歴史の地震計:アビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ・アトラス』論/田中純

『歴史の地震計:アビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ・アトラス』論』
読み終わってから、すでに2週間以上経ったが、読んでいるときから、絶対に紹介しておかなくていけないと思った一冊。
そのくらい、この本の主人公、アビ・ヴァールブルクによる『ムネモシュネ・アトラス』という仕事の意味は、イメージと思考の関係を問い直す上で重要なものだと思うからだ。
このイメージと思考の関係を問わずして、2017年は終われない。

歴史の地震計


イコノロジー(図像解釈学)の祖として知られるドイツの文化史家アビ・ヴァールブルク。彼がその晩年遺したのが、971枚の図版を総数63枚の黒いパネルに配置した『ムネモシュネ・アトラス』と呼ばれる制作物である。
ヴァールブルクは、この制作物に関する説明を簡単なメモ程度しか残していないため、この図像群をどう解釈するかは多くの研究者たちが取り組んでいる。本書の著者、田中純さんもその1人。以前にも田中純さんによるアビ・ヴァールブルク論『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』を読んだが、本書のほうが『ムネモシュネ・アトラス』にフォーカスした内容となっている。

すでに1つ前の記事「イメージと思考を結びつける」でも紹介したとおり、『ムネモシュネ・アトラス』のムネムシュネとはギリシア神話に登場する記憶を司る女神の名前だ。ヴァールブルクが「図像アトラス」とも呼ぶ、このプロジェクトは、古代から20世紀にいたる美術作品のみならず新聞掲載の写真までを含めたイメージ群から構成されたシリーズである。ただし、現在はパネルそのものは失われ、それを撮影した白黒写真のみが残されているという。

ムネモシュネ・アトラス


解釈はいろいろあるとはいっても、文化史家であるヴァールブルクが971枚の図版を元に、何からの形でヨーロッパの歴史を表象化しようとしたものということだけはすぐに想像がつく。だが、その表象しようとした歴史が、通常、僕らが認識しているような形での歴史ではないこともなんとなく雰囲気から感じられる。
それは明らかに明快な印象を与える歴史ではない。

逆に、ヴァールブルクが提示しようとしているものが不可解で不気味な歴史なのだろうという予感を、この『ムネモシュネ・アトラス』の写真から感じられないとしたら、その人はあまりにイメージを観る目がない。そんなイメージを観る目をもたない人たちを、そうした形に矯正してしまった要因となるものに歴史を、むしろ、ヴァールブルクのこのプロジェクトは暴き出しているのだということが、この本を読んであらためてわかったような気がする。
いわゆる歴史というものが1つの矯正であり、その矯正に抗い、はみ出してくるものがイメージの中にはある。

そのことをヴァールブルクは僕らに伝えてくれるし、僕もそのことを伝えたいと思った。
だからこそ、そうした矯正の歴史をすこしでも垣間見せられればと思い、この本の紹介は必ずしようと思っていたのだ。

記憶はきわめて危険な出会い

「過去は生きています」。

印象的だったこの言葉は、本書後半に資料として所収されている、イタリアの哲学者マッシモ・カッチャーリとの対談で、カッチャーリが言っているもの。
記憶はきわめて危険な出会いです。研究者としてのヴァールブルクのマニアはまさにプラトンのいう対象への愛、マニア・エロティケなのですが、この対象には動きがあります。これが恐ろしいのです。過去は生きています。過去はわれわれが好きなときに引き出しからカタログを選び出すのではなく、むしろカタログのほうが勝手に出てくるのです。

ムネモシュネが司る「記憶」を危険だとカッチャーリは言う。それは、こちらがコントロールして欲しいときに登場するのではなく、むしろ、こちらが意図しないときに過去のほうから勝手に出てくるからなのだという。

確かに、この本を読んでいると、文化史家ヴァールブルクが『ムネモシュネ・アトラス』でイメージ群によって示している過去は、制御された形で解釈された歴史というよりも、夢のように多義的な解釈を可能にする記憶のコントロール不可能な形での蘇りという印象を受ける。

そんな身勝手な記憶を無理やり、テキストや年表のような線形的な思考で矯正しようとしても、それに抗おうとするものが必ず、あとから滲み出してくる。まさに昼間の明快すぎる意識が抑え込んだものが、夜になって夢となって蘇る、そんな夢の機能と同じである。ヴァールブルクが表現しようとしたのは、そんな夜の側の歴史ではなかったか?


『ムネモシュネ・アトラス』の図像のテーマのクラスタ分析結果


生きている過去はパフォーマンスで語る

そんなことを思うのは、『ムネモシュネ・アトラス』と同様のパネルを使ったヴァールブルクの講演の様子を伝える、以下のような説明を読むときだ。
スライドのダブル・プロジェクションによる比較法ではなく、図像パネルを駆使したこの方法をヴァールブルクが選んだのは、多数のパネルを同一空間に併置することによって、複雑に交錯する図像間の歴史的ないし理論的関係を示すものであったととりあえずは言ってよい。それはイメージのハイパーリンク構造を先取りしたものであるという評価をされることもある。

確かに、複数の画像間の関係だけを示すならハイパーリンクと類似のものであり、デジタルなディスプレイ上に静的な状態で表示可能だ。
だが、田中さんは「ただし…」と続ける。
ただし、現在のデジタル技術をもってしたところで、小さなディスプレイ上で図像のハイパーリンク構造を作る程度にとどまるかぎり、こうした講演でヴァールブルクが模索したプレゼンテーションの可能性は組み尽くされるものではないだろう。なぜならば、図像パネルはヴァールブルク自身の身体を使った講演というパフォーマンスの舞台装置だったからである。それはたんに肉声で語るばかりではなく、図像を指し示すために動きまわる動作も含んでいた。さらにその内容もまた、あらかじめ決められた台本に拘束されずに、その場での即興を交えたものだった。

パネル上に示された図像群は動くことはできないけれど、舞台装置のように動きを促す。図像そのものは動かなくても、まわりの人を動かす。そこがディスプレイ上の表現との違いである。ヴァールブルクのアトラスは、決して固定された線的な歴史の表現ではなく、生きている過去の様子をパフォーマンスを通じて表現するための舞台装置だということだ。

あるいは、田中純さんは別の箇所でコレオグラフィーという言葉を使うが、まさに黒いパネルに配置されたイメージ群は、演者ヴァールブルクに対する一定の支持内容を示す譜面や振り付け内容を示したものだともいえる。
内容は示されてはいるけれど、それをどう演奏するか演じるかは、最終的に演者であるヴァールブルクに委ねられる。即興的な要素をそのような意味で含みつつ、演者の側もまったくの自由であるわけではなく、譜面をどう読み、どうそれを再現するかという視点で、歴史に対峙することになる。いつ対峙するかによって演じられる歴史は変わるだろう。

そのような意味で、過去は生きてていて、記憶は常に危険な出会いをもたらすのだと思う。

この歴史の生きた様を感じないのだとしたら、あまりに鈍感だ。

現実と夢のあいだの境目がなくなる

『ムネモシュネ・アトラス』という舞台装置は、過去と現在、あるいは未来との間の、通常強固なものとしてあると僕らが思い込んでいる境目を無効にする装置だといえるかもしれない。

そんなことを思わせるのは、田中純さんが本書で紹介している、18世紀後半のヴェネツィアの画家フランチェスコ・グアルディが描いた「カーニヴァルの仮面たちがいる建物」を見るときだ。

カーニヴァルの仮面たちがいる建物
フランチェスコ・グアルディ「カーニヴァルの仮面たちがいる建物」


この絵には16世紀に生まれて以来、イタリアで演じられてきた仮面劇コンメディア・デッラルテの登場人物プルチネッラたちが描かれている。白い衣装と円錐帽が特徴のプルチネッラは道化師のキャラクターなのだが、この絵では普通の人びとがいるヴェネツィアの街の景色のなかに登場している。現実と舞台のなかの夢が混ざり合ってしまっているのである。
オランダの哲学者フランク・アンカースミットはこの作品に、プルチネッラを芝居の登場人物として現実から切り離して描くのではなく、また、ロココ時代のフランスの画家アントワーヌ・ヴァトーのようにコンメディア・デッラルテの登場人物たちに扮した人びとが現実世界で戯れている様子を「この世は舞台」の引喩として描くのでもない、よりラディカルな表現を見出している。それによると、ヴァトーにはまだ残されていた現実と芝居の世界を分ける想像上の境界が、ここにはもはや存在しないのである。プルチネッラたちはヴェネツィアの現実空間で現実の人びとに見られながら、まさにプルチネッラが舞台上で行うような野卑な振る舞いをしている。現実は「あたかも舞台のよう」なのではなく、文字通りに舞台上の出来事と区別がつかなくなっている。表象と表象された世界とが混じり合ってしまっているのである。

現実にはみ出してくるものは、多くの場合、現実が無理やり外へと追いやってしまったものだ。
それは怖れや不快感を呼び起こすような対象であることが多い。汚穢、死や過度な生(性)、あるいは理解のために目を逸らした理解がむずかしい対象たち。
そんなものが、この絵のプルチネッラたちのように現実に忍び寄る。
「記憶はきわめて危険な出会いです」という先の言葉も、この意味で読み直すとどうだろう?

