動機としての無知

先日、IA Spectrumの浅野さんから、エンツォ・フェラーリやポルシェ911のデザインを手がけられた奥山清行さんのインタビュー記事をご紹介いただきました。

PingMag 奥山清行:カーボンファイバーに魅せられて

いくつか気になったところを抜粋するとこんな感じ。

  • 僕がピニンファリーナ社で学んだことは、人間は自然と美しいものを好むようにできているということです。だから、美しいものは売れる。
  • 一度何かを知ってしまうと、「無知な自分」の状態には戻れなくなる。でも、無知な自分こそ最高のクリエーティブ・パートナーなんです。
  • 顧客はまだ見たことのない機能については当然ながら理解することができません。したがって、顧客の期待を超える革新的な機能を創造することもデザイナーの仕事なんです。
  • 僕たちの仕事で一番いいところは、常に未来を相手に仕事をしていること。

中でも共感したのは「無知な自分こそ最高のクリエーティブ・パートナー」という点です。

動機としての無知

僕の仕事はどちらかというとユーザー・エクスペリエンスが重視されるWebサイトやマーケティング・コミュニケーションのデザインにおける上流工程において、自分たちがこれからデザインするものを「理解」し、それを利用するユーザーの行動や経験を「観察」から発見するという調査・分析を含む仕事です。
この手の仕事は知識を武器に行う仕事と思われがちですが、実際にはその反対で知識は邪魔になることがよくあります。

成功の障害としての「わかってるつもり」」で書いたことと関連することですが、僕が仕事をする上での一番の武器はなんといっても自分の無知を発見することだと感じています。そのために「理解」「観察」というデザインプロセスの上流工程のプロセスは僕にとっては非常に大事なプロセスです。「理解」「観察」のプロセスにおいて無知を発見する。それがよいデザインにつながるのだと僕は思っています。

もちろん、無知を発見した瞬間に、自分の状態は無知から既知に変化します。しかし、既知を獲得する瞬間にしか、人は自分の無知を本当に感じられる瞬間はないのではとも思います。

奥山さんは先のインタビューで「僕たちの仕事で一番いいところは、常に未来を相手に仕事をしていること」とも言っています。未来こそ、無知の対象です。知らないからこそ、未来に向かっていくスタンスが行動のモチベーション=動機となる。
人にはわからないと動けない人とわからないこそ動こうとする2種類のタイプがいると思いますが、僕は明らかに後者のタイプで、わかっているものを再度やらされることほど、モチベーションが下がることはありません。

そういう意味で奥山さんの「無知な自分こそ最高のクリエーティブ・パートナー」という言葉には非常に共感を覚えるのです。

ちゃんと見るほど謎は深まる

さて、先日の「ユーザー調査とユーザビリティ評価を混同しない」でも引用させてもらいましたが、再度、茂木健一郎さんの『天才論―ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣』から引用します。

われわれはついうっかり、世界をありのままに見れば、隠されるものの何もない状態があらわれる、「ちゃんと」見れば世界の謎は消える、と考えてしまうことがあります。しかしレオナルドは、「ちゃんと」見れば見るほどあらわれてくる謎があることを、知っていました。

実際、ユーザーインタビューやユーザビリティ・テストで他の人のWeb閲覧行動をみていると、自分の無知を知らされることがすごくたくさんあります。それは発見の連続で<「ちゃんと」見れば見るほどあらわれてくる謎がある>というのをまさに実感できます。

あらわれてくる謎が未来を切り拓く

そして、そういう<あらわれてくる謎がある>からこそ、デザインが未来を切り拓くことができる余地があるのだと思います。

それは先日書いた「すばらしいものはもう過去に達成されている」というエントリーとは矛盾したものと感じられるかもしれません。しかし、僕自身は過去からすでに存在しているということと人々の無知への探求が未来を切り拓くということは矛盾するのではなく、むしろ、補完しあっていることのように思えます。

なので、僕自身は、わかっていないと動けない、答えがわからないと不安になる、そうした人たちをみるとちょっと不憫に思ったりもします。
実際にはわかってたってそのとおりになることなどほとんどないし、答えなんて実際の場ではあまり役に立つことはないからです。

結局は自分自身が動くことで環境のレイアウトを変化させ、そのレイアウトの変化を随時感じながら、無知と既知のあいだを行き来しながら自分の未来を、そして、まわりの未来をつくっていくしかないのだと思う。

わからないからどうしていいかわからないと感じるのではなく、わからないからこそ信じあえる仲間と未来をつくりだしていく行動を実際に移せるかどうかなんだと思います。
大切なのは「未来を切り開く力としてのチームワーク」なのだから。

でも、チームワークの源は、ひとりひとりの意識なわけです。誰かが決めてくれるからと譲り合った瞬間、むしろチームワークは機能しなくなる。それよりも個々が自分の思いをぶつけ合えるチームのほうがチームワークは生まれやすい。

そういう意味では、結局は自分が覚悟を決めない限りは何も変わらないんです。

  

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