっと話はずれますけど、こういう学生の研究なんかをもっと社会人も見たほうが勉強になると思うんですよね。
だって学生にもわかりやすいよう勉強させてくれるんですから、わかりやすく勉強するにはもってこいだと思うから。

イノベーションには2つの方向性しかない?

で、さらに話が飛びますが、最近、イノベーションには2つの方向性しかなのかななんてことを考えています。

イノベーションとは言いつつ、実は日常の世界とまったくかけ離れたものが突然世の中に受け入れられるということは歴史上あんまりなかったことだと思います。

テレビのコンセプトが最初に提案されたのはなんと1880年代のフランスとドイツだったそうです。陰極管を用いる理にかなった方法が提唱されたのは1908年で、実際にテレビの画像が伝送されたのは1925年のイギリスでのことです。定時番組がはじまったのは1930年だそうです。しかし、1949年になってもアメリカには10,000台の受像機しかなくマーケットとしては決して十分ではなかったそうです。基本的なアイデアから70年経ってもそのレベルの普及率だったんです。

似たような例は数々あり、なんとファックスが特許化されたのは1843年のスコットランド、コンピュータだって1940年代には巨大なそれが実際に利用されてたわけです。

というわけで、僕らがわりと新しい技術だと思っているものは実は意外と古いものだったりするのです。それくらい技術が日常の世界に普及するにはとても長い時間が必要なわけです。このあたりの話はドナルド・A・ノーマンの『人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学』に詳しいので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

そういう意味で僕は実はイノベーションには2つの方向性しかないんじゃないかって思うんです。

技術主導のイノベーション、デザイン思考のイノベーション

1つは古くからある技術が突然進歩して日常に普及する形でのイノベーション。これは多くの人が技術の普及には時間がかかることを忘れていて、新しいといわれた技術が十分古くなってからイノベーションが起こるので、一部の人・組織がその恩恵にあずかりやすいんだろうと思います。

もう1つが最近話題になってるデザイン思考でのイノベーション。こっちはIDEOに代表されるように、人々の日常のなかの非日常をオブザーベション(観察)を通じて見出すことから、新しいインタラクション、新しい行動、新しい経験をデザインすることでイノベーションを創出する形です。

こんな風に考えると、技術主導のイノベーションも、デザイン主導のイノベーションも、結局、つまらないもののなかからいかにおもしろいと思える価値を発見できるかが重要なんだと思います。どちらもすでに日常に埋没してしまった/しつつあるものを、うまく拾い上げられた人がイノベーションを実現します。

前者は古くて忘れ去られそうな新しい技術から、後者は日常に埋没した人々の行動のなかから、それぞれ、つまらないと感じる文脈そのものにすこし手を加えて、おなじ対象をつまらなくなく見えるようにする自分自身の視線の発見からイノベーションは生まれるのかなと思うんです。

つまらない日常のなかに何かを見つけるスキル

技術主導の場合は社会的な流れとか自分自身ではコントロールできないところも多々あると思いますが、デザイン主導のアプローチの場合はそれこそ自分自身が日常にありふれた行動のなかにいかに隠れた価値を見出せるかが勝負ですので、創造性をわりと発揮しやすいのではないかと思います。

そんなことを感じているので、最近、ユーザー調査という手法がとってもおもしろく感じてるわけです。他人を変えるんじゃなく、自分自身の見方を変えればいいっていうお手軽さが特に僕好みなんですよね。

  

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