シェイクスピア・カーニヴァル/ヤン・コット

何回かぶりの書評記事。
とりあげるのは、ヤン・コットの『シェイクスピア・カーニヴァル』
でも、本の紹介にはいる前にすこし寄り道をしたい。



キリスト教の祝祭が、それまで様々な地域にあった異教の祝祭を吸収・統合しながら成立したことはよく知られている。
たとえば、代表的な祝祭でキリストの生誕祭とされるクリスマスも、古代ローマの祭で、12月17日から23日までの期間に開催されていたサートゥルナーリア祭(農神祭)が元になったと言われている。

この祭、社会的身分制度が覆されることを特徴にしていた。
期間中、奴隷は自由に振る舞い、主人より先に食事をすることが許され、人々はプレゼントを贈りあい、大いに飲んで食べて騒ぐことが許された。マルセル・モースが『贈与論』で語るような贈与性の名残も感じられる祭である。

カーニバル的なものの終焉の時期に

クリスマスにもこの社会的身分の逆転という習慣は残ったという。イギリスでは、使用人が主人の催す舞踏会に呼ばれ、執事は女主人と、女中頭が主人と踊ったのだと『魅惑のヴィクトリア朝』で新井潤美さんが書いている。中世ではクリスマスのパーティーは盛大で、国王や貴族、地主らが村人などを招いて盛大な食事をふるまったのだそうだ。それが共同体の絆を深めるのに役立ったということも含めて、このあたりも贈与経済やポトラッチの名残を感じさせる。

しかし、そんな風習も、地主や領主が経済的な理由でパーティーを縮小したりする傾向のなかで、クリスマス・パーティーは徐々に家庭的なものになっていったのだという。17世紀にはアッパークラスにも家庭を大事にする習慣が広まり、庶民も自分の家でささやかなパーティを行うようになってくると、クリスマス・パーティーからが贈与的な関係で共同体を結ぶ機能が失われていったようだ。

さて、ここでこの記事の本題であるヤン・コットの『シェイクスピア・カーニヴァル』に話がつながってくる。コットがこの本で、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』や同時代の劇作家クリストファー・マーロウの戯曲『フォースタス博士』の背後にあるカーニバル的な反転、転倒を読み解いているということはすでに1つ前の記事「既存の枠組みを冒涜して嗤え、危機感にあふれた時代に」でも紹介したとおり。
マーロウの『フォースタス博士』が1592年頃に初演、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』が1595年-96年に書かれたと言われているから、まさにクリスマス・パーティーが共同体的なものから家庭的なものへと移り変わろうとしていた時期の作品だといえる。

クリスマスだけでなく、カーニバル(謝肉祭)もまた、カトリックの祝祭である以前はゲルマン人の春を祝う古い祭が起源とされるものだ。それがキリスト教のなかに取りこまれることで、一週間のあいだ羽目を外して様々な狼藉を繰り返し、その責任を藁人形に転化して、火あぶりにすることで祭が閉幕するといった祭の形式が確立する。しかし、それも中世からルネサンス期までのことで、クリスマス同様、17世紀頃になると変わってくる。

そんな時代の移り変わりに、マーロウも、シェイクスピアも、カーニヴァル的な価値転倒に注目した戯曲をつくった。まさに時代そのものが価値転倒しようとしていた時代だっからこその芸術家の嗅覚のなせるわざだったのだろう。

面白まじめの価値転倒

コットは、カーニバル的な価値転倒について、こんな風に書いている。
農人祭から中世、ルネサンスのカーニヴァルや祝祭まで通して、人間精神の高尚英邁な性質は片はしから−バフチーンが説得力豊かに示してくれたように−(特に排泄、放尿、性交、出山といった「下層原理」に力点が置かれた)肉体的諸機能に取って代わられる。カーニヴァル的知においてはそれらこそが生命力の精髄である。生命の持続を保証してくれるものだからだ。
ヤン・コット『シェイクスピア・カーニヴァル』

このカーニバル的な価値転倒を『真夏の夜の夢』で代表するのが、ロバの頭に変身させられた機織り職人のボトムと、そのロバ頭の怪物に惚れ薬のせいで欲望することになる妖精の女王タイタニアの関係である。

「ボトムの変身において、彼とタイタニアの出会いにおいて、高きものと低きもの、形而上学と物理学、悲哀と滑稽とが出会う」とコットは書く。
頂点(女王)にあるものが底辺(ボトム!)に恋をしてひれ伏すことになる。

この価値転倒のパロディこそミハエル・バフチンが面白まじめ(セリオ・ルーデレ)と呼んだものである。
ところが面白まじめにおいては頂などただ単に「神話」であるにすぎず、底こそが人間の条件なのである。底の記号、底のエンブレムが頂の記号、頂のエンブレムに、地に足のついた確証を与える。天上のヴィーナスこそ逆に「獣の愛」−馴致されていない欲動−の投射されたもの、その神話的イメージというにすぎないのである。
ヤン・コット『シェイクスピア・カーニヴァル』

天井のヴィーナスのように洗練されてあるはずのものが実は、知に足のついた「獣の愛」の抽象化されたイメージにすぎないことが、カーニバル的な「面白まじめ」においては暴かれる。
それはクリスマスも、謝肉祭も、元をたどれば、贈与社会の名残をもった土着の祭なのだという、「神聖冒瀆は古い由緒ある慣習であった」とコットがいうような中世においては、ごくごく当たり前の認識をマーロウもシェイクスピアもあらためて指摘してくれているものなのだろう。
その後にその認識が完全に失われていく17世紀を前にして。

