なるほど、そのとおりですよ!って思えるトラックバックを、さつませんだい徒然草からいただきました。
だからこそ、クセをつけることが大事なんだと思うのです。クセにまで昇華させないとチカラが抜けない。
そうそう。「ふつう」になって余計な力が入らなくなるには、クセをつけるしかないんだと思う。余分な力が入らないようにその動きを身にしみこませてはじめてそれが「ふつう」になる。
「ふつう」でいるということは頭ではなく、身体で覚えることだと思います。あるいは、身体の周囲の自分の生活する環境を巻き込んでその中での動きを「ふつう」にしてしまうことなんでしょうね。
身につくデザイン
最近、「行動の痕跡を観察しインタラクションをリデザインする」とか「周囲とともにあるデザイン」とか「身体的な知としてのインテリジェンス」とかいうエントリーで、いかに身体になじんだ、環境になじんだデザインができるかみたいなことを考えてるわけですが、結局、それも身体につながった道具を含めて、くせをつける、身につけるみたいなことなんだろうなって思います。道具が身体になじむようなデザイン。
たとえば、先日、紹介した『包まれるヒト―〈環境〉の存在論』という本に、脳性麻痺の方のためにオーダーメイドの椅子をつくる仕事をしている野村寿子さんという方へのインタビューが載っていて、その椅子づくりではまさに身体に世界とむきあうようなくせをつけるデザインをするんです。
野村:(前略)ただテンピュールだと重いところがへこむのですが、重いところがへこむのは、単に身体の隙間を埋めているだけです。つまり身体の歪みをそのまま型採るだけなので、もたれるには頼りないし、身体の歪みのパターンも変えることができません。私の作る椅子では浮いているところにサポートを入れていき、そのパターンを変えていきます。野村寿子インタビュー「世界とつながる椅子」
佐々木正人編『包まれるヒト―〈環境〉の存在論』
野村:(前略)だから、身体を任せられるものを用意してあげると、そこに安心して身体が着いてくるわけです。そうすることで、着かないところが着くようになり、不安定さが引き金になってくずれていた身体の重心がだんだん中心軸に近づいてくるのです。野村寿子インタビュー「世界とつながる椅子」
佐々木正人編『包まれるヒト―〈環境〉の存在論』
この話を読んで僕がびっくりしたのは、インタビューと同時に掲載されている、脳性麻痺の子供の顔が椅子を作る前と後ではあきらかに違っていて、採型が終わった状態では以前とは見違えるほどプライドをもった顔つきをしていることでした。
身体の歪みを直して、まっすぐ世界と向き合える状態をつくってあげるだけで、2歳の子供の顔つきがこんなにも変わるなんてすごいと思いました。
「ふつう」になるにも努力は必要
結局、「ふつう」になるというのは、この椅子を作ってもらうことに似ているのではないかと思うんです。もちろん、誰かに身体の歪みを矯正する椅子作ってもらうのではなくて、自分で歪んでいるところを治すためには、不安定さを取り払うしかない。それは無理な形で世界に向き合うことをやめることではないかと思います。
世界との隙間を単に知識や虚勢で埋めるのではなく、自ら身体のバランスを整えることでしっかり地に足をつけられるようにする。それにはやっぱりある程度、努力してくせづけすることは必要で、それは子供のころ、毎日歯を磨くようにくせづけられたのと同じようなことを大人になった自分に課す必要はあるかもしれません。
その過程における努力は決して「ふつう」ではないでしょう。しかし、それが身についたとき「ふつう」になる。そして、「ふつう」に世界と向き合えるようになる。
「ふつう」ってラクすることじゃなくて、ラクになることなんでしょうね。
「ふつう」の所作を身につける
デザインでも同じだと思います。さっきの椅子のように「ふつう」を生み出すデザインがある。身体を「ふつう」にしてあげられるデザインがある。そして、そのとき、モノ自身のデザインもきっと「ふつう」なんだろうなと思います。身体の動きにフィットする形で。そして、人と人との接し方でも相手を「ふつう」でいさせてあげられる接し方があるんだと思います。そして、自分も「ふつう」でいられるような。
でも、それは最初からできることじゃない。「ふつう」のデザインをする場合と同じように相手をよく観察しないとわからないのかもしれません。「ふつう」になるということは努力しないことではありません。ただ、その努力が見栄を張ったり、格好をつけたりといった努力とは違う、もっと身体的な所作を含んだものなんだろうなと思うんです。
なんかこのあたりのことはまだ自分自身がぜんぜん「ふつう」になりきれていないのでちゃんと言い切れませんね。
でも、そんな風に考えられるようになっただけでも進歩だな。
これからもっと精進します。
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