最後に、今年読んだ本をいくつか紹介しておきたい。
特に、今年は「視覚表現史」とか「視覚表現の変遷を通じた思考の歴史」とでも呼べそうな本を集中的に読んだので、その中から面白かった7冊を紹介しておきたい。
紹介するのは、この7冊。
- 高山宏『アリス狩り』
- バーバラ・M・スタフォード『ボディ・クリティシズム』
- ユルジス・バルトルシャイティス『アナモルフォーズ』
- ピーター・コンラッド『ヴィクトリア朝の宝部屋』
- サイモン・シャーマ『レンブラントの目』
- マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔』
- ポーラ・フィンドレン『自然の占有』
では、1冊ずつ順を追って紹介。
高山宏『アリス狩り』
最初に紹介するのは、僕の読書におけるたいていの本選びの基準となっている高山宏さんの処女作となる1冊『アリス狩り』で、ようやく今年読んだのでまずはこの本からはじめることに。読んで何より感じたのは「あー、なんでこの本をもっと早く読んでおかなかったんだろうー」という後悔。と同時に、今年になって読んでむしろ良かったのかもとも思った。今年読んだから、「なんでもっと早く」と思えるような面白さ、大事さをこの本に感じられたのであって、実際にもっと早く読んでいたら、この本の内容にそこまで深く入り込むことができなかった気がする。
今年は、そういう読書のタイミングというものを感じることが多かった。実際、何度も前に読み始めて挫折した本を今年は最後まで面白く読めたという体験をした本がいくつかあった。それはまたあとで紹介するとして、『アリス狩り』の話に戻る。
この本はそのタイトルどおり、最初はルイス・キャロルをめぐる数編の話からはじまる。
「ここでは何てみんなくるくる変わっちゃうの」とアリスは嘆く。「言葉はその本性によって流れるものだ」(バシュラール)。言葉は流れ、生は流れる。LIVEはそのままEVILだと、ブルーノは言う。生という悪がユートピアの自足を許さない。キャロルは不思議の国へにげたのか、いやむしろそこから逃げたのだというアルフレート・リーデの一言に、キャロルの幻滅の構造は言いつくされている。ユートピア幻想と同じだけユートピア幻滅があった。高山宏『アリス狩り』
2015年はちょうどルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』刊行から150年の記念の年だそうで、この本の著者である高山宏さんによる新訳『不思議の国のアリス』も出版されていて、春頃に読んだ。この『アリス狩り』を読んだのは、それよりもあとで、ちょうど僕自身が19世紀にはまってた頃なので、この1冊もあらためて読み始めたのだった。
その19世紀というのは、まさに倦怠の19世紀で、昨日もちょうどBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「ラファエル前派展」を観に行って、19世紀の英国絵画をたくさん見てきたのでより実感としても感じられるのだけど、それはちょうどバブル期の日本のような時代だったんだろうと思う。いろんなものがあって不自由しなからこその倦怠。そして、いろんなものがあっても本当にほしいものがないと感じる夢のような感覚。それが19世紀のヴィクトリア期のイギリスが最高に輝いていた時代の感覚だったんじゃないかと思う。
アリスの19世紀。それは同時にシャーロック・ホームズの19世紀でもあったわけで、祝祭を失った社会を推理小説が擬似的な祝祭の役割を担った時代でもあることを、この本で気づかされる。
女毒殺者マデリン・スミスの公判を見に大衆が集まった図がある。制度としての祝祭を失った大衆は、もっぱら裁判所と絞首台の周りに陰鬱な擬似・祝祭を繰り広げたのである。彼らは犯罪小説を渇望していた。「本を読むというヴィクトリア朝大衆の習慣そのものが、不変に興味のある話題としての殺人事件の存在によって明らかに助長された」というのだから、「文化」とは実に始末の悪いものではないか。高山宏『アリス狩り』
