終わり近くで、エイハブ船長率いる捕鯨船ピークオッド号もまた台風に巻き込まれるのを台風13号の訪れを前にしながら読み進め、3巻合計1200ページ強を12日かけて読み終えたのだった。
読みはじめたばかりの頃に別の場所でも「鯨の語源」という記事で書いたが、この『白鯨』という小説、所謂「小説」と思って面食らう。小説でもあるが、百科全書的なのだ。
全135章から成る作品中、ストーリーを前進させるのとは無関係に挟まれる鯨関連の知識を伝える章はどれだけあるだろう。
鯨という言葉の成り立ちを問う「語源」をはじまりに、旧約聖書からプリニウスの『博物誌』という古代から、モンテーニュの『エセー』やシェイクスピアの『ハムレット』、ホッブス『リヴァイアサン』やミルトン『失楽園』というルネサンス以降の文学や、クック船長の『航海記』やそのクックと航海をともにしプラントハンターとも称されたジョゼフ・バンクスの書簡などの博物学的視点、『ゲーテとの対話』のエッカーマンやダーウィン『ビーグル号航海日誌』などにいたるまで、歴史上のさまざまな鯨についての記述を集めて並べた「抜粋」を経て、ようやくはじまる第1章を「わたしをイシュメールと呼んでもらおう」と物語の語り手が語り出したのち、22章の「メリークリスマス」で、ピークオッド号がナンターケットの港を出ていくまではなんとか物語は進んでいく。
だが、その後は24章「弁護」で捕鯨という仕事についての正当性が9世紀のングランド七王国のウェセックス王、アルフレッド大王から連なるという歴史を紐解きながら訴えられたり、32章「鯨学」では文字通り鯨という種についての分類学的な視点からの考察が入ったり、そうかと思えば、続く33章では捕鯨船にのる人々の階層構造が語られたりする。35章では捕鯨船の機能としての「檣頭 マスト・ヘッド」、44章ではマッコウ鯨の習性、53章では航海中に捕鯨船同士が出会った際に行われるギャムという互いに互いを歓待する束の間の催しなどについて語られる。
他にも捕鯨船における鯨の解体作業の行われ方、捕まえた鯨から鯨油を精製する方法、歴史上、鯨という生物がどう描かれてきたかだとか、鯨を捕まえた際の捕鯨船同士のルールだとかがとにかく物語の流れを断ち切るかのように差し込まれてくる。
しかも、物語自体も基本的には何かが起こるわけではない。
鯨に出くわせば、捕鯨のシーンに重ね合わされるかたちで、船員たちは鯨をどのような体制を組み、どのような道具を用いて、どんな行動により捕まえるか、その際、どんな危険が待ち構えているかが語られるか、捕まえた鯨を生き物の死体の状態からどのような作業を通じて売り物に変えていくかという捕鯨船のもつ産業機械の顔に焦点を当てる傍ら、物語も進められるという塩梅。
エイハブ船長一行がいかに目標となる白鯨に近づいているかは道中9隻出会うことになる他の捕鯨船からの情報を経て推測されるという仕掛けになっている。
このように書くと、この作品がなんだかひどく明確な知を伝えることに固執したような博覧強記なだけの作品であるかのように思われるかもしれない。
もちろん、そうした面もここまで紹介してきたとおり、あるのだけれど、もう一方では決してそうした言葉に集約されてしまうものを圧倒的に超えたものが存在することを言葉で書かれているはずのこの作品は伝えてくる。この作品を通して、知はたくさん提示されるのだが、作品の印象として残るのは、むしろ知り得ない謎といった性格のものだ。
『白鯨』が発表されたのが1851年。まさに時代を象徴する作品だろう。
1851年といえば、何しろロンドン万国博覧会と同年である。とにかく、あらゆるものを表象化して陳列してステキに見せようという試みが国際規模ではじまった年というわけだ。その舞台となったのがガラスの建築、水晶宮である。
さらに翌年にはパリに世界初のデパートとしてボン・マルシェができた。万国博覧会の出展物に値札をつけて売れる形にしたのが、百貨店である。実際、ボン・マルシェのオーナーたちはロンドン万国博覧会の展示を参考に、百貨店の展示方法を考案している。表象化することで、知となりカネとなる。いや、知やカネがそもそも表象なのだから、それらを生み出すシステムといって良い。
