鉄道以前と以降で、これほどまで人間の生きる環境が大きく変化したなんて。
もちろん産業革命を経て人間の暮らす世界が大きく変化したであろうことはわかっていたし、同じような話は読んだこともある。けれど、こう「鉄道旅行」というキーワードに絞り込んだとき、あらためて変化の度合いは大きく、またリアルに感じられた。
例えば、すでに記事にも書いた標準時のこと。
いまでこそ当たり前に使われている世界の標準時というシステム自体が100数十年前のイギリスの鉄道の普及の歴史とともに生まれ、世界的なしくみとなったもので、それ以前は街ごとにその街の時計台の時間を街の標準時として使っていて、時間は街それぞれで固有の時間を持っていたことなんて、この本ではじめて知った。
あるいは、鉄道馬車という言葉は聞いたことあったし、それが蒸気機関車が走り始めるすこし前まで使われていた鉄のレールを走る馬車であることはわかっていても、そのレールの上を走るのが自家用の馬車であり、それゆえにとうぜん起こるべき問題として同一線路上のすれ違いも、鉄道から通常の道路へと馬車を移す際の手間などで途端に交通に支障をきたすということが現実に起こっていたなんて知らなかった。
「鉄道はあまりに新奇なものであっただけに、一般交通機関としての鉄道の利用を喧伝する人たちさえも、初めは誤解していた」と、この『鉄道旅行の歴史』の著者ヴォルフガング・シヴェルブシュは書くが、「一大機関のように働く鉄道は、その部分が相互に密接に結びあい、その運行には最低限の統一が要求される」ものであり、「独立自営の何人もの代理人によって運営できるものではない」ことも気づかないほどに、人工的な乗り物といえば、一般路を走る自家用の馬車しかなかった時代の人たちが「統一ある管理と調和のとれた運行を必要とする」鉄道の運営というものに思いいたらないということが、僕自身、思いいたらず、自家用鉄道馬車がいろいろ問題を抱えつつ走っていたということに驚いた。
まったく、なんて僕らは過去の生活環境に無知なんだろう。
鉄道馬車の当時の人が、統一ある管理と調和のとれた運行を必要とする鉄道運営に思い当たらなかったのと同じくらい、僕らは標準時のない環境、馬車しか交通手段のない環境のことをイメージできないのだ。僕らが普通にしている数駅離れた会社に時間通りに通うということも、その当時はありえなかったということを想像できないくらい、僕らは現代の枠組みに囚われてしまっている。そんな想像力の監獄のなかで、どうして自分たちの環境を変えるような発想ができるのか?
この本を読んで、そう思った。
この本を紹介することで、みなさんにもすこしでも、その感覚は共有できるだろうか?
旅人が抜けてしまった空間は、旅人の目にはタブローになる
思考の枠組みが本来の可能性を消すという例は、この本ではいくつも紹介される。その1つの例は、ヨーロッパの鉄道での客車(特に1等車や2等車)が「頑に馬車の車体の旧来の形式が固守された」というものだ。
著者が言うが、同乗者が膝を突き合わせて座る馬車の座席のデザインはゆっくりとまわりの景色とともに互いに会話をしあう同士による旅という条件がはじめて成り立つ。
ところが19世紀半ばに突如登場した鉄道の旅はそうではない。
線路によけいなカーブや上昇下降を設けずに極力真っ直ぐにレールを引こうとしたヨーロッパの鉄道は、結果、切り通しだったり、逆に盛り土された上を進むため、ろくに風景を楽しむことができない。遠くの景色なら見ることもできるが、近くのものは目の前をすごいスピードで駆け抜けていくのだから、目には止まらない。おまけに騒音もひどい。そんな状況では会話は生まれない。会話が生まれないのに、同乗者と膝を突き合わせて座る馬車タイプの座席では苦痛でしかない。
旅行者は、遠いものも近いものも包含している「全体空間」から、抜ける。旅行者のいる位置と、彼が知覚している風景との間に、リヒャルト・ルーケがガラス建築で「ほとんど実体なき境目」と名づけたものが入りこむ。大気の質を明らかに変えることなく、ガラスが水晶宮の内部空間を、自然の外部空間と分離するように、鉄道の速度は、以前は旅人がその一部であった空間から、旅人を分かつのである。旅人が抜けてしまった空間は、旅人の目にはタブローになる。ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』
旅行者はリアルな空間から切り離される。その目の前にはもはや単なる書き割り=タブローと化した風景しかない。そんな中で何時間も狭い客車に誰かと閉じ込められたとしたらどうだろう?それなりの知り合い同士であっても気まずい。他人同士なら地獄でしかない。それなのに「鉄道の技術的近代性の形式と合致した、つまり馬車の車体形式から完全に解放された客室を創造する理論的考察も、また実際的な試みも、わたしの知る限りでは、ヨーロッパではなされなかった」のだという。
馬車風の客室だから、駅に止まるまではそこから出ることもできず、トイレにもいけない。
同乗者が殺人犯なら逃げることさえできない。そうした事件はまれにしか起きなかったが、一度起きてしまえば、密室である客室で他人と一定の時間を過ごすことは不安でしかない。
それでも長い間、馬車風の客室デザインはヨーロッパでは変わらなかったというのだから、固定した思考の枠組みの頑なさというのは相当なものなのだ。