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ヨハン・ハインリヒ・フュースリー「タイタニアがロバ頭のボトムを抱く」

偽王の憂鬱

ところで、なぜボトムがロバに変身させられたのか?
コットはカーニバル的な祭の中心に常にロバがいたことを指摘している。
農人祭から中世の素人余興劇まで、その行列、滑稽な儀礼、休日の騒ぎの中心的存在のひとつが即ちロバであった。バフチーンの簡潔な定式によるなら、ロバは「福音−下落と格下げ(そしてそれに伴う再生)の象徴」である。十二夜、「鋤の月曜」、「愚者の饗宴」、「ロバの祝祭」といった祝祭日には、祈祷書を愉快に、しばしば猥雑にパロディすることが許された。愚者の気分大いに盛りあがるそうした日には、聖職者たちも祭式係として参加することが多く、「ロバのミサ」が中心的行事であった。
ヤン・コット『シェイクスピア・カーニヴァル』

まさにボトムの変身の結果がロバであることによって、この劇のカーニバル的性格、価値転倒の図式はより明確なものになっているというわけだ。

「ところで」とコットはいう。
ロバの頭をつけることは、ただ単に「愚者の饗宴」の嘲弄や冗談、少年司教の祝祭を舞台の上で追複しているということにはとどまらない。一人の「かっぺ」、「卑しく取るに足らぬ」者、あるいはカーニヴァルの「偽王」が戴冠し、そして短い統治ののち奪冠され、鞭打たれ、嘲られ、虐待される時、普遍的儀礼がもうひとつ追複されていることになるのだ。
ヤン・コット『シェイクスピア・カーニヴァル』

価値転倒され、王の地位を演じることになるロバは、実は外からみられるほど、価値転倒の利を得てはいない。等のロバからみれば、それはあくまで一時的な夢でしかなく、その後はまた鞭打たれ、嘲笑われる日常に逆戻りすることは目に見えているのだから。

それはロバ頭に変身させられたボトムも同様である。
ちょうど『じゃじゃ美味ならし』で酔っ払った鋳掛屋のクリストファー・スライが宮殿の中にかつぎこまれるように、いばり屋のボトムはタイタニアの妖精宮殿に導き入れられるのだ。花嫁がその毛むくじゃらのこめかみあたりにからみつき、女王の召使いたちが彼の気まぐれを快く聞いてくれる。(中略)クリストファー・スライさながら、虐げられ冠を剥奪されていく偽王さながら、機織り職人ボトムは宮廷の祝宴でロバ役を演じただけで、迷夢からさめるのだ。
ヤン・コット『シェイクスピア・カーニヴァル』

だからこそ、上にあげたフュースリーの絵のように、膝を抱え込んでまわりの夢のような出来事にひたすら戸惑う姿になるのだ。

周囲が祭でどんなにうかれてどんちゃん騒ぎをしていようと、その中心にいる偽王だけは夢になじめず、覚めた目で憂鬱を感じているのだろう。

正解のない時代を生きるために必要なマニエリスム的精神態度

しかし、そんな憂鬱な偽王をスケープゴートとして立ててでも、非日常を嗤うことで保たれた共同体の絆というものがあった。その記憶を残そうとしていたのがシェイクスピアやマーロウといったカーニバル的なものの終焉に生きた芸術家たちの思いであったのではないだろうか?

発見、メタモルフォーゼ、そして、不一致の一致」という記事で紹介したように、エルネスト・グラッシは『形象の力』のなかで、ギリシア人にとっては、「ある現象についてのその存在、その質、その量等々を問う」ということは「存在しているものについてあれこれを〈告発する〉」ことを意味していたと書いているが、まさにこの告発は、カーニバル的な価値転倒とつながる隠れた意味の生成にほかならないと思う。一つ前の記事「既存の枠組みを冒涜して嗤え、危機感にあふれた時代に」で16世紀のマニエリストたちがエジプトのヒエログリフに隠された秘儀を読み取ろうとする知的態度を示したことを紹介したが、それも同様である。

「告発する」こと、カーニバルで偽王を担いで価値転倒を演じさせること、ヒエログリフなどに隠れた秘儀をみてそれを表にあぶりだそうとすること。それらは一者から多様なものが生じるとみた同時期のネオプラトニズムの思想とも共振している。
「存在は〈訴え〉としてのみ姿を現すことができるのであり、われわれが存在に即することができるのは、われわれに関連する場合のみである」と書くグラッシの言葉は、コットのこの言葉につながっていく。
図像や表現形式こそプラトン、プロティノス、ヘラクレイトスとデュオニシウス・アレオパギタ、『詩篇』作者たち、オルペウス教の讃歌作者、そしてカバラ的著述の作者たちから借りてはいるが、表現内容はいつも同じ、即ち「存在」の彼方なる「一者」、「多」のうちなる「一」、「隠れたる神」である。時にネオプラトニストたちの方法はポスト構造主義と新解釈学の信念に奇妙に酷似する。即ち、記号の置換、記号価値の逆転、記号論理学の展開に従って行われる記号の交換が、さながら「賢者の石」のごとくに、存在の深い構造を逆にみえるようにするはずだ、と考えるのである。
ヤン・コット『シェイクスピア・カーニヴァル』

この真実は「在る」のではなく「告発する」もの、「発見する」もの、「表現する」ものという態度こそ、実はいま復活しようとしている精神態度のように最近僕は感じている。

それが正解のない世界で、よりよく生きるために表現を通じて世界や社会と自分自身の関係の修正を重ねていく、そんな生き方を示すのではないか、と。



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