それらはいずれも博物館や美術館などの発展形だ。大英博物館が1759年開館、ルーヴル美術館が1793年の開館だ。啓蒙の時代に確立したミュージアムのシステムが、より世俗的な経済のシステムとして取り入れられたわけだ。啓蒙の時代が知を言葉や記号といっま表象の問題に移し替えたのと同じように、さらに1850年代にはさらにそれをお金という表象にも変えられるようにしたわけである。だからこそ、鯨もまたお金化という表象の方法を通じて市場にアクセス可能な"商材"へと変換可能になったわけである。
だから、この表象化の方法が問題だった。表象と元の本質がつながっているように偽装するための方法が求められたわけである。
「発明の方法の発明」でも書いたとおり、19世紀とはとにかく科学のみならず、文学も美術も方法に狂った時代である。創作という活動も言語化不能なセンスや才能に頼るのではなく、明確に言語化された方法論に基づくことを求めた。それは、ある意味、すべてを明るみに出すことを目指した18世紀の啓蒙の時代の延長線上にある姿勢であるようにも見える。
しかし、やがてこの19世紀の終わりにフロイトが現れて何もかも明るみに出す背後で明らかにできないものが抑圧されて隠されていることをあばきだすように、早くもその半世紀弱前にメルヴィルは明るみに出せない抑圧されたものとしての海、そして、それを凝縮させた存在としての白鯨=モービィ・ディックを描いたのだと言える。
何かを明るみに出してわかろうとするほど、そこから排除されて闇のうちに押し込められるものがある。わかるということは、同時に何かをわからなくすることに他ならない。明が暗を抑圧する。これは必ずセットで起こる。
高山宏さんによれば、この分割が決定的に機能しはじめたのは1760年からの10年あまりの間だという。そして、さらにそこから1世紀弱を経た時点で、メルヴィルが気づいたのが、 何かを明らかにすることと何かを抑圧することの関係であり、いくら抑圧しても、それは消えてなくなるわけではなく、いつでも回帰してきて人々を闇の中へと飲み込んでしまえるよう待機しているのだということではなかっただろうか。まさにフロイト的な世界だ。
『アリス狩り』所収の白鯨論のなかで高山宏さんはこう書いている。
了解可能なものは内部として感じられたが、そうでないものは都市空間の外に、意識の外に押し出され抑圧されきたったのだ。近代、それは世界の内部化だった。近代、それはアイロニーの単純化だった。近代、海からの距離だった。
明確に書けば書くほど、すべてが内部化され、わからないものはなくなるように見える。すべてを自分の思うとおりのものにし、既知の範囲におさめたくなる欲望は当然あってよいものだ。
けれど、実際にはすべてを内部化してみせることは不可能だし、その作業には必ず抑圧によって、あるものをなかったものとするような無理が発生する。もちろん、抑圧したものをそのまま閉じこめておくことはむずかしい。それは必ず形を変えてでも戻ってくる。狂気はすぐそこにある。
だから、百科全書的で、博覧強記に言葉を重ねれば重ねるほど、抑圧される暗部も巨大になるということをメルヴィルは、この作品を通じて示したのだろう。この作品のなかにあらゆる知を詰め込むほど、その知によって除外されたものとしての巨大な謎としてのモービィ・ディック、そして、海という存在が際立つということを通じて。
『白鯨』の海には暗いイメージがある。この記事冒頭にすこし話題にした台風に巻き込まれるシーンのような場面においてのみ暗いのではない。おそらく降り注ぐ太陽のもと、青々とした光景が広がるであろうシーンにおいても、その海に浮かぶピークオッド号がその海そのものにある暗さを引きつけてしまうのかもしれない。エイハブの執念がモービィ・ディックを引きつけるように、ピークオッド号が海の暗さを引きつけるようだ。
その海は紛れもなく18世紀イギリス文学におけるピクチャレスク趣味、特にゴシック文学が得意とした荒涼として陰惨な光景を思い起こさせる。その意味で同時代のエドガー・アラン・ポーの作品と同じ空気を持っている。『白鯨』の海はポーの『アッシャー家の中で崩壊』の冒頭のイメージとしそっくりだ。それは謎めいていながら、人を引きつける驚きをもっている。
そんなさまざまな謎をはらんだ作品だが、決して読みにくい作品というわけではない。特に僕が読んだ岩波文庫の八木敏雄訳のものはとても読みやすくなっている。だから、上中下3巻というボリュームに怯まずチャレンジしてほしい。おすすめしない理由など、1つもない圧倒的な名作だと思うから。