まさに悪いものを忌避するために遠ざけるという意味で、殺人事件を本のなかに閉じ込めることほど効果的なことはない。その発展が忌避したくなる対象をインターネットや手の中の小さなディスプレイのなかにとじ込めて、なんとなく安心した気持ちになる現代なんだろうけど、もはや19世紀やバブル期の日本のように様々なモノがありあまるほど手に入る状況ではないのだから、そうした危険はディスプレイのなかにとじ込めて忌避できても、もっと日常的な小さな不安に満ち溢れているのだから、アリスのように倦怠している余裕は僕らにはない。
バーバラ・M・スタフォード『ボディ・クリティシズム』
そんな日常的な危険がもっとあったのは18世紀のヨーロッパなのだろう。僕らにとっては、想像しにくいことだったりもするのだろうけど、いろんな病気をまともに治せる薬なり治療法なりが発明されたのは19世紀になってからのことでしかない。人間の歴史でみれば、ここ100年ちょっとのことでしかない。それ以前の18世紀までは、疫病が蔓延しようと祈るしかない状態だった。しかも、産業革命が起こりかけていたから都市の人口は増えるばっかりだったし、その都市はまったくの未整備の状態で(例えば、都市の衛生状態を改善しようと行われたパリの大改造も19世紀に入ってからだ!)、あらゆる疫病が都市内で蔓延し放題の状況だった。
そんな時代に、解剖学や、顕微鏡を用いた人体内の観察による神経の発見などの医学の発展において視覚表現がどのように社会や人々の思考を変えていったかを論じるのが、このスタフォードの『ボディ・クリティシズム』だ。
ラファーターの皮膚科的論述を見ると、それぞれの病が斑となって表れている病徴付き病者の行進である。黄疸、熱病、斜視、そしてとりわけ各種性病の斑点が「生病老死の不浄の徴」となるりラファーターの診断-神学は、復活した者の顔だけが美しいとする宗旨に則っている。時の終末に、汚れの顔が汚れなきものになり、「それを御造りになった御神の姿に似せて更新され、斑点、皺、その他その類のもの一切これなく、潔く、瑕瑾なきもの」になるであろう。バーバラ・M・スタフォード『ボディ・クリティシズム』
この時代、病は簡単には見つからず、それは体の表面に実際に異変が起きて見つかるような状態だった。もちろん、その段階で発見したのではん手遅れで、それゆえ、社会はそうした体にあらわれた兆候を忌み嫌うようになっていく。そんななかで生まれてくるのが、正常な体の状態を抽象化された輪郭で表現しようとするラファーターらの近代観相学であり、それは悪いモノを忌避するための戦略であり、それが先の19世紀のホームズ的態度につながっていくと考えるとよいのだと思う。
良い生まれで健康でもある少数者たちは、この根なしのだらしない人間群体とは距離をとろうと懸命だった。既に見たように、沐浴、抽象の真空、外科的切除といった浄化のメタファーは、あらゆる領域で秩序破壊の感染現象を遠ざけておくためのものであった。新古典主義にしても、根本的なところでは、純化された空虚、掃き清められた個の安定した否定空間を、盛り上がる不透明な世界の只中にうちたてようとする作業だったわけである。バーバラ・M・スタフォード『ボディ・クリティシズム』
「臭いモノには蓋を」の発想が、純化されて、掃き清められた理想の、けれど、まやかしの図像を求めるようになる。それが古代ギリシヤなどの英雄たちの整った理想的な身体をあらためて描きだそうとした18世紀の新古典主義芸術だったと思い起こすと、なぜ、それがその時代に求められたかという理由も違ってみえてくるだろう。
ユルジス・バルトルシャイティス『アナモルフォーズ』
そんな図像によるまやかしというものを、もっと根源的なところから暴き出しているのが、このバルトルシャイティスの『アナモルフォーズ』だ。この本は、実は前にも2度ほど最初だけ読みかけて読むのをやめたことがある1冊だ。ところが3度目の正直の今回は、読んでいくうちに面白くなり、同時に読んでいる本より読む頻度が増え、一気に読み終えた。前に読んでときは興味がひかれなかったのに、今回面白く読めたことから、やっぱり読書ってタイミングだなって思ったのだった。面白い本があるんじゃなく、面白く読めるかどうかが読書では大切なんだと思う。
