現在ではすでに確立されたものといえる人間中心のデザイン手法、ユーザー体験を重視したデザイン・アプローチがこの本の書かれた当時ではまだ萌芽期ともいえる段階で、ここに収められた論文の数々がそのアイデアの原石をうまく表現していて非常に興味深かったです。
それにしても『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』という邦題はあんまりだと思います。
原題は"Bringing Design to Software"で、ソフトウェアのデザイン・アプローチについて1992年にスタンフォード大学で行われたワークショップ「人、コンピュータ、デザイン・プロジェクト」をベースに生まれています。
本書の目的は、デザインをより広い視点からとらえ、他の領域の教訓がソフトウェアにどう活かされるかを探求し、それを通してソフトウェア・デザインの現状を改良することである。テリー・ウィノグラード『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』
編纂者のテリー・ウィノグラードが「はじめに」で上のように語っているとおり、この本のテーマはデザインにあります。そのテーマが見えない邦題はいかがなものか?と感じます。
この本の概要
本の概要を紹介すると、先のワークショップに参加したソフトウェア・デザイナー、グラフィック・デザイナー、プロダクト・デザイナー、研究者や大学教授が全部で14章にわたって、論文やインタビューという形でそれぞれのテーマを語っています。目次を紹介するとこんな感じ。
※()内はすでにこのブログで紹介したエントリー
- 第1章:ソフトウェア・デザイン宣言(「ソフトウェア・デザイン宣言」から学ぶ)
- 第2章:概念モデルをデザインする
- 第3章:アーティスト・デザイナーの役割
- 第4章:デザイン言語
- 第5章:消費者のスペクトラム
- 第6章:アクション中心主義のデザイン(行為中心主義のデザイン)
- 第7章:すべてをシンプルに
- 第8章:デザイナーのスタンス(僕たち、普段、デザインしてないんじゃない?(デザイン・プロセスのデザイン2))
- 第9章:素材との自省的対話(デザインという対話)
- 第10章:プロトタイプの文化
- 第11章:デザインの足場
- 第12章:現場でのデザイン
- 第13章:ソフトウェア・デザインを支える組織
- 第14章:仕事場の人々のためのデザイン
「第8章:デザイナーのスタンス」はIDEOのデヴィッド・ケリーに対するインタビュー、「第12章:現場でのデザイン」はアップル在籍時のドナルド・A・ノーマンが現場におけるユーザー中心のデザインの実践のむずかしさを語った貴重な論文です。
他にも、1978年にゼロックス・パロアルト研究所で、今日のMacやWindowsに先駆けてGUIシステムであるスターを開発したデヴィッド・リデルに、ユーザー体験を重視しプロトタイピングとユーザー・テストを開発プロセスに取り入れたデザイン・アプローチについて聞いたインタビュー(「第2章:概念モデルをデザインする」)や、「デザイン言語は、まわりの環境のいたるところにある。ほとんどのデザイン言語は、無意識なデザイン行為から生まれたものだ」とし、自然言語同様にいますでに存在するデザイン言語がユーザー経験にどのような影響をもたらしているかに着目することからデザインを行うアプローチについて考察したジョン・ラインフランクらの論文(「第4章:デザイン言語」)など、とても興味深い論文、インタビューが満載されています。
ユーザー中心のデザインと組織
ドナルド・A・ノーマンによる「第12章:現場でのデザイン」をはじめとして「第13章:ソフトウェア・デザインを支える組織」「第14章:仕事場の人々のためのデザイン」はユーザー中心のデザインの実践にはいかに組織においてデザインの影響力が理解され、デザイナーを支援する体制が必要かについて述べられています。「ユーザビリティ成熟度モデル」でも「プロトタイプを使ったユーザビリティテストの実施すらままならない会社で、その上の「訪問調査やインタビューを実施して、シナリオやペルソナを開発する」というのは結構ハードルが高い」と書きましたが、組織の体制や文化がさまざまな本で紹介されたようなきれいなユーザー中心のデザインプロセスを実践することの障害として立ちはだかります。
現場でのデザインは、アカデミックな場で討論される「いいデザイン」とは顕著に異なったものである。(中略)この章で語るのは、私の学習プロセスのひとつのステージである。つまり、学界という有利な地位からは単純に見えても、産業の内側から見るとしばしば複雑を極めているということだ。ドナルド・ノーマン「第12章:現場でのデザイン」
