目の前に理解すべき新しいものが提示されたり、新しい情報を耳にしたりすれば、新たな理解を獲得できるというものではない。見たことがないものはそれが何かを理解できないことが多いし、聞いたことのない話は理解がむずかしくて、理解していないものに関する情報はいくら提供されても理解につながるわけではない。
それは何も僕らのような人に限ったことではない。
歴史に名を残しているような科学者であっても、例外ではない。
パリの国立自然史博物館の「進化の大ギャラリー」
ルネサンス期にはじまる博物学の分野での蒐集文化は18世紀には現在のような博物館へと発展する
例えば、16世紀のイタリア・ボローニャで活躍したウリッセ・アルドロヴァンディという著名な博物学者もそうだ。
アルドロヴァンディについては「秘密の動物誌/ジョアン・フォンクベルタ&ペレ・フォルミゲーラ」という記事でも紹介したが、イタリア各地に植物を中心とした採集旅行を行い、4000を超える植物標本を残したり、それを16巻からなるカタログ化して残したり、医学・薬学の実験のための植物園などを開設したりといった博物学の歴史に大きな貢献を残したことで知られる。
そんな人でも、その功績により理解の深まりという結果を得られたかというと、そうではなかったりする。
アルドロヴァンディを主人公の一人として16世紀、17世紀のイタリア博物学の歴史を研究した『自然の占有』の著者であるポーラ・フィンドレンはこう書いている。
実際に博物学の形成に多大な貢献をしたにもかかわらず、アルドロヴァンディは結局のところ、新たなアリストテレス的カテゴリーの中に世界の全被造物を包摂することはできなかったし、プリニウスの『博物誌』を完成させようとして計画された事象-蒐集のプロセスを最後まで成し遂げることもできなかった。自然の事物の量はたしかに増大したが、理解の質はより深まったであろうか。ポーラ・フィンドレン『自然の占有』
数多くの採集活動、それを元にした分類、行った数々の実験により、認識している情報の量は確かに増えた。けれど、それがアリストテレスやプリニウスなどの古代ギリシアやローマの博物学の系譜に新たな理解を付け加えることになったか?という観点からみると、疑問であることを指摘するのがフィンドレンである。
では、なぜ、アルドロヴァンディはそれほどまでに数多くの蒐集、実験を行いながらも、新たな理解の獲得に至らなかったのか?
そこに「なぜ理解はむずかしいのか?」を考えるヒントがあるように思う。
ルネサンス期における知の体系の混乱
そのことを考えるうえで、なぜアルドロヴァンディが事物の蒐集という行動により知の革新を狙ったのかということから理解したい。ルネサンス期というのは、そもそも知の革新を必要と感じさせるような社会的変化が数多く起こった時代である。
航海術の革新でそれまで行けなかったヨーロッパ外の地域の見たことも聞いたこともないような事物がどんどん運びこまれてきたし、望遠鏡や顕微鏡の発展でもいままで見えなかったものが見えるようになり、そもそも天動説が地動説に変わるような宇宙観の変化も起こっている。
さらに、ずっとヨーロッパで失われていたプラトンを筆頭とする古代ギリシアやローマの古典文献が、それがイスラム圏経由でずっと保存されていた東ローマ帝国の滅亡により、学者ともどもヨーロッパ世界に入り込んできて再発見されることになり、古代異教徒の知に触れられるようになったということもある。
そうした新たな情報、再発見された知の流通を容易にしたグーテンベルクの活版印刷技術がさらに知的世界の混乱に輪をかけた。
それだけ未知の情報ばかりが日常にあふれかえった社会では、それら未知のものどもを手なずけるための新たな知の枠組みが求められるのはとうぜんだろう。
そうした背景からルネサンスの15世紀以来、ヨーロッパは次々に身の回りに飛び込んでくる未知の事物を既知へと変えるための新たな知の体系の構築に向けた熱が高まっていたのである。
マルセイユの美術館の展示風景。いわゆるホワイトキューブでもなく、作品も壁をいっぱい使っている。
18世紀中頃までは美術作品も自然学的な奇物(化石やめずらしい貝など)もごっちゃに集められた驚異の部屋だったものが
18世紀中頃のリンネの分類学とほぼ同時期に、博物館や美術館へと整理されるようになる
フランシス・ベーコンの帰納法
そこで新たな知の体系の構築の方法を提示したのが、フランシス・ベーコンである。ベーコンが提示した方法は、既存の文献などの知の体験を超えた知を獲得するための、経験や実験にもとづく帰納法的な方法である。アルドロヴァンディら、この時代の博物学者たちが蒐集や実験を重視したのは、まさにそのためである。
世界の知識は、たとえ基本となる正典テキストの内容を超えるものであったとしても、それをミュージアムに展示することは可能であったはずである。それゆえ、もっとも重要なベーコンを筆頭する、知的な共同体における先駆的な哲学者たちは、意を同じくする自然の探究者たちに、氾濫するオブジェや情報を監視/調整するための貯蔵庫/宝庫を設立することを提唱した。こうした活動を通じて、新しい自然哲学は、学識というよりはむしろ経験に基づいて出現することになる。ポーラ・フィンドレン『自然の占有』
経験に基づいて出現する新しい自然哲学。それを目指して、アルドロヴァンディらは採集や実験、その結果としての蒐集、そして分類という活動を重んじたはずである。
しかし、彼らがその経験から得るはずだったものを妨げる障害として働くものがあったのだ。
