でもね、ペルソナだけが一人歩きすることは関心しない。やはりHCDプロセスの1過程として捉えたいですね。
『ペルソナ戦略―マーケティング、製品開発、デザインを顧客志向にする』だったり、僕自身もMarkeZineで「ユーザーを知らずにWebをデザインできますか?~ペルソナ/シナリオ法の活用~」なんて記事を書いていたりしますので、ペルソナ/シナリオ法という手法に関心をもってもらえるのは悪い気はしません。
でも、浅野先生がいうようにペルソナだけが一人歩きするのは間違った解釈だなと思っています。それはあくまで人間中心デザインを行ううえでのプロセスの一部です。昨日、「ユーザーテストはこうやります」でも「ユーザーテストはあくまでデザインプロセスの一部です」と書いたのと同じ意味で、ペルソナをつくるのもあくまでデザインプロセスの一部でしかないと思っています。
HCDプロセスを体感して学ぶ
「プロトタイピングとしてのワークショップ」や「Contextual Inquiry調査からペルソナをつくるワークショップをやったよ」ですこし紹介したようなワークショップを、僕がいま社内で行っているのも結局、HCDプロセスも体感しながら学ばないと身につかないものだと思っているからです。というのも、そもそもHCDプロセスがターゲットにしているユーザビリティの向上だとか、ユーザーエクスペリエンスをよくするといった事柄自体が、単に人間の形式知、意識的な知を対象にしているのではなく、いわゆる暗黙知的なもの、身体そのものが認知するものといった認知科学的なものも含めて取り組まなければ、向上する、よくするという目的が達成できないものだからです。
デザイン自体が本当はそういう作業なのですが、それをモノ自体とデザイナーとの2者の対話関係で行うのではなく、そこに実際にモノを利用するユーザーという人間を加えた3者の対話関係で行うのがHCDプロセスです。
だからこそ、認知科学的に第3者であるユーザーの体感をとらえるようなことを、HCDプロセスを実践する人は体感的に学ぶしかないんだと思っています。
ユーザーの行動の視点から考える
同じく昨日の「ユーザーテストはこうやります」で書いたことですが、ユーザーテストでユーザーの行動の観察により発見した問題点をレポーティングするには、「戻るボタンがない」と書くのではなく「前に戻れない」というユーザーの行動の視点で書くことが大事だったりします。デザインするモノとそれを使うユーザーの関係をユーザー側からの視点で描くのです。これはペルソナを使ったシナリオを描き、これからデザインするものへのユーザーの要求事項を明示する場合でも同じです。
ユーザーの行動(意識ではない!)の視点から考えること、それがペルソナ/シナリオ法にもユーザーテストにも一貫して通じる、人間中心デザイン、ユーザー中心デザインの根本的な姿勢です。
そして、それには先に書いたとおり、ユーザーの意識(あるいは自分自身の意識)ではなく、行動を体感的に知るための学びがなくてはそのスキルを向上することはむずかしいと思っています。
観察する視点
そのスキルを体感的に学ぶ方法の1つは絵を描くこと、デッサンをすることなんだろうなと思っています。浅野先生のブログでもよく授業で絵を描く風景が紹介されています。絵を描くということは実は自分が対象を観察するための新しい目を発見することだったりします。
だいぶ前の「無駄な訓練はない」というエントリーで書いたことがありますが、僕自身、一時期、自分のデザイン力が落ちたなと感じて、三ヶ月くらい、毎日最低一枚、鉛筆デッサンの絵を描いていた時期がありました。そこであらためて感じたのはその過程で「物を丁寧に見るクセがついた」ということでした。この「丁寧に」というのは普段ぼんやりと見るのとは違った、新しい自分の視点を手に入れたという実感でした。
自分自身にそういう体験があるからこそ、浅野先生のところで行われている絵を描くとHCDプロセスの関係もよくわかります。
「書かなきゃ自分が何がわかっていないかさえわからない」では、「書くことでもっとも勉強になるのは、書けばその時点で自分が何をわかってないかがわかる点です」と書きました。同じように、描かなきゃ自分が何が見えていないかさえわからないんです。描くことで勉強になるのは、描けばその時点で自分が何が見えていないかがわかる点です。
ペルソナは一人では歩かない。
「ペルソナ:誰のために何をデザインするかを明示する手法」で書きましたが、ペルソナ/シナリオ法というのは、あくまでHCDプロセスの上流工程において、誰のために何をデザインするかを明示する手法です。この手法の利点は、ペルソナやその行動シナリオを描くことによってデザインチームが自分たちに何が見えていないかを理解できる点だと思っています。ユーザー行動が見えていなかったらインタラクションデザインなんてできないはずです。モノとユーザー行動のあいだのインタラクションがシナリオとして描けるからこそ、実際のモノの輪郭を適切に描けるのでしょう。そして、ペルソナや行動シナリオを実際のユーザーの行動をベースに描けるようになるには、まずその行動がわかっていないといけない。そのためにフィールドワーク的な調査、Contextual Inquiry法によるユーザー調査が必要になります。
つまり、ペルソナ/シナリオ法を使う前にも後にもデザインプロセスは続いているわけです。
このことを忘れて、ペルソナを一人歩きさせても仕方がないんです。
ここは絶対に間違えちゃいけないところだと思っています。
関連エントリー
- プロトタイピングとしてのワークショップ
- Contextual Inquiry調査からペルソナをつくるワークショップをやったよ
- ユーザーテストはこうやります
- ユーザー調査とユーザビリティ評価の違い
- 書かなきゃ自分が何がわかっていないかさえわからない
- 無駄な訓練はない
- 認知科学への招待―心の研究のおもしろさに迫る・大津由紀雄、波多野誼余夫 編著
- ペルソナ:誰のために何をデザインするかを明示する手法
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