テリー・ウィノグラード『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』
ユーザーに焦点を合わせるというのは、単なる態度ではない。そのための作業が必要なのだ。ユーザーとインタラクトするスタッフを支える構造と、各段階でユーザーのデータを集める組織が必要である。ローラ・デ・ヤング「第13章:ソフトウェア・デザインを支える組織」
テリー・ウィノグラード『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』
昨今、ユーザー中心のデザインが注目を集めてはいますが、この本で提起された問題はいまだ解決されたとは言いがたいと思います。だからこそ、僕らは1996年という10年以上前に発表されたこの本を読む理由があるのではないでしょうか。
ユーザー中心のデザインと組織
他にも気になった言葉をいくつかピックアップして、このエントリーを終わりにしましょう。- ローマ時代の建築評論家ヴィトルヴィウスは、すぐれたデザインの建物は堅実さと商品性、そして喜びを持ち合わせていると言った。同じことがソフトウェアにも言えるかも知れない。堅実性とは、プログラムに機能を妨げるバグがないこと。商品性とは、そのプログラムが意図した目的に合っていること。喜びとは、そのプログラムを使うことが嬉しい経験であるということだ。ソフトウェア・デザイン理論の発端は、ここにある。 「第1章 ソフトウェア・デザイン宣言」より
- インタラクション・デザインは科学である以上にアートである。その究極的な課題は、人間の経験や主観的な反応といった、大海のように変化し続け、とらえどころのないものなのだ。 「第3章:アーティスト・デザイナーの役割」より
- そのテクノロジーにどれほど文化的な親しみがあるかによって、堪忍袋の境界線は変わるのだ。自動車はPC以上に反ユーザー的なものである。メンテナンスは複雑だし、運転するのは危険で、罪もない市民を定期的に殺したり傷つけたりしている。だというのに自動車がユーザー・フレンドリーに見えるのは、ガソリンを入れたり、修理屋と話をしたり、複雑な自動車コードを覚えたり、ローンを組む方法を理解したりという、自動車技術をとりまくあれこれに慣れるのにわれわれが一生をかけているからである。 「第5章:消費者のスペクトラム」より
- そのソフトウェアが使われる領域でオントロジーを打ち立てることと、標準的な記数法でそれをパターン言語として表現すること、そしてつくり手の仕事をコーディネートすることは、ソフトウェア・アーキテクトの仕事の作業の中核となる。それはちょうど建築家がスケッチや青写真で、建設業者と調整し、ユーザーが結果を評価するのに用いられるようにするのと似ている。こうした技術の方法を「行為中心主義」のデザインと呼ぶ。 「第6章 アクション中心主義のデザイン」より
- ある企業がやってきて、「新しいトースターをデザインしてもらいたい」と言ったとします。私は「パンがどうカリカリになっていくかを研究しましょう」と答えるでしょう。相手は「いや、トースターのデザインをお願いしているんです。さあ、始めて下さい」とくる。トースターが何であり得るかという彼らの想像の世界は、狭いのです。しかしわれわれは、「われわれの仕事は、パンの歴史を見ることから始まるんです」と返事をする。 「第8章 デザイナーのスタンス」より
- 問題に向かう時、デザイナーはまさにその道を切り開き続けているのであり、新しい動きを取るにしたがって、新しい見方と理解を築いていくのです。デザイナーは「結果はいいものになるか?」とか「現在のデザインの状態は、先にやったこととうまく合うか?」、「新しく出てきた問題や可能性は?」といったようなさまざまな問いを通して、それぞれの作業を評価します。 「第9章 素材との自省的対話」より
- ユーザーと話をしないことには、限りない数の言い訳がある。「どんなものが必要なのかはわかっている」「時間がない」「難しすぎる」「お金がかかりすぎる」「社員をユーザーのところへやることはできない。重要な情報が漏れてしまう」「ユーザーはいつも自分が何が欲しいかわかっていない」など。 「第13章:ソフトウェア・デザインを支える組織」より
コンピュータとヒトのインタラクションをつなぐユーザー・インターフェイスのデザインにはすでにこのような価値のある歴史があります。その歴史の上に僕らは立っていることを理解し認めるかどうかは非常に重要な違いとなってあらわれるのではないかと思います。
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