ところで、この本が何の本かというと、一言でいえば「遠近法の本」。
でも、遠近法を正しく使うというよりも、錯視的な方法で使う方法の歴史的な変遷に触れたもの。
遠近法は視覚を合理化したものとして、また一個の客観的現実として復権するが、しかもその見せかけとしての側面も失っていない。その技術の発展があらゆる虚構に新しい手段を与える。漠々たる広がりを小さな空間の中に創りだすことができる。距離を自在に縮めることができる。正確な表象の手続きを獲得したために、虚構の世界を増殖させる「大いなるイリュージョン」がうまれ、これがあらゆる時代の人々にとり憑いてきた。ユルジス・バルトルシャイティス『アナモルフォーズ』
面白かったのは、そこにデカルトも絡んできて、はじめて彼がなぜ懐疑論的な視点をもっていたかが感覚的にわかったのが面白く読めた一因。
画工たちの指南書は、台形で表象された正方形で一杯だ。それらの中に内接する円が描かれることが多いが、こちらはこちらでみごとに楕円形であらわされていた。物理的世界のみかけがいかにウソであるか、それを決定的に傍証するもの、それがたとえばアルベルティの「正しき手法」であり、ヴィニョーラの第二則なのである。遠近法は正確な表象の具ではなく、一個のウソなのだ。ユルジス・バルトルシャイティス『アナモルフォーズ』
デカルトはアナモルフォーズの技を光学的な視点で研究していて、遠近法がいかにウソをつくかを数学的に考察していた。彼が感覚的な視点を懐疑するのは、こういう思考からなのであって、その思考にはデカルトの人間的な感覚を感じる。はじめてデカルトに人間を感じられたかも。
まさに、まっすぐに武骨に目標に向かう姿勢を、アナモルフォーズが嗤う。
嗤うのは別にからかっているのではなく、そうすることで危険を知らせようとしているから。考えるということは、なかなか単純ではないということ。そう。デカルトのような懐疑はやはり必要であるということなんだろう。
ピーター・コンラッド『ヴィクトリア朝の宝部屋』
そして、ふたたび、19世紀に話を戻す。デカルト的な懐疑もすっかり忘れられ、視覚表現がいかにウソをつくかという議論もすっかりなくなったのか、無邪気に「自然主義」をうたう姿勢がみられるようになったのが、19世紀だ。
ありのままを自然に描くこと、18世紀の新古典主義のように理想を思うのではなく、現実の世界を描くことを求めた19世紀なれど、そこには別のウソがある。
ピクチャレスクは現実を追認するための1つの方法である。それは荒涼たる風景を美しく見せ、ごつごつした光景を心地よい眺めに変えてしまう。ピクチャレスクは田舎の風景の鑑賞から始まったものだが、ジェラルドとドレはそれを都市にあてはめる。ピーター・コンラッド『ヴィクトリア朝の宝部屋』
現実を美しく描こうという際、19世紀の画家たちは美しく描くことに惹きつけられすぎて、現実そのもののほうを加工しはじめる。彼らは現実の意味よりも、現実の視覚的な美のみを追求しはじめるのだ。まさに倦怠を招く夢の世界が描くことを皮切りに、世界そのものを覆っていく。
彼らは、シェリーがイタリアに赴き、キーツが湖水地方とスコットランドに足を運んだのと同じように、ピクチャレスクで特異なものを捜して遠出しているだけなのであり、したがって、自分たちが見たものについて思いわずらい、それに判断を下す必要からは免れているのだ。彼らは鑑賞はしても、あまり詳しく詮索することはないのである。それというのも、ピクチャレスクはある種の口当たりのよい陽気さ、つまり、どんな犠牲を払っても断固として、世界は穏やかで愛すべきものだと思おうとする、恩着せがましい決意と結びついているからだ。ピーター・コンラッド『ヴィクトリア朝の宝部屋』
