よい経験って何からできているの?

ざっくりとしたタイトルをつけてみましたが、いま7月16日の15:00-16:30に講演をさせていただく「Web標準の日々」のセッション「Contextual Design 経験デザインへの人類学的アプローチ」のレジュメを考えているのですが、よい経験を生み出すためのデザインを考えるにあたり、そもそも「よい経験って何からできているの?」的なことを考えていたんです。

Web標準の日々http://days2007.cssnite.jp/
講演概要/出演者情報(PDF)http://days2007.cssnite.jp/sessions_days_v1.pdf

僕らは何に喜びを感じるのか?

「よい経験って何からできているの?」の話は当日のセッションまでとっておくとして、そもそも自分がどういう経験をしたときに喜びを感じているのかな?って考えてみました。

思いつくかぎり列挙するとこんな感じ。

  • ひさしぶりにGITANESを買って吸ったとき
  • よく晴れた日のデートで手をつないだとき
  • 家にあるガジュマルが育ってるのに気づいたとき
  • ブログに素敵なコメントをもらったとき
  • これは絶対と思っていたコンペで勝ったとき
  • ユーザーテストやユーザー調査でおもしろい発見をしたとき
  • ふと何気なく触ったタオルやぬいぐるみの感触がふわふわで気持ちよかったとき
  • これはゆっくり味わおうと思えるようなすごくおいしいものを口にしたとき
  • 仕事中に毎日TULLY'Sのアメリカーノを飲むとき
  • コンサルティング業務などでのブレストがもりあがったとき
  • 神社にいって樹齢何百年という大きな樹を見つけたとき

意外と普通のことでも、僕自身は喜びを感じているみたいです。

で、さっき考えていたのは、経験なんだから当たり前なんですけど、行動がともなわない経験ってないんだなということです。自分が動かないとよい経験にも出会えない。基本的に相手に何かをしてもらう場合でも自分がただ待っててよいことがあってもそれは「よいこと」ではあっても「よい経験」にはなりえないのかな、と。そんなことをあらためて思いました。
ようするに経験はインタラクションなのだ、と。

よいインタラクションのデザイン

なので、よい経験のデザインはよいインタラクションのデザインなんだと思っています。

で、やっぱり、よいインタラクションを考える際には、モノ中心ではなくて、人間の行動を中心に考えないとうまくいかないと思います。
たとえば、Webデザインとか考える場合でもブラウザのなかに表示される1つのWebサイトだけを考えていても「よい経験」のデザインはできないと思っています。それがどんなブラウザで表示されるのか(ツールバーやブックマークレットなども含めて)、ユーザーはどうやってそこにたどり着くのか(Yahoo!?Google?はてな?いつも使ってるRSSリーダー、それともどこかのブログから?)、ノートで見てるの?オフィスで見るの?家で見るの?とかね。

その点、講演で紹介するContextual Designというデザイン手法は、人間の行動にフォーカスして、ユーザーの仕事のリデザインを行うことを目標にしている点で、今回、ユーザーエクスペリエンスのデザイン手法として紹介させてもらおうと思っています。

Contextual Designの3つの特徴

Contextual Designという手法で僕が特徴的だと思っているのはこの3つ。

  • 観察重視でのユーザー調査からスタートする
  • 調査結果からユーザーの行動をモデリングする
  • 何よりユーザーの仕事をリデザインしようとする

人類学的だと思うのは、デザインをする側がユーザーのコンテキストの中に入り込んでデザイン作業を進めていくところです。いわゆる人類学におけるフィールドワーク的なアプローチをとっていくんですね。

1993年頃からスカンジナビア諸国を中心に、設計プロセスにユーザーを参加させる参加型デザインの動きが起こり、日本でも一部導入され、地域おこしや街づくりという活動における住民参加という形で定着したりしていますが、Contextual Designも参加型デザインまではいかないまでも、非常にユーザー中心の考え方でユーザーのすぐそばでデザインするところがポイントなんだろうなと思います。

身体で感じとれる距離で

ようは実際にデザインしたものを通じて仕事を経験するユーザーのすぐそばで、ユーザーの経験を感じとりながらデザインを進めるんです。ペルソナ/シナリオ法同様に、Contextual Designも調査を元にした個々人のシナリオを作成したあと、それを統合するプロセスがあります。そのプロセスを通じて、デザインチームはユーザーの経験を経験する。「よい経験って何からできているの?」の答えは当日まで示さずひっぱりますが、デザインチームがユーザーのすぐそばでデザインを行う過程にはその答えに触れるヒントが隠されています。もちろん、ちゃんと感じとる心構え、スキルを身につけておかないと、いくらユーザーのそばで仕事をしてもだめですけど。

形式知と暗黙知(っていうか直接話をきいてやれ)」でもすこし触れましたが、体感的に何かを感じあえる距離できなければわからない情報というのはたくさんあります。それは声や言葉として表現される情報だけではなく、ユーザー自身も意識していない行動のなかに含まれた情報です。そうした情報をリデザインするのが経験のデザインにほかなりません。

ヒトは繊細で多感な生き物だから」、本当はデザインチームもその繊細さや多感さを十分に活用して、身体で感じながらデザインをしなきゃいけないんだと思います。Webばっかり見ててもよいデザインなんか生まれません。

そんな意味も含めて「Web標準の日々」にも関わらず、僕のセッションではWebの話をいっさいナシで行こうと思ってます。
当然ながらこのブログのまんま、進化論から認知科学、人間中心のデザインやマーケティングまで領域横断的に突っ走ってます。
僕のセッションでは、そのあたりをお楽しみにしていただければ。

 

関連エントリー

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック