3種の表面とユーザー・インターフェイスのデザイン

出発点はここから。

私たちの周囲は多様な表面(サーフェス)でレイアウトされている。表面とは、空気とものとの境界であり、そこで私たちは生きて活動している。
佐々木正人「デザインへの生態学的アプローチ 表面と表現」
後藤武、 佐々木正人、深澤直人『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』

J・J・ギブソンの生態心理学においては、生物を取り囲む環境を構成している表面の性質やレイアウトの組み合わせに応じて、環境そのものがそれに取り囲まれた生物の特定の行動可能性を促進あるいは抑制する行動リソース(アフォーダンス)として考えられています。
生物は光学的情報、音響的情報、化学的情報などの生態学的情報から行動リソースを知覚することで環境の価値を特定します。その行動リソースは環境の側の動きによっても変化するし、生物自身の動きによっても変化します。環境の側、生物の側の動きによって表面のレイアウトが変化し、また、一部は変化しないことで、生物は環境のアフォーダンスを知覚することができます。

3種の表面

人間という生物にとって、この環境の表面のレイアウト変更のタイプ、そして、それによって生み出される表現のタイプは以下の3つに分類できると佐々木正人さんは言います。

  • 未加工の表面
  • 修正された表面
  • 表現された表面

「未加工の表面」とは地面をはじめ、ヒトが加工を施していない自然なままの表面を指します。この「未加工の表面」もヒトに行動リソースとしてアフォーダンスを提供します。ヒトが地面を歩く際には地面の凸凹を感じながら歩きます。それが岩場のように凸凹が激しい場所であれば、なるべく平らなところを探して歩くことになります。このような移動にまつわる経験を佐々木さんは「表面の経験」と呼んでいます。
移動に疲れ、腰掛けたり、横になったりできる場所を探して実際にそうするのも同じように「表面の経験」です。

しかし、ほんのすこしの休息であれば自然の「未加工の表面」に適当な場所を見つけるだけで済みますが、長いことそこに留まることを考えれば、雨風をしのぐ人工的な囲いが必要になる場合もあります。つまり、家です。家とは自然にある素材を用いて人工的につくられた「修正された表面」です。そして、家のような人工物をつくることを佐々木さんは「表面の修正の経験」と呼んでいます。

「表面の修正の経験」には、さらにもう1つの種類があります。それは表面に元々あった性質に別の表面にあった性質を重ね合わせようとする場合の経験です。例えば、陶工は陶器の表面に縄を押し付けて文様を刻んだりします。昨日草原でみた動物の姿を尖った何かでそこに刻むこともできるでしょう。このようにある表面に別の表面が意味するものを重ねたものを「表現された表面」と呼んでいます。そして、この「表現された表面」を経験することを「表現表面の経験」と佐々木さんは呼びます。

情報はいたるところにある

いわゆる狭義の情報デザインとはこの「表現された表面」を対象にデザインすることであり、「表現された表面」を経験するユーザーの「表現表面の経験」を考え実践することです。
Webのデザインなどを考える人はついこの狭義の意味での情報デザインだけを考えがちですが、実際には人間は「表現された表面」だけを単独で利用することはありません。

本を読むときでさえ、ページに文字が並んだ「表現された表面」だけを経験するのではなく、本という「修正された表面」を同時に経験しています。本があまりに分厚く重かったりしたら、長い時間、手の力だけで支えることはむずかしく机などの別の「修正された表面」のアフォーダンスを利用して、本をそこに置いて読むことが必要になります。
また、周囲の環境それ自体の「未加工の表面」も本を読めるかどうかに関わってきます。その場にやたらと人が大勢いたり、なにか工事でもしていてうるさかったり、どこからかいやな臭いがしてきたりすれば、なかなか集中して本を読むことはできません。

「表現された表面」だけをデザインするのでは不十分

本自体の重さ、周囲の音や臭いなど、人は本を読む際に本に書かれた狭義の情報以外にも同時にいろんな情報を受け取っています。その量が本に書かれた情報を読む妨げになるのに十分であれば、本はもはや読まれるものではなくなってしまいます。

同じように情報デザインを考える際でも、画面のなかのユーザーインタフェースだけを考えるだけでは不十分な場合が多いでしょう。

例えば、Web上の画面に並んだメニューのリストがそれぞれ幅または高さが極端に狭すぎれば、マウスを使ってクリックするのに不便なこともあるでしょう。
また、モニターの色によっては背景の色と図の色の区別がつきにくく図や文字を識別するのがむずかしいこともあるかもしれません。
ピーター・モービルが『アンビエント・ファインダビリティ ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』で指摘したように「現在の大雑把なデータベース情報と平面的な地図インターフェースは、3次元の都市環境の複雑さを表現するには不十分」だったりもします。

こうした意味でも「表現された表面」だけを対象に情報デザインを考えるのは、人間という生物の満足度を高めるためには不十分といえるでしょう。

単独のWebサイトをデザインするだけで十分なのか?

ユーザーテストなどを行っていて感じるのは、情報検索の方法1つとっても人にはさまざまな方法があるということです。

ある情報見つけるのにも、まずはその情報がありそうだとわかっているサイトを見つけてから、そのサイトのナビゲーションシステムに従って情報探索をする人もいれば、そこからサイト内の検索機能を使う人、Googleなどのツールバーを使ってサイト内検索を行う人もいます。はなからすべてをGoogleに頼ろうとする人も多いでしょう。
さらには長いインデックスページ内で情報を探す際にCtrl+Fでページ内検索をする人もいます。

ようするに、こういう人たちはそもそもWebのUIのデザインをまったく気にしていないわけです。
こと情報検索に限ってはUIのデザインが意味をなさない人も多くいるということです。

もちろん、すべての人がそうじゃないし、文脈によっては同じ人がUIから情報検索を行うこともあるので、UIがまったく無意味だと勘違いしないように。
ここで考えるべきは、UIに頼らないユーザーもいるということで、そのユーザーたちはブラウザの検索機能や、Googleなど外部のサイトの検索機能を用いることもあるということで、つまりはWebサイトのユーザビリティを考える際にはそうした外部の検索システムに対する配慮も同時に行う必要がありそうだということです。

結局、ユーザーの文脈を配慮することが大事

WebサイトのUIは「表現された表面」です。

しかし、その「表現された表面」は先の佐々木さんの定義からして「表面に元々あった性質に別の表面にあった性質を重ね合わせ」たものなのですから、当然、元の表面にあった性質が時折首をもたげてくることもあります。

それゆえに元々の表面といえるブラウザの機能だったり、ブックマークレットやツールバーの形で関与する外部サイト、そして、PCのモニターやマウスなどの別レベルのUIなどの「修正された表面」が「表現された表面」に書かれた情報以上の情報をもたらすこともありえます。
そのことを考慮せずにWebサイトのユーザビリティ、ユーザーエクスペリエンスを考えることはむずかしいのではないかと思います。

ただし、そうしたものの影響を配慮するとしても闇雲にあらゆる可能性を考慮してデザインするわけにはいきません。結局、何を考慮すればよいのかは、ユーザーがどんな風に実際にそのWebサイトを利用するかという事実をベースに判断するしかないでしょう。
それにはユーザーの行動を観察し、ユーザーの行動の文脈を知ることがやはり大事なことだと思います。

Webサイトをデザインしているのではなく、ある目的をもったユーザーが行う総合的な行動の経験そのものをデザインするのだという意識をもてば、デザインへのアプローチは大きく変わってくるのではないでしょうか。

  

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