「穏やかで愛すべきもの」としての世界。それはアリスの夢の世界であると同時に、現実の世界に起こる危険を推理小説のなかにとじ込めてホームズにきつく番をさせるような世界との接し方だった。アリスは夢から目覚めることで、むしろ、その退屈きわまりない現実の「夢よりも夢らしい」世界に戻っていくのだった。
サイモン・シャーマ『レンブラントの目』
ところで、そんな19世紀を迎える前、18世紀の潔癖性的に疫病を排除したがった啓蒙主義の時代のやからが嫌ったのが、レンブラントだったことをご存知か?スタフォードも、
多くの新古典主義批評家から見て、胸が悪くなるほどむさくるしく「汚い」小さなまだらも版画の制作を一人で凝縮した存在がレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)に他ならなかった。描くのはすすだらけの料理場、あかじみ味も素っ気もないあばら屋ばかり。クロード・ロラン(1600-1682)、マルコ・リッチ(1676-1729)ともども、絵が下手、まだら模様が邪魔といってずっと批判され通しというのもむべなるかな。バーバラ・M・スタフォード『ボディ・クリティシズム』
と書いているが、レンブラントの生涯を描いた大著『レンブラントの目』のなかでも、著者のサイモン・シャーマがこう書いている。
こうした古典主義一辺倒の族はあのルーベンスを見てさえ、少し過剰で芝居がかっていると言い、石を肉にしようという傾向が少々過多だと言って難じたくらいだから、レンブラントはもっと遥かに悪である。いわれなく倒錯的、かくも醜の描写に執着し、自然の中にあるもの全てを画題にすべしなど言い、暗さや曖昧にとり憑かれていて不健康きわまるというわけである。サイモン・シャーマ『レンブラントの目』
なんで、こんなにレンブラントが嫌われたかというと、まさにレンブラントが、18世紀の新古典主義者たちがギリシャの英雄像の陰に隠そうとし、19世紀のヴィクトリア朝期の自然主義者がピクチャレスクの名の下に演出された現実の背後にしまいこもうとした生の現実を、そのまま描こうとしたのがレンブラントだっからだ。
レンブラントが描くガニュメデスは楽しい旅とは無縁の様子である。大口を開けていやだ、いやだと叫んでいるのだし、第一、どんどん遠ざかる地に向かって仲々印象的な放尿をしている。サイモン・シャーマ『レンブラントの目』
彼のダナエは処女でもないし、金狂いの女でもないし、さらに言えば(コレッジョ風の)玲瓏な古典主義的モデルでもなければ、同じ相手を詩と官能の限りをこめてティツィアーノが描いた裸身でもない。もっとずっと驚くべき何かである。即ち断然、理想像からかけ離れた同時代社会の肉身の女性。後代最も苛烈なレンブラント批判者の一人となったヤン・デ・ビショップが1671年、画家が古典的理想よりも自然を重んじ、「レダやダナエを……腹が出、垂れた乳房をし、脚にガーター痕を残した」姿に描いたと言って非難したとき、事実、こういった絵が念頭にあったのだろう。10年後、劇作家のアンドリース・ペルスが、レンブラントには「どこぞの納屋から洗濯女た泥炭売り」を引っ張り出し、「自分の気紛れを自然の模倣、その他の全てはこれただの飾りと抜かす」癖ありともっとずっと激しく怒っている。サイモン・シャーマ『レンブラントの目』
もちろん、レンブラントがこうした生の現実を描こうとした場合でも、それがデカルトがみた懐疑の対象としての遠近法がはたらいていることを忘れてはいけない。レンブラント自身は、常にその意識があったからこそ、遠近法的視点を逸脱するような描法を生涯追求していたのだけれど。
マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔』
そして、もう1冊。18世紀末期から19世紀にかけてのロマン主義から象徴主義への流れを考察したマリオ・プラーツの『肉体と死と悪魔』も紹介しておきたい。18世紀末のロマン主義の台頭こそ、まさに18世紀の理想ばかりを追求して病にたおれる弱者を世界から隔離しようとした新古典主義、啓蒙主義への反動だった。
