ふつうの山の登り方

山に登るとき、麓から一気に頂上まで行けるなんて考える人はいないよね(ヘリコプターとか使えば別だけど)。
麓から一歩一歩登っていくよね、普通は。
で、登ってるときにはそれこそヘトヘトになったりしつつも気がつくと意外と上のほうまで来てて、あれ、もうこんな高さまで登ってきたんだなんて思ったり。

それなのに、なんで何か仕事上の目的を達成する際や、何かしらのスキルを身につけようと思うときって、意外と多くの人が「えーむずかしそう」とか言って努力せずにあきらめようとすることって多いんでしょ?

何か未知の神秘的な力

昨日の「天才のひらめきのベールの向こうにあるもの」とも関係する話ですけど、人って本当に、複雑なものを前にして、その複雑さの起源にさかのぼる道が見つからなかったりすると、何か未知の神秘的な力がそこにあると考えるような誘惑に駆られがちみたいです。

むずかしいことを達成する背景には、自分には手の届かない天才的な才能だったり、人とは異なる特別な能力だったりが、何かむずかしそうなことを成し遂げるには必要不可欠だと思い込んだり。

そして、ちょっとむずかしそうに見えるとおじけづく。
それは自分の能力で可能なものではなく、天才的な才能や特別な能力をもった人しか達成できない問題じゃないかと。

結果、「むずかしいよ」って言って、そこから一歩も動こうとしない。

麓からいきなり頂上に登るのって現実的な能力じゃないよね

でもさ、そんな天才的な才能とか特別な能力なんてあるわけないじゃん。

そんなの単に地道に目標にむかってプロセスをまわした結果だよ。
麓からいきなり頂上に登ったじゃないかって思うから無理なんですよ。そんなの誰だって無理。誰だって無理なことを達成する能力があるんじゃないかって想像するより、麓から一歩一歩登って頂上に達したというプロセスを想像するほうが自然だと思うんだけど、なんでそうしないんでしょ?

それを想像した上で「うわ、めんどくさ」と感じて、それを「むずかしいよね」って言ってるなら、ここで書いてあることは無視してもらってもいいです。
でも、そうじゃなくて、何か天才的な仕事、特別な力みたいなものを想像して自分にはそんな能力がないとあきらめてるなら、そんな馬鹿げた非現実的な理由で自分を卑下するのはやめたほうがいいですよって思います。

頂上ばかりじゃなく、たまに振り返って下のほうも見てみれば

頂上ばっかり見てると、あんなとこまでとても登れないって思うかもしれません。でもね、たまに振り返って自分がこれまで登ってきた道のりを見てみれば「あれ、もうこんな高さまで登ってきたんだ」と思えることってあるはずです。

そのすでに登ってきた高さとこれから登ってきた高さを比較すれば、あとどれだけのプロセスをどれだけの時間やコストが必要かわかるでしょ。
上ばっか見て、うわー高けー、絶対無理とか言ってるのは、単にその高さと自分の登山能力の比較が客観的にできていないだけの場合が多いと思うよ。

積み重ねの力

茂木健一郎さんも言ってます。「創造性は「過去の経験×意欲」という掛け算であらわすことができる」って。

マインドシェアの獲得に必要な5つの要素」でも他人に価値を感じてもらえるようなマインドシェアを獲得・維持するための要素の1つとして「同じ価値を常に新鮮な形で提供し続けること」が必要だって書きました。

人って手の指が10本しかないせいなのか、どうも積み重ねの力を甘く見すぎてるところがある。

でも、積み重ねる、反復することで、これまで見えてなかったものが見えるようになることは普通にあります。山を登っていくうちに今まで見えなかったところまで、どんどん視界が広がっていくようにね。

「むずかしそう」っていって動けなくなってる人がいたら、そういう山の登り方を教えてあげるといいかもしれませんね。

それがふつうの山の登り方だよって。

  

関連エントリー


この記事へのコメント

  • sgr

    毎日の執筆お疲れ様です。
    幼い頃の習い事に始まり、受験や学業、部活動で「高い山に登った」経験の有無によって人は二つに分けられるのではないかと考えています。経験があれば応用する事で多くの問題を自力で解決するケースが見られますが、経験の無い人は本文で述べられているように挑む前に挫折してしまう事が多いようです。

    「登山」未経験のまま大人になった人が取る愚かしい保身の行動を、いかにして健全な方向に修正していくかと言う事は大事だと思います。「私はできる」と言うのは簡単ですが、それ以上に出来ない人を出来る人に改良できる環境作りが大事だと思います。
    2007年07月24日 14:45

この記事へのトラックバック