リニアには流れないイメージで語る歴史

ヴァールブルクは「情念定型」という言葉で、一定の身振りを示すイメージが歴史の時間を超えて、何度も浮かび上がってくることを指摘している。


ニンフとアトラス


頭に荷物を載せて歩く、どこから現れたのかわからない雰囲気を漂わせ、人か神か、あるいはエロティックな皮をかぶった化け物なのかわからならい「ニンフ」のイメージ。あるいは、天球を背負うアトラスあるいはせむし、あるいはデューラーの「メランコリア」で描かれた有翼の人物の姿勢。同様のイメージがすこしずつ意味を変えながら、先のプルチネッラたちのように蘇ってくる。
そもそもヴァールブルクによって発見された「情念定型」とは、激しい感情の表出としての「身振り」が定型化し図式化することを通じて、その感情の強度を保ったまま、さまざまな……ときには逆転した……意味内容の表現に転用されうるという現象にこそ関わっていた。この「定型」は形態上のヴァリエーションを含むとともに、意味作用ないし情動喚起作用の変異可能性をも潜在させているのである。さらにそれは、勝者/敗者、上昇/下降といった両極性に対応するさまざまな情念定型と相互作用し、ときには融合して変容していく。

言葉で示せば、境目は明確に示しやすい。
その一方、イメージで示された場合、その意味は固定されず、元は正反対であったはずの意味さえ、同一の図像によって示されることさえある。
ニンフは、やさしい女神になることもあれば、性的に男をたぶらかし、死に板らせるサロメやデリラのような悪女にすら変貌する。このイメージのもつ多義性は、ヴァールブルクが歴史そのものが決してリニアではないと感じていることにつながっていく。
そうした情念定型のヴァリエーションや変異過程、或るイメージが担う意味内容の重層決定の様相といった、イメージ相互のネットワークに関わるがゆえにリニアな言語記述では語りにくい関係性を表すために、晩年のヴァールブルクは『ムネモシュネ・アトラス』を代表とするような、パネル上での図像の平面的配置を採用した。

リニアではないイメージ同士の重層的な関係性が、見方によって異なる多義的な意味を生成する。記憶としての歴史は決して過去に起こった事実ではなく、過去の記憶同士の絡み合いを人がどう見るかによって多様に変化する。

ヴァールブルクが伝えたかったことの1つは、そうしたイメージと言語の隔たりによって生じる新たな歴史の語り方だったのかもしれない。歴史というのものは本来、『ムネモシュネ・アトラス』が視覚化するようにアナクロニズムなものなのではないだろうか。
情念定型という「祖型」は、動物としてのヒトの行動へと生物学的に還元されてしまうものでもなければ、古代へとクロノジカルに遡って確定されるべき、伝播・影響関係の端緒なのでもない。なぜならそれは、人間の情念や感情とその身体表現に現時点でも深く関わり、もろもろの人体描写中でなお作動している諸要因と結びついているからである。問題は人間の表現活動に内在して働いているこの祖型のメカニズムである。それは自然と文化の両者にまたがり……それにゆえにヴァールブルクはダーウィンの研究を参照した……、構造と歴史、共時態と通時態の狭間に位置する……だからこそ、情念定型は認知的分類にとどまるものでもなければ、クロノロジカルに古いだけの起源でもない……。

多くの場合、言語的な思考は多くのものを抑圧する。けれど、その抑圧を逃れて抑圧されたものは必ず回帰する。人が自分以外の生きるものに対して誠実であろうとすれば、それらは必ず回帰する。それが人が生きているということでもある。

その際、抑圧されたものが回帰するときにみせる形態が像=イメージであり、像同士の絡み合いなのだろう。
それはエロティックであると、同時に常に不気味である。生きているのだから、当然そうである。言葉だけではなく、像によって語られたものを読もうとするとき、はじめて、こうしたエロティックかつ不気味な"生きた"思考がはじまるのだと思う。抑圧されたものが回帰してくる様を、自ら読み解こうとする姿勢をみせさえすれば、人はちゃんと本来の歴史とともにあり続けられるのだろう。それにはイメージと言葉の狭間で抑圧されたものの声に耳を傾け続けることだ。

そんなことを考える上で、アビ・ヴァールブルクの仕事について考えることは、いまなお有効だ。



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