それもスタフォードが書いている。
ベーコン芸術が示そうとしているのは、美的経験の中にある、本書がずっとしてきた言い方でなら新古典主義〈対〉ロマン主義のちがいというものに当る、ある根源的な二極緊張関係である。ある人間は衛生化された連続体を眺めて幸福を感じるが、一方、汚染された個体ばかり憑かれたように見る族がいるのである。気紛れで、そのように個人化されている外被への、破れ、また苦しむ表装への固定観念は、虚飾嫌いのロマン派感覚のものである。バーバラ・M・スタフォード『ボディ・クリティシズム』
その意味で、ロマン主義とは、ある意味でレンブラントの末裔なのである。あるいはレンブラントと同時期を生きた、シェイクスピアや詩人のジョン・ダンと。
そのことはプラーツも指摘しつつ、エリザベス朝期のそれらとロマン主義の違いも指摘している。
17世紀の作家にあっては、往々にして知的ポーズにすぎなかったものが、ロマン派においては感性のひとつの在り方となった。17世紀の「コンチェッティ(奇想)」にロマン派の感性が取って代わるのである。アディマーリなどは、美しいせむし女、美しい黒人女、美しい狂女、美しい埋葬された女について機知の戯れにふけることはあったかもしれぬが、このようなグロテスクな幻想、奇抜な思い付きに、リアルな実体を与えようとはしなかったろう。それに対して、ロマン派は、こうした想像力の錯乱を生きようとした。あるいは実体験にもとづくものであるという印象を与えようとした。加えて17世紀にこれらの主題があらわれるのは、まだまれで付随的であった。この時代の作家たちが感覚の新しさよりも機智を誇示するためにこころみたとすれば(いくらか網羅的な畸形のリストを掲げているアディマーリは、そのよい例である)、ロマン派においては、同じ主題が、放逸な、不気味な、恐ろしい、数奇なものに向かう同時代の全般的な趣向と本質的に融合していたのである。マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔』
作品のなかにだけあった知的なポーズが、作家自身の経験を通じて現実世界にも染み出していく。これは先のピクチャレスクの話にも通じるところだけど、これが別の見方をすれば、それだけ芸術的なものが大衆化、俗化していったということでもあるのだと思う。一部の階級のものであった芸術が19世紀にもなると、だいぶ庶民的な層にまで降りてきているということでもあるのだ。
そこではじめて汚れた個人が描かれるようになる。
18世紀の末になると、ミルトンのサタンの孫であり、シラーの盗賊の兄弟とでも言うべき大層な反逆者たちが、イギリス「恐怖小説」のピクチュアレスクなゴシック的世界を背景として住みつき始めた。当時流行していたサルヴァトール・ローザ風の風景画において快い点景をなしていた「悪漢ども」のささやかな姿が、「伝奇物語作家のなかのシェイクスピア」とされるアン・ラドクリフ夫人の書物のなかで生動しはじめ、魁偉で悪魔的な体躯を獲得し、ゴヤの描く悪霊のごとく頭巾をかぶり不吉な相貌を呈するようになった。(中略)ラドクリフ夫人の生んだ傑作は、『イタリアの惨劇』(1797年)の登場人物である。その当時、謎めいた犯罪の主たる源泉は(イギリスの大衆は、その生来の二元論によって、これこそ悪行の源泉であるというものを信じていることが必要なのだ。エリザベス朝時代のマキャヴェルリ的怪物か、さもなくば、今日の探偵小説に出てくる謎につつまれた罪人かどちらにせよ)、スペインとイタリアの異端審問所に求められていた。マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔』
ここからアリスやホームズの世界へはあと少しなのだ。
そして、18世紀末のドラクロア的な世界は、19世紀も半ばすぎると、やはり内面の深い痛みなどは忘れて、表面の美しさや豊かさが追求されるギュスターヴ・モロー的な世界へと移っていくのだった。