イタリアの博物学者たちは、経験は知識の必要不可欠な部分であるにもかかわらずしばしば過小評価されてきた、というベーコンの見解には同意したかもしれないが、古代の典拠=権威を棄却しようとする彼の態度は認めなかったであろう。アルドロヴァンディやキルヒャーのような蒐集家は、自分たちの活動を、アリストテレスやその後継者たちの仕事を実現/拡充させるものであると理解していた。彼らにとって、経験は、典拠=権威と競合するのではなくて、むしろそれを補完したかめるものであった。ポーラ・フィンドレン『自然の占有』
古代ギリシアやローマから連綿と続く既存の権威ある知が彼らが新たな知を獲得するための障害となる枠組みとして働いたのだ。アルドロヴァンディらはあくまで、その古代の権威のうえに未知のものどもを統合するようなフレームワークを模索するように動いてしまった。けれど、そのことが全く新しい知のフレームワークを生みだすための最大の妨げとなってしまったのである。
知っていることが知らないものを知るための障害となる。
理解していることが理解できないものを理解しようとする道を妨げる。
一方で、博物学が生みだしたもの
もちろん、アルドロヴァンディは新たな理解のフレームワークを生みだすことはできかなったらが、彼の残したものがすべて無駄だったというわけではない。初期近代ヨーロッパにおける、ミュージアム、実験室、植物園、解剖学劇場などの出現は、推論を重ねるものから視覚的な実験場へという知識の置き換えに重大な役割を演じた。最終的に学知をテクスト偏重の環境から救いだすことに寄与したこれらの施設はすべて、知識を展示し収蔵することを共通の目的として分かちあっていた。ポーラ・フィンドレン『自然の占有』
「知識を展示し収蔵する」。
この知識の視覚化こそが後の18世紀の啓蒙の時代の新たな知の体系化(リンネの分類学など)の基盤になったのは明らかだからだ。美術館や博物館が物を並べることで、知の体系を見える化する。そんな方法を生まれたのもアルドロヴァンディら16、17世紀の博物学者の功績があったからだし、19世紀になれば、その陳列されたものに値札がついて百貨店というシステムだって生まれた。
だから、アルドロヴァンディの蒐集活動やその前提となるベーコンの帰納法が、新たな理解を生むための方法として不適切だということにはならない。
問題は、未知・まだ理解できないものに向き合う際に、いかにそれを未知や理解の外に追いやっている、既知のフレームワークそのものの存在に気付き、そのフレームワークから抜けだせるよう工夫ができるかということだろう。
パリの百貨店ボン・マルシェ
百貨店もまた博物館や美術館同様に、分類して展示することで意味=価値を見える化する仕組みだ
理解とイノベーションへの道
さて、現在は、ある意味、イノベーションが当たり前の社会である。何年か前から、そんな風に言ってもおかしくない社会になっている。
もちろん、どこもかしこもイノベーションだらけという話ではない。ただ、日常のどこかでイノベーションについて語られ、いつどこかでイノベーティブなものが生まれてもそのこと自体は当たり前に感じられるくらい、イノベーションはいつの間にか僕らにとって身近になっている。
そんな風に身近になったイノベーションだけど、やはりイノベーションには未知がつきまとう。いや、本質的に未知な領域にあるからこそ、既知の領域を超えた新しい価値創造としてのイノベーションは生まれる。
だから、イノベーションが身近で当たり前になった社会で、イノベーションの創造に関わろうとしたら未知とうまく付き合う作法は身につけておく必要はある。知っていることとしか付き合えないのだとしたら、イノベーションの創出に関わるのはむずかしいだろうから。
イノベーションがむずかしい理由の一つは、きっと理解がむずかしい理由と同じであるはずだ。
多くの人は、無意識に使っている既知のフレームワークにとらわれてしまい、そこから出ることができないから、未知に向きあうことがあまり得意ではない。
例えば、地域創生という課題、限界集落の問題など、そうした課題を解決するためのイノベーションをむずかしくするのもきっと地域創生や限界集落そのものを発生させている既存のフレームワークが僕たちの思考の奥深くに根付いているからであり、その思考のフレームワークの内部で考えている限り、そこに根本的な答えは見いだせないのだと思う。
未知にはそれに接しても触れている感覚が得られないような不気味な印象がつきまとう。
当たり前だ。触れている感覚のような実感こそが既知のフレームワークが人に提供するものなのだから。感覚が得られないような不気味さこそが未知であることのひとつの本質である。
だからこそ、未知に何度も触れてみることで自ら感覚をそこで作るしかない。だが、そこに至る不気味なものに触れ続ける気持ち悪さを耐えられるのはやはり人にはむずかしい。
けれど、その不気味さにつきあいながら、なぜ、それが自分に不気味にみえているのか?という自身のフレームワークに気づく以外にそこから抜けだす術はないだろう。それが理解に至る未知であり、イノベーションを生みだす第一歩なのだろうと思う。いまの僕らに必要なのはアルドロヴァンディらのように未知のものを積極的に身の回りに集めるような、そんな姿勢ではないだろうか。
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