2007年07月18日

どう学ぶか?:いや、結局は方法論じゃなく実践です。

HCDプロセスをはじめとして方法論について語るのが好きな僕ですけど、それでも、結局のところ、本当に大事なのは方法論じゃなく実践だと強く信じています。

「棚橋さんはどうやって勉強してんるですか」とたまに聞かれます。
でも、どうやってとかじゃないんです。そんなこと考えるよりもとにかく学べばいいんだと思います。
自分の興味や関心に正直になることです。そして、ためらわずにめんどくさがらずに、好奇心のまま身体を動かすことが大事だと思います。

本を読むのでもいい、セミナーに参加するのでもいい、仕事上の実践でかかわる人から学び取ってもいい。
方法なんていくらでもありますから、その中で自分に合ったものを優先して学べばいいだけです。そのあたりは方法論よりもまず実践に対するやる気だと僕は思っています。

自分が座学が苦手だからかもしれませんが、僕自身は「教えてもらいたければまず学べ!」と思っていて、実際、自分で勝手に学んでいると「教えて」なんて言わなくてもまわりが勝手にいろんなことを教えてくれるようになります。自分で次に何を学べばいいかもわかるようになりますし。

学ぶ方法論を扱ったエントリー

とはいえ、やはり僕は方法論について書くのが好きなようです。
実際、学ぶための方法論に関しては、これまでにも以下のようなエントリーを書いてるみたいです。ほかにもあったかもしれませんが、思いつくかぎりピックアップしてみました。

真似るための3つの条件
「学ぶ」の語源は「真似ぶ」だそうです。真似るための3つの条件として「よく観察すること」「我を忘れること」「繰り返すこと」を提案しました。
苦手だと認識したら克服する努力をしてみる
苦手なものを見つけたときこそ、学ぶチャンスです。苦手なことを克服するプロセス、苦手なことを克服するアイデアなどを紹介しています。
未来を考えるならいまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないこと(あるいは多和田葉子『ふたくちおとこ』)
学ぶ前に自分の学ぶべきのものの範囲を過剰に狭めてしまう人が多いです。でも、「将来何が役に立つかはわからない、わかっていたらそれは役に立たない」と僕は思っています。未来を考えるならいまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないことが大事だと思います。
反復練習が脳力を高める
「脳は反復により変化する」をベースに、反復的練習を日課にする方法として「ブログを書く」「他の人に説明する」「お客さんなどに提案する」を提案しました。
書かなきゃ自分が何がわかっていないかさえわからない
上の「ブログを書く」ことなどがなぜ必要かといえば、書くことで自分が何がわかっていないかが明確になるからです。何がわかっていないかがわかればそこを重点的に勉強すればいいわけです。
くせをつける、身につける
学ぶということは「ふつう」にできることの範囲を広げることだと思います。だからこそ、「ふつう」になるにも努力は必要で、「ふつう」の所作を身につける、身体に覚えさせることが大事だと思います。
色即是空。諸行無常。便利なハウツーもいつ塵となって消え行くかわからない
ハウツーだけじゃダメかしら?(ダメです)。学ぶことを答えを学ぶことだと思ってる人がいますけど、間違えです。そうじゃなくて、学ぶべきことはむしろ方法論なんだと思います。結局、答えは自分で見つけるしかないんです。そのためには行動、実践しかありません。ただ、何もわからずには行動できないからこそ方法論は重宝します。でも、そこでも正しい答えなどないんです。いろんな方法論を参考に自分の行動の型を見つけていくしかないんです。
動機としての無知
僕は勉強してる、なんて平気で口にする人がいますが、僕はそういうことをいう人はどうかしてると思ってます。ほんとに勉強してたらいかに自分が勉強したりないかに気づくことのほうが多いはずだと思うから。無知こそが学ぶ動機だと思います。好奇心こそが学ぶための行動を後押ししてくれる。そして、学ぶことの中にこそ、無知や好奇心は見つかるのだと僕は考えています。

でも、何度もいいますけど、結局は自分の興味や関心、好奇心に素直になり、それに従って身体を動かすことが大事です。方法論なんてそうした実践のなかから身についてくるものです。むしろ、他人の方法論は自分の方法論がなにがしか見つかったときのほうが参考になるはずです。

身につける。そのとき、脳は・・・

で、身につけるっていうのは比喩じゃなくて、本当に身体そのものが変化することなんだと思います。

そろばんの熟練者は、特別な訓練を積むことにより、非常に大きな桁数の計算、それも加減算だけでなく、乗除や平方根まで計算できるようになる。重要なのは、こうした驚異的な暗算能力は、特定の人間に備わった偶発的な能力として発揮されるのではない点である。むしろ「読み、書き、そろばん」という言葉が表すように、そろばんが知的活性の基本要素の1つとして位置づけられてきた日本の伝統的文化の中で開発され洗練されてきた、独特の、しかしある一定の系統的な訓練を積むことにより、潜在的には誰もが獲得可能の能力として開発される。
本田学「運動と思考の脳内強調制御メカニズム」
大津由紀雄ほか編著『認知科学への招待2』

そろばんの熟練者が暗算をするときに使うのは左右脳半球で運動をつかさどる背外側運動前野などだそうです。一方、そろばん未経験者の場合、主に左半球を用い、言語処理をつかさどるブローカ野などが使われるそうです。いわゆる思考は左側とかいう場合の脳の使い方ですね。

身につけるっていうのは、まさにこういう風に脳の使い方まで「考える」のではなく「運動する」ように変えてしまうことなんじゃないかと思います。
自分の身体に方法論が身につくよう、身体にくせをつけることってのは、結局スポーツで練習するのと変わりがないんじゃないかと僕は思っています。

あともうひとつ言うと、自分の勉強にはある程度、お金は惜しまないことも大事ではないでしょうか。
安く済ませようっていうのはいいですけど、お金を出し惜しみしてその分学ばないっていうのではダメだと思っています。

 
ラベル:認知科学 学習
posted by HIROKI tanahashi at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脳科学、認知科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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