しかしドラクロアは、その主題の内深くに分け入って生きるのであるが、モローはその外観をただただ熱愛するばかりである。したがってドラクロアは画家であり、モローは装飾家なのである。モローは、絵画の領域に入り込んだ文学的なものを情熱的な要素とみなし、それに即して、ふたつの原理を掲げている。つまり「美しい無力という原理」と「必要な豊かさという原理」である。マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔』
モローはもはや、アリスやホームズの同時代人である。
ポーラ・フィンドレン『自然の占有』
さて、最後に紹介するのは、実はまだ読んでいる最中の本で、時代的にもずっと遡って16世紀から17世紀の初期近代を扱ったもの。ただ、ここにこそ、ここまで紹介してきたような18世紀や19世紀を形づくるのに必要な方法の芽生えがみられるのだ。そう、素材を集めて、手の中で視覚表現的に操作することで、あるものを画面から排除して理想的に見せたり、逆に、悲しげな物事に焦点を当てることで理想主義のウソを暴くような表現をつくりあげることなどの方法の原点がある。
それが集めて並べる文化の開始地点ともいえる初期近代の蒐集文化だと思う。
自然を占有するということは、科学的に価値ある対象を蒐集するという、より大きな喜びの一部であった。16世紀と17世紀のあいだに、最初の科学ミュージアム−技術と民族学的珍品奇物と自然の貯蔵庫−が出現した。その出現は、全ヨーロッパが蒐集に熱を上げていた時代と重なる。後期ルネサンスとバロックのヨーロッパの風景には、ミュージアム、図書館、精緻な庭園、人工洞窟、そして美術のギャリリーが満ちあふれている。ポーラ・フィンドレン『自然の占有』
そう。これがミメーシス芸術のルネサンス期のあとに起こっていることも思い起こしてほしい。フランシス・ベーコンが17世紀のはじめに、観察や実験を重視した経験主義を打ち出す前に、ルネサンス芸術家は自然の模倣を忠実に行うことを大事にしていた。そして、そこから生まれたのが遠近法という表現法だし、その延長線上に実際に自然を蒐集するミュージアムの流行なのだ。
キリスト教世界の分断と伝統的な社会的権利や政治的特権の侵食は、ヨーロッパの内部に、新世界そのものと同様に奇妙で予測しえない潜在力を秘めたひとつの世界をつくりだした。17世紀の自然科学者にして新しい百科全書の創作者は、混乱し、次第に拡張し、多元化する宇宙を説明しうる新たなモデルを探していた。現在と直面して過去の優越性を想定できなくなったとき彼は、イエズス会士たちの仕事においてもっともよく例証されているように、なぜそうなりえたのかを証明するか、あるいは自然の探索のための代替の枠組みを創出するべく議論するか、いずれかをなさねばならなかった。ポーラ・フィンドレン『自然の占有』
そして、そうした流れがなぜ起こったかといえば、見るべきものが増えたからだ。見えるのにわからないものが増えたからだ。既存の知の体系にはまらないものが、航海術による新大陸などの発見、天体望遠鏡による宇宙の見え方の変化、あるいは解剖学の発展や顕微鏡によって動植物や人体の見えなかった部分が見えるようになったことなど、見えるけど、なんだかわからないことを前にして、とにかくもっと観察して、仮説を検証する実験をしてみて、なんとかわかろうとする努力がミュージアムや光学や視覚表現を発展させていく。
その結果、見方が変わって、人間の考え方も変わっていった。
そんな流れをこれらの本を読んでいくと感じられる。
そういう読書体験ができた2015年もまた有意義な1年だったと思う。
来年も引きつづき、こんな人間の思考の変遷について、より深く考えていきたい。
今年もあまりブログを書くことはできなかったけど、こんな拙いブログを読んでくれて方々には本当に感謝したい。
2016年もきっとこんなペースで変わらないと思うけど、引き続き、当ブログをよろしくお願いいたします。
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