1849年に開業したパリ東駅。東にあるのではなく、東に向かう列車の発着駅。
19世紀半ばのオスマンによるパリ大改造ではこの駅から真っ直ぐにストラスブール大通りが作られた。
大きな通りの開通による都市の中の交通も変わった。
会話はなくなった
けれど、頑な枠組みというのはいったん変わってしまえば、逆にそれ以前がどうだったかまるでわからなくなるのかもしれない。そんなことが鉄道と百貨店の歴史的関連性を論じた話から感じられる。
先にも示したように、著者は鉄道旅行中の客が見る風景をタブローのようだといった。著者はさらに言い換えて「パノラマ的」という。いずれにせよ、鉄道旅行客は鉄道の速度のために現実の空間には触れられず、その場から切り離されて、絵や映画でも観るかのように風景を消費するしかない。
その鉄道旅行における風景と、百貨店の登場により登場した値札付きの商品とを重ね合わせる。
パリのボンマルシェが1852年に百貨店システムを生み出したのを皮切りに、百貨店の時代が訪れる。百貨店はそれまでの小売のあり方を大きく変えた。
百貨店は3つの重要な点で伝統的な小売店と異なる。百貨店は薄利、つまり安い値段で多売することをもとにして、利を得ること。その値段ははっきりと明示されていること。店に入ることは買うことと義務づけないこと。多売による商品の低廉化により、百貨店は小売産業に産業革命をもたらす。ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』
この3つの特徴により、百貨店は鉄道と同じように、人々のあいだから会話を奪う。
伝統的な小売店では、売手と買手とがまだ対人的に向かい合い、客が店に入るということは、たとえ商品を買わない場合でも、少なくとも店の主人と客との間の会話が予見されていた。百貨店はこれを終わらせる。鉄道が旅行中の楽しい会話を終わらせたように、百貨店は売り買いの際の会話をして終わらせる。そして旅行中の会話が旅行中の読書に代わったように、売り買いの際の会話は、黙って定価をつたえる値札に代わる。ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』
会話のない売り買いにより、売り買いの速度はあがった。必要なものを購入していた時代の使用価値をもった品から、魅力的なものをひたすら買い求めたくなるような交換価値をもつ商品に変わっていく。それは値札と誰もが自由に見られるショーウィンドウによるものだ。
僕らはさらにこの先を知っている。もはやまったく店員と会話を交わさなければ、会うこともないオンラインショッピングというものを。それがより買い物をしやすくさせていることはいうまでもない。
マルセイユ・サン・シャルル駅。1848年開業。旧市街から離れた小高い丘の上にある。
基本的にヨーロッパの駅は市外から離れた場所にある。
それは鉄道開業当初の考えにあった都市の人間的性格と鉄道の機械的性格の不一致の名残だといえる。
パノラマ的
著者はこの変化について、先の「パノラマ的」というワードを使って、こう説明している。百貨店も、われわれがパノラマ的と名付けたあの知覚の発生を促す。鉄道旅行を用いて、われわれが手に入れた、この知覚の重要な特徴を、ここで思い出してみよう。速度が前景を消してしまうということは、速度が主体のすぐ知覚にある空間から主体を引き離すということ、つまり速度が客体と主体との間に、「ほとんど実体のない障壁」となって割りこむことである。このようにして見られた風景は、たとえば鉄道旅行の批判者ラスキンがしたように、集中的に、アウラ的に体験されず、刹那的に、印象派的に、つまりパノラマ的に体験される。より正確に言えば−−パノラマ的知覚とは、対象をその刹那的性格のゆえに、逆に魅力あるものと見なす知覚である。ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』
もちろん、僕らにとってはもはや百貨店は刹那的でははない。あらゆるオンラインツールのタイムラインを流れる情報はもっともっと刹那的だから。いや、その速度は刹那的であるとも感じられないほど、早すぎて、もはや「パノラマ的」でさえない。もしかすると、だから対象の魅力は下がってしまい、もうすこし速度がゆるやかで、ライブ感のあるものを消費するような揺り戻しが生まれているのかもしれない。
話が逸れた。
先の引用中に「印象派的に」とあるのが、象徴的だ。
いうまでもなく、この鉄道が普及した時代こそ、旧来の静的な視点に囚われた遠近法的な図像から逃れ出たイメージを印象派たちが描き始めた時代である。彼らが描く風景こそ、パノラマ的である。
鉄道旅行は、百貨店と近代的商品、世界的な標準時、印象派の描く風景と関係する。
それ以外にも、オスマンによるパリ大改造、鉄道事故とマルクス的な恐慌、その鉄道事故がもたらす精神的ショックがフロイト的な外傷=トラウマとつながることなどを本書は指摘する。
そのどれもがすでにある世界に生きる僕らにとっては、それらがない世界のことをうまく想像できないし、そのいずれもが鉄道の普及と深く関係した形で生まれてきたことを知ると驚くしかない。
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