世間では一般的に、孤独な発明家がこの世になかった新しい装置を理性とひらめきだけで創造するというロマンチックなイメージがある。しかしペトロスキーによれば、発明とはえてして試行錯誤を経て生まれるものであり、製品は機能しない部分を1つずつ取り払っていくことによって連続的に開発されていく。マーク・S・ブランバーグ『本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源』
あれ、これってプロトタイピングとユーザーテストによる反復デザインにも通じる話じゃんって思いました。
かたちは失敗のあとにできる
このマーク・S・ブランバーグの『本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源』は、前に紹介したマット・リドレーの『やわらかな遺伝子』での「生れか育ちか」論争に興味をもって買った本です。ちょっと読み始めましたが、これもなかなかおもしろいです。ちなみに上の引用に出てくるペトロスキーさんは人間の製造品の進化をいろいろ紹介してきた人で、『本棚の歴史』
で、先の引用の続きはこんな感じ。
進化と同じく、デザインでも不適当なものは必然的に除去されるので、最終的にできあがった製品は、深い思慮の産物のように、あるいはインテリジェント・デザインの産物のように見えるわけだ。トーマス・エジソンの有名な言葉にあるように、発明者は失敗を通じて成功にたどりつく。ペトロスキーが言うように、かたちは失敗のあとにできるのである。マーク・S・ブランバーグ『本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源』
でも、プロトタイピングとユーザーテストでデザインの失敗を認識することってやってない場合も多いよね。
で、そうやってデザインしたものは、えてして「深い思慮の産物のように」も見えないし、「インテリジェント・デザインの産物のように見え」ない。残念 w。
「かたちは失敗のあとにできる」のだとすれば、かたちになってないデザインが多いのかも。
成功のために失敗する時間をください
デザイン・プロセスにおいて、かたちをつくるために必要な失敗をおかすためには、当然、その分の時間とコストが必要になります。でも、その時間とコストを予定にいれてないデザイン・プロセスが多いよね。ただ、なんとなーく何の方法論もプロセスももたずにデザインという名のお絵描きしてるだけなら、成功する確率って本当に運任せになっちゃいます。
それだとあんまりプロに頼んでるメリットってないですよね。
プロならちゃんと成功のために必要な失敗をおかす時間とコストをくださいっていうべきかも。
あれ、また、人間中心のデザインの話になっちゃってますね。
それにちょっと飽きてきたので進化論関係の本を読み始めたはずなんですけど。
でも、そういえばそもそもこの『本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源』も進化論関係の本を読み飽きたから買ったまま読まずにいたんですけど w。
ついでにペトロスキーさんの本も
それから、ペトロスキーさんの本もおもしろそうなので、さっき買っちゃいました。2つの大きな葉では一口大の食べ物を突き刺せず、さらに歯のあいだが広いのですくうこともできない。これらの問題に対処するために、今度は歯が3本あるフォークが登場した。これなら肉を押さえる昨日もいままでどおりだ。やがて、歯は4本に進化し、一時期は歯が5本や6本あるフォークも現れた。この5本や6本の歯のフォークが短命に終わったのは、人間の口の幅からして使えるフォークの幅にかぎりがあったからだ。マーク・S・ブランバーグ『本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源』
ね。おもしろそうじゃない?
すくなくとも「道具のカタチとリクワイアメントエンジニアリング」なんてエントリーで道具のカタチの淘汰圧なんてことを考えてる人にはとても興味のある本に思えました。
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