鉄道が標準時をつくった

びっくりした。
知らないことを突然知るのは驚きである。

いまヴォルフガング・シヴェルブシュの『鉄道旅行の歴史』という本を読んでいるが、その中にこんな一節がある。
地方は、具体的にその時間を失う。鉄道により、その地方的な時間が奪われてしまう。地方が個々に孤立しているかぎり、地方にはそれ固有の時間があった。ロンドンの時間はリーディングより4分、サヤレンセスタより7.5分、ブリッジウォーターよりも14分早かった。
ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』

最初読んでもピンとこなかった。その前に鉄道によって空間の間を移動する時間が大幅に短縮され、空間同士の距離が小さくなるといった話があったので、その流れで地方が同じ生活時間圏内になるといった話かと思った。

それにしては「ロンドンの時間はリーディングより4分…」のくだりの意味がわからない。
読み進めると、わっ!と思った。
時間の統一は、英国では1840年頃個々の鉄道会社が独自に企てる。各会社が自分の路線にそれぞれ標準時間を導入する。
ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』

え?もしかすると、それまでは街ごとに標準時が違ってたということ?と思い、電車の中だったが、すぐにWikipediaを調べると、こうあった。
標準時が導入される以前は、各々の自治体ごとに(もしその町の時計があれば)その町での太陽の位置に合わせて時計を合わせていた。すなわち都市や観測地点ごとに定めた平均太陽時であった。

ヨーロッパの街の中心部に古い時計台があるのもそのせいなのだろう。


エクス・アン・プロヴァンスの17世紀の天文時計台。市庁舎広場にある。


「地方は、具体的にその時間を失う」とは比喩的な意味ではなかった。
まさに鉄道の普及の際、「地方にはそれ固有の時間があった」状態が変化したのだ。
では、なぜ、それが19世紀後半の鉄道普及の際だったのか?

鉄道が標準時を必要とした

その問いの答えは比較的単純だ。
鉄道が敷設される以前であれば、遠く離れた街の活動はそれぞれ独立して行われていた。時間があっている必要があるのは、たがいに交流のある人たち同士の間であるが、そもそも交流が稀にしかなく、その交流を行う際に移動で多くの時間をとられる場合、数分単位の時間のズレはさほど気にならない。

しかし、その街同士を鉄道がごく短い移動時間でつなぐようになると勝手は変わる。
鉄道の発達で、路線の時間が短縮されると、地方同士が対決を迫られるようになり、同時にその地方時間も自覚を迫られることになる。このような状況下では超地方的な列車ダイヤを組むことは不可能だ。出発と到着の時刻は、地方時間を重んじるその一地方にしか通用せず、別の地方時間をもつ次の駅では、もう通用しなくなるのだから。
ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』

といったように、鉄道の運行そのものが成り立たないし、電車や車などの移動手段でふだん通勤している現代の僕らからすれば住んでいる場所と働く場所の時間がズレていたら厄介だ。いや毎日決まった場所であればまだしも、取引先が複数あったりすれば、それぞれの固有の時間を気にしなくてはならなくなる。インターネットの普及により海外とSkypeなどでやりとりする際、時間を気にするような手間がすこし離れた街との間で起こり始めたのが鉄道の普及期というわけである。

そうした不具合をなくそうと「英国では1840年頃個々の鉄道会社が独自に企てる」ことがはじまったわけだ。


フランス・ストラスブール駅。
2007年に、1880年代に建てられたオリジナルの駅舎を覆うように巨大なガラスの天蓋が建設された。


英国鉄道の標準時が全世界に広がっていく

「個々の鉄道会社が独自に企てる」といったように、当時のイギリスにはたくさんの鉄道会社があり、それぞれ連携はとれていなかった。だんだん複数の会社の列車が乗り入れる駅ができはじめると、会社単位の標準時では立ち行かなくなる。
それで、
鉄道中央機関設立後、鉄道会社は協力して合併に踏み切り、一鉄道網が形成されるに及び、グリニッジ標準時が、すべての路線に通用する鉄道標準時として採用された。
ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』

だが、この標準時はあくまで「鉄道の時間は、19世紀の終り頃まで、もっぱら鉄道交通用であった」というように、各街の生活時間は相変わらず、街の時計台がしめす街ごとの時間で動いていたという。

だが、鉄道網が整備されて街間の交流が増えるようになれば、ばらばらの時間は不便になる。
1880年には、鉄道の時間が英国では一般の人標準時となる。
ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』

1880年にようやく標準時ができたというのだから、結構驚きだ。
そして、そのあと、
1ワシントンで開かれた国際標準時会議は、1884年にすでに、世界を時間帯に分けたが、ドイツで標準時が公的に採用されたのは1893年のことである。
ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』

さらにWikipediaによれば、ほとんどの国がこの標準時を採用したのは1929年頃でしかない。20世紀に入ってからにことだ。100年も経っていないのだから、そんなに昔のことではない。

ただ、それが最近のことであるという以上にびっくりだったのは、僕らがすでに当たり前のように感じている世界的な標準時というものが、ほんの100数十年前まではそれほど離れていない街同士の間でさえ必要ではなかったということである。そんなものなくても何の支障もないくらい、それぞれの街の活動、経済が独立していたというわけだ。そして、その状況を鉄道が一変させた。


クロード・モネ『サン・ラザール駅:列車の到着』1877年
モネも描いているとおり、フランスでも1842年以降、鉄道建設が活発化している


とうぜん移動に時間がかかるわけだから人は自分の街のなかで働いていた。いや働けなかった。
鉄道はもちろん人も運ぶが商品も運ぶ。いや、本当の意味で商品というものが流通しはじめたのは、鉄道の普及があってのことだろう。
生産物は、産地から市場へとたどる空間的な隔たりにより、その地方の特色、地方との一体性を失う。労働過程の結果として生産地で体験される、産物の具体的感覚的な特性は、遠く離れた市場では、全く違ったものと見なされる。産物、すなわち商品は、市場では経済的には価値として、同時に感覚的には消費の対象として理解される。生産地における本来の特色ではなく、市場の新たな特色で、体験されるのだ。
ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』

印刷された本などは早くから街や国を超えて普及していた商品だが、それ以外の多くの品は街のなかでのみ流通していたわけだ。その関係性から解き放されたとき、産品は単なる消費の対象になる。

標準時がなかった時代というものを即座には想像できないように、僕らは消費の対象ではない産品というものをいまひとつ想像できない。ただ知識としてでさえ、そうしたことを想像できるきっかけを与えてくれるという意味で、ここで紹介しているような文化史を扱う本はとても有意義なものだと思っている。